file714 ブログを別にやってます。
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認知療法・認知行動療法・低血糖症について
私見・考察を中心に別のブログをやっています。

基本は、認知行動療法についての体験を中心にしています。

ご連絡までに。


http://ameblo.jp/feeling-goodmood/




〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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# by nichinichiso | 2016-01-30 11:19 | 皆さんへのお知らせ
file720 平等さという感覚を壊す
file720 平等さという感覚を壊す
 野村先生の本の中で、うつ病の病因論の仮説があります。『うつ病を治す』講談社現代新書P195
 うつ病になる人は、遺伝的に、「こだわり遺伝子」を持つ。→「徹底的にもれなくやろうとする」=「すべてを徹底的にやって初めて初めて成功する」という、「受け止め方」をもつ。
  この仮説を知ってふと、思うことは、自分の精神活動が、あまりにも環境に対して、「平等に扱おうとしすぎている」のではないかという傾向です。
 平等さというのは、非常によいように見えますが、達成するとなると非常に労力のいる難しいことでもあると感じます。
 対人的にも、自分と他人との扱い方についても、自分を優先するのか、他人を優先するのか、平等にするのかということを考えたときに『平等に扱う』と言うことが、実は幻想であるように思えます。
 しかし、平等に扱うべきだという考え方は、非常に道徳的であり、一見強さのようにも見えますが、自分のエネルギーの限度を無視した、また、自分の性格傾向を無視した発想だと思いました。


 不平等にものを扱っていくというのは、優先度をつける、重みづけをつけることです。

 その発想のために、簡単なイメージ化をしてみるといいと思いました。(重みづけのイメージ化)

 <3つの皿>
 1 イメージのお皿が三枚あります(ABC)。そのABCに、1つずつ、リンゴがのっているイメージ(計三個)です。これが「平等な感覚」です。
 2 現実には、それを常に変えていかねば行けません。
 3 ですので、イメージを操作して 各皿に不平等になるようにリンゴを移し替えるのです。それが、「不平等の感覚」です。
 4 具体的には、A:1 B:1 C:1→ A:2個 B:1個 C:0個 さらに、 A:0 B:2 C:1個とすることもできます。

 とにかく、非常にシンプルで簡単ななイメージで、重みづけを変えてみるこで、不平等の感覚を疑似体験できます。
 そして、それが現実の生活での、自分の精神活動と、行動を変えてくれるように思えます。(私見)

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# by nichinichiso | 2015-10-23 20:19 | プチイメージ
file 719 『うつ病を治す』 野村総一郎著 講談社
file 719 『うつ病を治す』 野村総一郎著 講談社


うつ病をなおす (講談社現代新書) 新書 – 2004/11/19  野村 総一郎 (著) 講談社

を読みました。

うつ病について、同先生の本は訳本は読んでいましたが、この本は初めて読みました。
罹患されたすぐの方も、周りの方も、長く続いている方も、もう一度基本書として読んでみるといいと思いました。
うつ病について、(=感情障害全般の話ですが)の病因論の野村先生による仮説は、圧巻で説得的です。プロローグと、7章に出てきます。

1 遺伝子上の特質がある〈重みづけ機能不全)
2 学習獲得性特徴の影響がある (こだわり性〉)
3 性格特徴の影響がある(メランコリー親和性と循環器質〈この両者の共通点も、実はあると著者は言います。〉)
4 臨床的問題がある。 (病気としてのうつ病)

1は、生物学的な要因 2.3は、社会/心理学的要因 4生物学的要因〈ストレス反応〉とならんでいます。

薬は必須のアイテムであり、4の部分に影響を与えると考えられると言っています。
そして、精神療法は、3の部分に直接影響を与えうるとしています。そして、精神療法は、いくつも種類があり、その人にしっくり来るものは、人によって異なるから、大きな本屋さんで、啓蒙書をいくつも読んでみて、おもしろそうなものに取りかかるのがいいと書いてありました。ちなみに、野村先生は、認知療法の立場だと言うことです。



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# by nichinichiso | 2015-10-23 17:12 | 参考図書
file 718 明日の アルバイトに行ける気がしないのですが(感情的決めつけ・結論の飛躍) 
file 718 明日の アルバイトに行ける気がしないのですが(感情的決めつけ・結論の飛躍) ロールプレイ 声の外在化


A しんどくて、明日のアルバイトにいける気がしないのです。 

私: Aさん、それは、どういうことですか?

A:  自分でもおかしいと思うのですが、明日アルバイトが予定に入っているのですが、前日の午後からすでにこんな調子が悪ければ、行くことができないと思うと、気分が辛いです。

私: まだ明日の朝にすらなっていないのに、前日の午後に調子が悪いから、明日元気になっている保証がないと言うことですか?

A: まあ、そんな感じです。

私: Aさん御自身も「おかしい」とおっしゃってますが、そう思うときに、どのようなことをお考えになっているか?そのメリットという点から、教えて頂けますか?

A:うーん…・・。… そう感じるんです。こんなに調子がいつもと違うと。

私:調子がいつもと異なっているんですか?いつものアルバイト前日とどう違いますか?

A:いつもは、アルバイト前日に、翌日のアルバイトのことなど考えないのに、不安なんです。

私: その不安になる理由につながりそうなお考えはありますか?その瞬間に、どんなイメージを持ちましたか?

A: 敢えて言うなら、何となく、「明日行けないだろう」と考えることで、当日、もしいけなかったときに、ショックが少なくなる気がします。
私: なるほど、「アルバイトにいけないだろう」と予測して、現実にいけなかったら、理由はどうあれ「当たり!」ですものね。しかし、本当に、あらかじめ否定的な未来を予測しておくことがが、ショックの緩和につながりそうですか?

 言い換えれば、①今の体調でもいけるだろうと考える、または、②いけるか行かないかすら考えないという方法があると思うのですが、①②を採用してしまうと、アルバイト欠席したときに、そのショックが「行けないと予想したときより」大きくなってしまいますか?

A:それはわかりませんよ。実際、いけないだろうと思ってしまうのですから。(怒り気味)

私:ごめんなさい。Aさんを苛立てるつもりはないんです。 なんというか、実際、どんな人でも出勤予定であるのに、欠勤したら、風邪とか体調不良で仕方が無い理由だったとしても、ショックは受けるのではないかな?と思うんです。私自身、そうですから。

また、Aさんはこれまで、いろんな理由できついときも、アルバイトは休まれてないと聞いてますが、それは事実ですか?

A: そうですね。休んでないです。腰が痛いときも、何とかごまかしつつ、出勤して、適当にやってきました。

私:そうであるならば、いける可能性も大いにあるのではないでしょうか?これまでの実績的には。

A:実績的には、そう思いますが、今回は違うのです。それ以上の何かがあるような気がするのです。

私:具体的に、どう違いますか?特別に感じる事情はありますか?教えてもらえると助かります。

A: 昨日もそうだったのですが、風邪を引いていて、気分も抑うつ的なんです。また、オーバートレーニングで肉体疲労が進行してしまっているのです。今までこういうことは無かったので。いつもと違うんです。

私:なるほど、風邪っぽいこととオーバートレーニングは関連がありそうですか?

A:はい、あるように思えます。やはり、頻度が多すぎるトレーニングをやり過ぎたので、代償が大きいと感じます。

私:それであれば、本当に結構な風邪なのかも知れませんよ。体力が実際落ちていると、些細なことでも風邪をひき易くなりますし、治りにくくなるのは、どんな人でも同じですよ。そう思いませんか?

A:はい、その点は、同意できます。

私:それであれば、他の人が、風邪で休まれることも十分ありますよね。Aさんが、もし風邪で、明日体調不良だったとしたら、その旨を勤務先に連絡して、必要な休息をとることが、できることだと思います。

A:はい、そうですね。それしか、自分にはできないと思います。

私:ではなぜ、最初の話に戻りますが、「アルバイトにいけないだろう、と思って辛い」というのは、それなりの理由がある、健全な感覚であると思います。(誰でもそう考えれば、辛い気分ですよ)しかし、それは、明日の時点で決まることであり、前日の午後にそのことで、不安になりすぎることには、理由があるのでしょうか?


A:オーバートレーニングや、昨日の睡眠が悪かったことなどで、だいぶ疲れていて、悲観的に、自己批判的になっているように感じます。そして、そのことは、自分の風邪っぽいという事実と相まって、「いけないだろう」と悲観的推測することで、ことさらに、気分を悪くしているように思いました。


私: そうなんです。 私もそう思います。どんな人でも「明日行けないだろう、大変なことになってしまう」と思うと、それだけで、心配になるものです。そして、そのようなことを考えたとしても、未来の勤怠にはほとんど影響がなく、ただ単に、今日すべきことがその思考と感情で、混乱してしまうと言うことがよくあります。

A:では今日、どうすればいいのですか?

私:肉体疲労と風邪が、明日に治るか否かはわかりませんが、できることはあります。
自分に優しく、滋養と栄養と休息を、可能な限りご自身に許してあげることはできませんか?オーバートレーニングと風邪はそれだけで、しんどいものです。 いつもより、さらに休息を多くしてあげて、かつ、明日行けないだろう、という脅しのような思考を排除できれば、もっといいです。
 それで、明日風邪でどうしても行けそうになかったら、その旨を勤務先に連絡してみませんか?。きっと、相手は心配してくれることが多いですよ。  

A:わかりました。とりあえず、早く入浴して、食事をとって、刺激少なくして、早めに休むにどうしたらいいかを考えてみることにします。


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# by nichinichiso | 2015-10-20 18:58 | 自分を知る
file717 報酬を安く見積もってしまうこと(虚無主義)
file717 報酬を安く見積もってしまうこと(虚無主義)

マイナス化思考(いい点を間引く)・心のフィルター(悪いところばかり見る) ロールプレイ

Aさん 「今日は、リワークプログラムを休んでしまい、何もできなかったのです」

私「それは、大変辛かったでしょう?」「何もできなかったのですね?」「それであれば、つらくないはずがないとおもいますよ」 
具体的に、どう、何もできなかったのか、教えてもらえませんか?

A まず、朝から運動したのですが、元気が出ませんでした。
 二度寝した後、図書館に行き、借りていた本を読んだだけなんです。
 それも、時間つぶしみたいなもので、リワークプログラムを休んでしまったことを考えれば、ただの時間つぶしにすぎないんです。

私 具体的には、リワークプログラムに、通えなかった直接の原因は、なんでしょうか?

A 体疲れていて、風邪っぽいので、行く気になれませんでした。

私、 これまで、それほど、体の疲れについて、訴えることがなかったですが?何か特別変わったことをしましたか?

A 先日、ハイキングを夢見て、少しづつ運動をするようにし始めました。50点でいいので軽く運動するようにしたのですが、どうも、連日、または、朝運動することで、疲労がたまりすぎたようです。

私 Aさんは 運動習慣をつけようと頑張られいて、かつ、やり過ぎないように50点で切り上げるようにしたんですよね?

A はい。

私 そうであれば、完璧主義が目立つAさんにとって運動強度の面では、いい傾向があったのですよね?

A はい。しかし、やり過ぎてしまったのです。

私 なるほど、それはわかりやすいですね。頻度の問題について、50点を目指せなかったと言うことですか?

A はい。そうです。運動強度は、50点を目指せたのに、頻度で、自分を追い込んでしまい、疲れ切って、リワークを休んだのです。


私 そもそも、リワークを休むことは、どういう害があるのですか?

A 「いけなかった事実」という傷が付きます。

私 それは、何か、就労時に提出される記録のようなものなのですか?公の、文書とかなのですか?

A いえ、そこまで、厳格なものではないです。なんというか、自分なりの目標を達成できていない、という、自分の欠点のような事実です。


私 Aさんは、ハイキングによかれと思って、運動能力を上げようと思って、運動強度を50点に調整しつつ、頻度で、少しやり過ぎてしまい、相手方に迷惑をかけるようなことをしたわけではないのに、それほど傷つく必要は無いのでは無いですか?

私 もっと言えば、確かに、あなたがリワークプログラムに通わなかったことは、現在病気中であれば、当然生じることだと思うのですが?

A そう言われれば、そもそも、病気だから故に、リワークを通じて、病気でも働くことを目指しているのですから、このようなことは起きて当然といえます。そして、運動の頻度や、時間帯、を検討することが、今必要であると思います。

私 私も、そう思います。 体を酷使ししてしまったことは、責めても仕方が無いことです。それと、いけなかったことまで責めるのでは、過去のことをせめて、今後の調整を見えにくくしてしまうと思うのです。

A はい、私もそう思います。

私 そう考えると、「リワークプログラムを休んで、なにもできなかった 」というのは、いささか、自分に厳しすぎる態度ではありませんか?まるで、何もやっていない人、のように聞こえますし、そう感じませんか?

A はい、そう感じてしまいます。


----

私 次に、図書館で、本を時間つぶしに読んだだけであるという点について、ききたいのですが?よろしいですか?

A はい。

私 一定時間、図書館で、何かの本を開いて、情報を得たというのは間違いないですか?

A そうですね。 ただ、リワークプログラムを休んでいったので、時間つぶしみたいなものですよ。

私 わかりました。 その本を読んでいたときに、一つでも、感心したり、新しいことを知ったり、過去のことを思いだしたりした経験はありませんでしたか?どのような本に目を通されましたか?

A 日経サイエンスがあったので、瞑想特集だったので、ぱらっと見ました。でも、文章までは、疲れていたので、全然理解していないのですよ。

私 Aさんは日経サイエンスをぱらっと見て、何か、知見は得ましたか?

A うーん。 … …
  特定の瞑想をしている人の脳の図を見ました。意識の状態で、活動部位が変わることが、図で示されていました。それには、おもしろいなと、興味をちょっとだけ持ちました。でも、そこで、どういう場所が、どういう名前でとか、そういうことは、覚えてないですし、人にも説明できない詩、自分でも、そんなのでは、意味が無いと感じるんです


私 人に説明できない。具体的な活動部位の専門的な場所の名前も挙げられない、から、読んだ意味が無いということですか?

A はい、私にはそう感じます。もっと、知りたいなら、深く理解できなくてはならないし、もっと言えば、実践できなくては意味が無いような気がします。


私 確かに、そうであれば、理想かも知れません。しかし、リワークプログラムを休んで、行った図書館で、目を通した瞑想の特集は、関心が全くなかったことなのですか?

A いえ、一応手にした以上、おもしろそうだなとは思いました。

私 具体的ことはよくわからないが、瞑想の意識状態の変化と、脳の活動部位の変化に、関連性があることが、科学的にわかってきた、ということを、説明して下さったのですが、それは、あなたの、知識体系に全く、利益のないことなのですか?

A 全く利益がない、とは言えません。興味を持って、目を通したのですから、…


私 それであれば、空いた時間と体力の中で、特段、お金を得るものでもなく、評価されるものでもないが、おもしろいなと思ったことは事実ですよね?

A はい。

私 それであれば、時間つぶしに、借りていた本を読んで、説明できるほどには遠くても、ご自身の知識体系の一部となるような読書体験をなさったのは事実だと、私は思います。それを持って、何もできなかった。というのは、言い過ぎではないでしょうか?

つまり、リワークプログラムを休んだことは、原因があり、図書館で、関心がある本を少しだけ読んで、わずかであっても、知識、感動、おもしろさを感じられたことは、事実だと私は聞いていて思います。
むしろ、それだけできて、それを「何もできなかった」と言ってしまうことの方が、ご自身のやったことを低く見積もって、報酬が無いものと片付けてしまっている点で、非常に、厳しい態度に見えます。


A たしかに、そういわれれば、リワークを休んだことは理由があり、図書館で本を少しだけ読んだことも事実であり、それを評価する自分の態度こそが、せっかく読んだ本を台無しにしているように思います。

 

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# by nichinichiso | 2015-10-19 20:05
file716 回避行為の最大のデメリットとは?
file716 回避行為の最大のデメリットとは?

 強迫性障害では、強迫観念と回避行動がセットになっていることが多いようです。私自身、「後悔」という思考が、回避行動になっている気がします。(後悔したたって仕方が無いのに、あれこれ後悔する/自分が買った物について、否定的な意見の有無、買ってよかったのだという証拠を探したりする行為も含まれます(確認行為))


認知行動療法を学ぶ 単行本 – 2011/3  下山 晴彦 (編集) 金剛出版

を読んで書いてありました。
p130辺り


1<強迫観念>

意味が無いとわかっているのに、本人が放置しておけない、不快な考えやイメージ

2<脅迫行為>
強迫観念を一時的に抑制する効果があるために習慣的に繰り返される儀式的行為や、思考活動

と説明されていました。

なるほどと思いました。

 脅迫行為を維持する上で、最大の代償(デメリット・欠点・短所)はなんでしょうか?

 →私は、習慣的、継続的に無駄に労力を使うことで、現状の問題に正面から取りかかれないこと、だと思いました。

 しかし、本には、もっと本質的なことが書いてありました。

 回避行動は、不安の自然な減弱(慣れ)を妨げてしまう点に問題がある
とありました・

 これは、なるほど、と思います。

そして、強迫障害と曝露反応妨害法の組み合わせは「ピカイチ」とありました。

----------
 「後悔」というのは、私の、脅迫的な回避行動(思考面での)だと何となく気づきつつありましたが、その最大の不利益は、「不安の自然な減弱を妨げていることである」ということは、気づきませんでした。

 例えば、服や、道具、パソコン、何でもいいのですがAという商品を10000円で買いました。

 それを、買った後に、ネットで見たら、5000円でA商品は、ネットのサイトで、2時間前に、売っていたことが判明しました。

 これはショックなことです。
 それを防ごうと思ったら、かなりほしいA商品に対して、自分がほしいものに対して、できる限りの情報収集をする必要があります。
 もしかしたら、10000円の商品は、1月後には2000円になっているかも知れませんから、一月後まで待つ必要がある可能性もあります、さらに、今買わないと、在庫がなくなってしまうかも知れません。
 別の店頭では、5000円で売っているかも知れませんし、隣駅ではセールで5200円売ってるかも知れません。

 そういうことは、インターネットでいくらでも時間と労力があればできることですが、あくまでも、時間と労力があればの話なのです。
 そして、それだけの時間と労力は、通常無いのです。

 しかし、自分の買った商品Aは、現実には、どこかで5000円で売っているかも知れないし、今後、また過去に売っていたかも知れないと言うことが、わかるかも知れません。

 そういうことは、一昔前では「現実にはあっても、知りようの無かったこと」であることに注意しなくてはいけません。
 そして、現代は、「知りうる時代」であることも知る必要があります。

私が言いたいのは、そういう情報化時代(古い言葉ですが)の、情報の流れになれる(不安の自然な減弱)必要があると言うことです。

 自分が現場で、ほしいと思って買った物には、それなりの自分の判断があります。(ネット購入だろうが、セールだろうが、値引き前だろうが…)それが、他人が、どういう形態で、いつ頃、いくらで、どのような形で購入したかと言うこととは、無関係であると言うことを知る必要があると思うのです。

 Aを半額で買った方は、私より、「安価に入手できた」のは、事実です。しかし、「自分がそれで損をしている」と考えるのは、いろんな認知の歪みがあります。(マイナス化・全か無…)

 どんな人でも、横の人が、半額で同じものを同じ場所、同じ売り主から買ったら、売り主に、どうなってるのだ!といってもいいかもしれませんが、一見、ネット上では、あたかも、簡単に安く物を買った、お得にできると感じさせるものが多いです。
 インターネットは、時間や場所、その背後にあるものを見えにくくします。

 その見えにくい情報の中では、ショックを受けるようなことが起きやすいですl。

 しかし、そういうものだのだ、と知り、なれていくことは、このネットでは大切な能力だと感じることが多いです。

 誰だって、自分が買った物が、半額で、売ってたら、それはいい気持ちはしませんが、それを恐れる必要も無いのです。むしろ、その半額だけを狙って物を買うことの方が、これまた、何かおかしなことにつながる気もします。お得に囲まれているが、不全感のあるもの。(満足度が低い買い物ばかりする人)
 


 
 

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# by nichinichiso | 2015-10-19 19:08 | 心理的背景
file715 中核動機付けと向き合うタイミング
file715 中核動機付けと向き合うタイミング(常にあるもの)

 認知療法の本の中でも、やはり、どうしても否定的、自虐的な思考がどのような、信念・中核動機付けに、維持されているのかを自覚していくステップが大切にされているものもあります。
 
 この段階は、自分の乳幼児期にえた、親しいもの(家族など)との間で、どう扱われたか、いかに教育されたか、どういうコミュニケーションがあったのかを具体的な事件ではなく、むしろ、ぼんやりとしたあの日々の心象風景的な枠組みとして理解し、それでいて、現在では簡単な言語かをすることが進められています。

 ただこれには、タイミングのようなものがあるようです。

 周りがよかれと思って、やっていた良心が、小さな自分を傷つけている場合があります。そして、そんな自分を守るためだったり、周りを喜ばすために持ち続けてきたその人の当たり前の態度(認知)の塊のようなものが、中核動機付けとなり、現在の自分にも深いレベルで脈々と存在している感じです。

 これは、病気だからと言うよりは、どんな人でも、精神の成長の形態としては、当たり前の発達の仕方だと思います。
 しかし、病気になってしまうような、また、ぶり返すような中核動機付けなるものは、知っておくことが大切で、修正しておくことも大切で、すぐには、変えられないが、将来的には自分のものにできる目標と位置づけるものでもあります。(拙速を危ぶむ領域)
 ただ、その辛い過去に、どっぷりとはまることもまた危険です。現実が、その過去の自分の記憶で台無しにされてしまう危険があるからです(うつ病悪化・認知の歪み)。

 ここは、非常に繊細で、うまくいけば、ダイナミックな変化(世界観を変える)を引き起こす革新的な部分に感じます。

 そして、初めて、悲しみとか、自分に共感することが、自己イメージを変え、自尊感情を強化し、合理的な思考を可能とし、感情が正常になり、病気自体を治癒させるのではないかと感じます。
 


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# by nichinichiso | 2015-10-17 20:44
file714 「やるべきか否か」ではなく、「やる価値の有無」を自問する
file714 「やるべきか否か」ではなく、「やる価値の有無」を自問する

 気分障害、うつ病、不安障害などでは、症状として「やるべきか否か」の検討で、疲弊していくことはよくあります。
 その思考は、繰り返されるほど理由のわからないエネルギーを使い、答えが出なくなります。
 背景には、「恐怖」があることがあります。


 例えば、低血糖症だから、一切炭水化物を抜くべきだ、という方法がある場合、それが、効果的でないようだったり、自分の体に合っていないとか、変な感じがするときにも「抜くべきだ」いや、「食べるべきだ」という、迷いが生じます。
 または、自分は食べたら治らない、という強迫観念の元、禁止することもあると思います。

 その効果は人によって違う場合もあるのではないでしょうか?炭水化物を抜くことであっというまに、うつ病が治る人もいれば、治らず、むしろ「抜くべきだ」というすべき思考に強迫され、日々の生活が、炭水化物との戦いに明け暮れ、おびえて生活するほどになると、外の方が多くなってしまいます。
 話がずれました。上記のような場合は、炭水化物の恐怖に支配されていないかを確認する必要があります。
 私の場合、ひどい低血糖症と言われ、精神科医からは、トラウマになるからその検査自体を中止すべきだったと説明を受けました。そういう考えもあるのかと、検査から数年後に、はっとさせられました。
 

 やるべきか否かと考えてしまうのはいくつか理由がありますが、最終的には、自分で責任を負わなくていいというメリットがあります。しかし、本来、不快なすべき思考は、他者からの押しつけだったり、自虐的信念に由来する産物ですから「強制される¥という感覚を生みます。強制されることは大抵不快です。
 その時、自分は、今考えていることを「やる価値があるか否か」を自問することで、答えが見えてくることがあります。
 そして、もしやる価値がないと思う場合、それにはそれなりの常識的理由があります。しかし、それと同時に、その判断に従うことに、恐怖を感じることも多いです。
 本来、現状、自分が進む価値のある道(選択だ)と(うっすら)気づきながらも、過去からの経験や、権威者の言葉、自分の意見の変更をすることにたいする、いろいろな恐怖が生じます。

 しかし、それは、単なる一過性の不快感にすぎないので、自分の常識的感覚大切にして、やる価値のあることをすべきことより重視して、踏み込む勇気が大切になってきます。
 その件について、関係性のある人には、それを伝達して、表出することが大切です。大抵、常識的、理解が得られるものです。

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# by nichinichiso | 2015-10-17 12:13 | 問題解決のヒント
file701 疲労と感情(自分に苛立つ人) 
file701 疲労と感情(自分に苛立つ人) 
**** この記事は非常にうつ病にとって重要だと思うので、しばらく一番上に持ってきます。 元日時150915

 疲れたということがわかるのは、自分の感覚です。
 その疲労感にどのような感情反応を起こすかで、人生は全く異なってくると言っても過言では無いでしょう。


 認知が歪んでいる場合は、自分が何かしらの活動で疲労した事実に対して、苛立ったり、しょげたり、悲しんだりします。
 そこには、そういう気分になる、「何らかの思考」とか、「疲労という事実に対する主観的態度」(これらこそが認知ですが)があります。

 認知に歪みがある場合、自分に対するご褒美と言うことの意味がわからなかったり、ネットで、疲労解消法を探しまくって、やってみてもいまいちだったりします。

 その一つの大きな原因は、「疲労すべきでは無い」そう考えて、「疲労したことに苛立ったり、怒りを持ったり、自責的な気分になっている」場合があります。

 およそ、こう考えることは、癒やし、ねぎらいという言葉とはほど遠い、感情のあり方ですから、どうしても、体の芯から休めません。疲労解消の方法にこだわってしまうのです。
 まるで、疲労が、親の敵であるかのように、疲労解消法を試しても、それは、どこか矛盾を抱えています。疲労解消の努力で、疲労していくようなものです。


 上記は、私自身が感じていたことです。

 しかし、一歩下がって考えてみると、「自分が(何らかの理由で)疲労していること」は紛れもない事実であって、それは、ねぎらわれるべきことであり、そこまで頑張ったことを認められるべきであり、優しく対応されるべきものであり、決して、責められるべきことでは無いのです


 責められるべきことだと思っているから、「こんなことで疲れては駄目だ」とか「もっと出来るはずだ」と言う理屈の流れになって、感情が混乱します。
 一番責めているのが、自分だからこそ、根が深い問題を引き起こします。

 一つ一つは、取るに足らない小さなことでも、いろんな理由で、人は疲れます。
 それは他人と比較することでは無く、主観的なものです。


 そして、その疲労に対して、まず、自分が優しくなり、結果とか、成功失敗などという努力の成果のようなものよりも、むしろ現状疲れている自分に対して、滋養と癒やし、を与える優しさを持つことが必須です。
 
 自分に厳しいことは、短期的には、せいかを残せるかも知れませんが、長期的に見れば、体をこわします。


 そういうことは、うつ病に罹患したことにもいえます。

 うつ病なり、何なりと言われるほどの症状が見られるのは、責められることでは無いという感覚を持つことは、非常に重要です。そして、一番責めているのが、自分では無いか?問うてみる必要があります。

 自分に対して、優しくすることが、本来病気を治す上で一番近道なんです。
 それを、なぜか、自分に辛辣にすることが人生の態度となっている人が多いです。


 病気にかかったときの状況というのは、およそ、信じられないくらいの出来事に囲まれていたと思います。一人一人状況は異なっていても、環境の中で、自分なりにベストを尽くしても、自分を守りきれなかっただけなんだと思います。それは、その人の、良さと表裏一体をなす部分が、病気と関係していると思います。



 だから、治るときには、その自分の良さを捨てないといけないような、一種の錯覚に陥る気がします。
 しかし、本来、その人の良さというものが、その時は病気につながったかも知れないが、次回そのような事態になったときは、もう学んでいるので、二の轍は踏まないとおもうのです。

 疲労感に対する態度は、病気と関係があるように感じます。

 主観的に疲労を感じたとき、まさに、その時こそ自分に優しくする「べき」であり、厳しくしたり苛立ったりしするなんて、論外で、人でなしであると思えるようになれば、疲労が怖くなくなると思います。
 そして、より疲れにくくなり、自分の健康が高まると思います。

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# by nichinichiso | 2015-10-15 19:51 | 自分を知る
file713 答えようのない問いは、人を疲弊さす
file713 答えようのない問いは、人を疲弊さす


 気分障害、うつ病、不安障害、低血糖症もありますが………、認知療法の本を読んで、セルフヘルプしていると本当に、役立たない「問い」のがあることに気づきます。

 この数年、なんだったのだろう?
 この病気に、何でなったのだろう?
 オレはこれからどうしたらいいのだろう?
 何で、こんな事態になったのだろう?
 誰が、悪いのだろう?
 自分が悪いのだろうか?
 血糖値が下がっているのではあるまいか?
 インスリンが、今たくさん出ているのではないだろうか?
 遺伝子がおかしいのではあるまいか? 


 こういうことは、病気になると、つい考えやすくなります。
 しかし、これらについて共通しているのは、非常に抽象的で、誰にも明確に答えようのない質問である点です。
 
 病気であっても、具体的な毎日を過ごしていくことが大切です。皿をあらい、部屋を掃除し、外出し、楽しみ、家事や、仕事義務も行い、自分の時間、他人との交流という目的に具体的に必要な行動は何かを自分に問うことは有意義です。
 完璧主義で困っていたら、その日、50点をどれくらい具体的に維持できたかを振り返ることは、成功失敗含め有意義で、気持ちのいいものです。
 しかし、一日の終わりに、今日の一日また無駄にしてしまった、何の意味があるんだろう?ということを問うても、自分を傷つける答えようのない、自虐的質問だと、私は思います。
 

 何を、いつ、どこで、誰と、どのようにやるか、やったか、を思い出せることは、非常に大切です。それを支える具体的な問題意識を持っているからです。
 自分はなんのために生きているのだろうか?という、問いは、一日の最初にも終わりにもふさわしくない質問に、私は思えます。(答えようのない、疲れる質問)
〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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# by nichinichiso | 2015-10-13 19:30 | 言葉について
file712 強迫観念と回避行動での盲点(ぐるぐる思考)
file712 強迫観念と回避行動での盲点

 何かしら、疲れやすかったり、何かよくわからないけど、気分がざわつく時期が長いと思ったときに、不安障害の場合、不安という不快感を強く感じている可能性があります。


 最近よく感じるのは、「ぐるぐる思考」考えても意味の無い「過剰な後悔」、「返品のきかない購買物についての妥当性」「自分がよかれと思って活動したことへの過剰な検証」など、自分の活動や、他人に活動、もしくは社会情勢や、遠くの地の紛争など自分ではどうしようもないことについて「よかれと思って、思考を続けること」が、実は、回避行動になっている場合が多いことです。


 一般に、回避行動は、鍵をかけたか不安で、何度も確認しないといけないので、外出できなくなってしまった。というような場合に、わかりやすいのですが、自分の活動や、決定について、何度も確認、早期、改装、妥当性の検証という、「思考する」という精神状態自体が、回避行動になっているのです。

 頭を使うことは、もちろん、エネルギーを使うことです。ですから、訳のわからないこと、結論の出ないことを考えることは、無尽蔵のエネルギーが必要です。通常は、「まぁ、いっか」他人に対しての助言となれば、「良いじゃない、そんな(小さいこと)」と言えるのに、自分のことになると、自分の行動の正確性、的確度、妥当性、影響度、正否に関して異常なこだわりを持つことがあります。

 実はこれの背後には、何かしら「強迫観念」があり、間違ってはいけない、とか、愛されていなければならない、儲けられなければならない、みんなのためにならねばらなぬ、という自覚しがたい、それでいて、確実に、信念化された深いレベルでの自分の考えが存在しているように思います。

 この(自虐的な)信念、信じて疑わない、自分の生きていく上でのこだわり、態度というものが、現実の自分の行動と思考に脅迫的な影響を与えることがわかるようになると、非常に楽になります。その具体的、信念体系を、感覚的に捉えられると「また来たな」という対処の機会を得られるようになります。

 そこまでたどり着くと、後は、曝露法なりで、その信念と結びついた、回避行動を制御できれば、未来は明るく感じます。
 同じ信念に由来する、自動思考なり、回避行動に気づければ、同じように曝露法を使えばいいからです。

 行為としての回避行動(ネットばかり見てしまう、スマホいじりがやめられず疲れる、愛想笑いで疲れやすい、鍵かけたか心配だ)というものだけでなく、実は、ある件について、「ぐるぐる思考」することも、思考における回避行動といえると思いました。


 例えば、逆説的拡大視 
 自分のやったことの妥当性を検証し続けたくなるなら、逆説的に、実は「大失敗でした」→終わり。(それでも世界は終わらないと知る)で済ませるのも手です。
 病気で、数年働いてなかったのをどうしよう、負け組と人は思うかも知れない、と考えるなら→「負け組の中の負け組の中の負け組です」→終わり(負け組だとしても、世界は終わらないと知る)

 そこら辺については、CBTの技法の本をいくつも試してみて下さい。

 考えることは労力がいることであり、ぐるぐる思考は、エナジーテイキングであり、疲労します。そこにあるのは、自虐的信念に由来する強迫観念であり、回避行動といえると、理解するのもいいと思いました。
 

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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# by nichinichiso | 2015-10-13 19:12 | 心理的背景
file711 少しは欲求を減らしたらどうだ!(完璧主義)
file711 少しは欲求を減らしたらどうだ!(完璧主義)

 『少しは欲求を減らしたらどうだ!』という、簡単な、自己調整の言葉があります。
 これは、他人に主張するのではなく、むしろ、自分に強制し、完璧(完全)主義で苦しむ場合の、思考と気分を変えることに、私は役立ちました。
 完全主義は、批判をともなう、自虐的な信念の一つです。
 それをつぶさに具体的に見ていくと、生活上の、一つ一つの活動に、高い水準を求めているようです。
 気分障害と言われる人は、自分自身は、炊事、洗濯、読書、治療、カウンセリング、就労、就活、他人の態度、家庭環境、家族の言動、過去の自分、未来の自分、病状の程度…どれも、人並みにできていないと思っているかも知れません。これぐらい以前はできたはずだし、できない自分はだめだという気持ちで、辛くなるなら、それは、基準を下方修正するサインです。

 うつ病というのは、
一つに、①意思の力、動機付けの力を低下させ、まさに、それ故に、人並みにできなくする病気であると言うこと、
また②それによって、自分を卑下するという『症状』によって、病気なりにできることも、本当に「さらにできなくなってしまう」と言うこと、
③ ①②の繰り返しによって、本当に無力になってしまったように感じること という

 非常にやっかいな個人的な世界観の中に埋もれていくように感じました。


 あまりにも、現状とかけ離れた目標を持つことは現実的ではありません。それは、一つ一つの日常のことで、些細なことをやっていないと思っても、その数が多ければ、やはり、苦痛に思うと思います(義務過剰)。

 要するに、自分は、そんなに高いレベルのことを自分に課しているわけではない、主張する場合、その一つ一つが、高くないとしても、「欲求の数」が多すぎないか?と考えてみることは有意義だと思います。

 自分に対して「少しは欲求を減らしたらどうだ!」とつぶやくとき、気持ちがほっとするのであれば、やはり何か課すものが多すぎるのだと思います。
 間引く必要があります。
 その際、恐怖が生じます。
 そこで、行動療法からの流れをくむ、エクスポージャー(曝露法)が役に立ちます。

 50点を目指すというのは、欲求の数を減らすことも、いいことです。
 

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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# by nichinichiso | 2015-10-12 17:40 | 心理的背景
file710 50点とはどれぐらいか?(完璧主義)
file710 50点とはどれぐらいか?(完璧主義)

 完璧主義が100点(実は150点)を目指す態度だとしたら、手放したければ、50点を常に目指してあらゆる生活をするだけのことです。
 コレをやるときの難しさは、「恐怖」の存在です。
 恐怖感が、より良く、より高く、より深く、より高度に、より正確に、より大量に、より高品質なものをあらゆる日常活動に(仕事、就職、交友、人気、コミュニケーション力、体力、経済力、家庭のあり方、子育て、親、学歴、過去の自分…・)せき立てます。
 その恐怖に耐えることで、50点を目指すことで得られる、平凡な毎日に充実感が生れてきます。
 50点というのは、どの程度を言うのでしょうか?

 感覚で、いいと思います。ちょっと恐怖感が出るくらいが、50点だと思います。一つ一つの行為を、50点にするもよし。週単位で考えるもよし。 とにかく、危険を冒している、恐怖が生じる(本当はできるけど、やめちゃうよ的な)くらいをもって、50点とするのも一計です。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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# by nichinichiso | 2015-10-06 19:03 | 言葉について
file709 完璧主義は批判するための概念にすぎない
file709 完璧主義は批判するための概念にすぎない

 完璧主義は、自己批判と親和性のある主義です。
 完璧主義というのは、具体的にどの程度を言うのでしょうか?どれほどが、合理的基準で、どこを超えると完璧主義と言われる、高すぎる要求になるのでしょうか?各人によって違うのだと思います。
 完璧主義を言い換えれば、そもそも実行不可能であり、(自己)批判を受ける可能性のあるものという、考え方もできると、私は思いました。
 それを、何かしらの見当違いで、自分に課してしまう基準をして、完璧主義と言えるのではないかと思い増しt。亜
 つまり、基準が先にあるのではなく、むしろ批判されるべきなにかが最初にあって、後付け、でそれを一定の具体的に「すべきこと」とした基準が、完璧主義だと思うことが多いです。

 よくある、意地の悪い姑が、嫁の掃除の不完全さを暗に批判するために、窓枠の埃を指ですくい取るというようなことです。【他人からの完璧主義と批判】

 それが、自分の心の中で、自己完結的に起きるのが、「自己批判のための完璧主義」と言える気がしました。

 こういう態度をとり続ける以上、完璧主義をやめることを考える上で、最初に考えるのはむしろ、際限の無い自己批判の無意味さを具体的にメリットデメリット方なので、分析することが必要だと思いました。

 結局、基準を変更したとしても、そもそも批判ありきでは、どんな基準を設定しても、批判されてしまう不快感からは抜けられず、さらに、どんな形を持ってしても無慈悲な批判と、自己憐憫、不全感がついてまわってしまうように思えます。

 自尊心を破壊することができるのは、唯一、自分だけであるという仮定に基づけば、自己批判と完璧主義(その由来は幼少期にあるとしても)手放すこともたやすいことなのだと思うようになりました。

 その基準は、批判されることを前提としていないか、よく自問する必要があります。
基準は、自分に爽快感を与え、満足感を満たし、自己を成長させるために設定するものであり、決して、それを下回ったら批判を受けるべきものという、拷問のような仕組みではないのです。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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# by nichinichiso | 2015-10-06 18:48 | 言葉について
file708 不安・恐怖・混乱を無理にでも増強する態度という逆説
file708 不安・恐怖・混乱を無理にでも増強する態度という逆説
 
 Dバーンズ氏の、不安対策の本の中では、3つの治療技法の方向性(認知・曝露・隠された感情モデル)のなかで、曝露法(エクスポージャー)が、一つの大きな柱となっています。
 
 私が、いろいろやってみて思うの、とても大切なのは、、古典的曝露(すぐ再現できる場合の方法/無駄なスマホいじりをやめたいし、目の前にスマホがある場合)でも、認知的曝露技法(環境がなくてすぐ再現できない場合にイメージを使う方法/冬の海で船が転覆したらどうしようと不安)も取りかかったら、「より自分の不快感を高める試行錯誤、恐怖を2倍3倍にする試行錯誤、混乱で頭の中がいっぱいになり、洪水のように不安心身ともに震え上がる」ことを目指して、「自分で努力すること」です。
 どうしたら、自分はもっと頭がおかしくなるほど、不安が高まり、恐怖が身を震わせ、混乱できるのか?を、曝露中に考え、想像し、身体症状が起きるように「ひたすら努力」することを大切にしました。(笑)


 15分から20分ほど続けていくことで、大抵の不安恐怖は、体の芯から安堵に変わることがわかりました。(身体的変化です)
 
 否定的思考の信念に対する態度として、
 逆説の受け入れという、考え方は大切です。具体的には、、自分が考えている否定的思考・イメージは、①実は真実であり、もっと驚くべきことは、②自分が想像している以上にもっと凶悪なことを他人は思っているし、今後も起きてしまうのですそれを具体的に想像していくそして、もっと想像を進めることです。

 自分は、自分は口べただから、周りの誰からも好かれない、という信念(自分が信じて疑わないこと、ひっくり返せない堅い考え方)。があるばあい。

 ① 実は、その通りであり。かつ、忘れてはならないのは、 ②実は、自分が思っているのはまだ甘くて、周りの人だけでなく、言葉のしゃべれない犬や猫、亀、花、植物や、太陽からもその人間の本質を見抜かれ好かれ、「自分は悪い人間なんだ」思われてしまう、と言うことを受け入れようとする態度です。

 そこには、人間らしい発想と、ユーモアが自分を癒やしていくれるという、スケールの大きい自分というものが垣間見られると思います。
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# by nichinichiso | 2015-10-04 08:50 | 認知行動療法(CBT)
file 707 エクスポージャー(曝露法)強迫観念と回避行動のための
file 707 エクスポージャー(曝露法)強迫観念と回避行動のための

 先日、自分のスマホ買い換えに伴い、苛立ちが生じました。自分の傾向として、家電を買うと、他と比較したり、有効活用したりすることで、自分が買ったことが正しかったことを確認したくなる衝動に負けて、一月ぐらい、スマホ依存のようになっていました。いつも毎月1ギガも使わないスマホのデータを、8ギガも使っていました。

 他の人から見たらたいしたことのない、①お得に使わなくてはならない、自分は正しい買い物をすべきであるという、独特の考え方を、「強迫観念」とよび、②データ量をことさらに頑張って、8ギガ使うための苦痛に満ちた行為を「回避行動」と呼びます。

 私の、強迫観念は、完璧(完全)主義と呼ばれる態度に基づき、その背後には、そうでなくてはならないという批判と、恐怖があります。

 そのような場合、どうしたら、②回避行動を中止することができるでしょうか?

一つは、自分がやっていることが苦痛(目の疲れも含め)であることに気づくこと。
もう一つは、それをやめられないのは、回避行動であることを知ることです。

そうしたら、紙と鉛筆と時計を用意して、曝露法を始めます。

いつおなじように、すまほをいじりたくなるような環境を作り、衝動を感じます。

 その時、「スマホに触っていること」が回避行動ですから、触らずに、おいておきます。(不作為の努力)
 その代わり、時間(12:15)と、自分の「不安を点数(90点)にします」そして、そのまま不快感を味わい尽くします。(積極的な混乱を引き起こす努力)
 最初の段階では、強い不快感と、回避行動への衝動を感じるのがうまくいっている証拠です。あまり不快感を感じないようでしたら、回避行動をしている可能性があるので、意識的に衝動を焚きつけ、混乱を最大限にするように、意識的に努力します。(逆説的な努力、もっと混乱を!)

----------------

 そして、その時の思考を、時間軸に沿って、書いていきます。

12:00 80点 どうしてこんな苦行をしなくてはならないんだ。
12:01 90点 触った他方が、いいんだ、お得なんだ。
12:02 95点 もっと混乱と、生々しい恐怖を感じるにはどうしたらいいだろうか?
12:05 85点 肩が凝っている。目が疲れている。

12:07 80 からだがざわつく 。 少しでも多くのデータを使うことが、お得なんだ、買ったことの意義なんだ。
12:10 70点  自分は間違っていないはずだ。
12:12 60点 なんか眠気が出てきた。 不安なのに、何で眠気が強いのだろう?

12:15 30  お腹が減ってきた、眠気も強い。 当初感じていた、スマホを触らずにいられないいつもの気分はなんだったのだろう?こんな疲れているなら、休んだ方がいい。もおどおでもいいや!

12:17 15 終了



--------------

1ヶ月苦しみ続けたものに気づいて、曝露法をやったら15分で、気分が以前の機種と同じように扱えるようになりました。
独特の考え方を人は誰しも持っていますが、自分を苦しめるような、やっかいな行動につながるものは、本能レベルで

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# by nichinichiso | 2015-10-01 13:12 | 成功事例
file706 自分で紙に書くことの重要さ(言葉の直列性という特性)
file706 自分で紙に書くことの重要さ(言葉の直列性という特性)

 CBTをやっていて思うのは、可能な限り、自分で考え、ペンを持ち、手で紙に書くことの大切さです。
 もちろん限られた労力と時間で行うのですから、すべてはできません。

 しかし、紙に書き出すことは、思考を言語で表現するならば、その直列性という特性からして、紙に書き出して、一気に眺められる環境に置くことに価値があると思います。

 言葉は、基本的に直線で表現されます。日本語の文法や、思考の順序にそって、表現されるものです。
 しかし、認知というものは、実は、言語化する前に持っている、その人の基本的な物事に対する考え方や、ものに臨むときの無意識に起きている態度、と感じることが多いです。それは、一番感じるのはマインドフルネスの瞑想を行っているときです。

 言葉は、道具のように思えます。
 ですから、使い方次第です。
 頭の中だけで、コラム法を行ってみるのと、紙に書き出すのでは、全くインパクトは異なると思います。前者は忘れてはいけないというストレスがかかりますが、後者は少なくとも紙に記録されている時点で、そのストレスがないです。少なくとも、すべて自分が書いたものであると、客観的に皆が確認できることです。


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# by nichinichiso | 2015-09-30 19:09 | 言葉について
file 705 いくつも自分への問い(自問)を重ねていく(自動思考-信念)
file 705 いくつも自分への問い(自問)を重ねていく(自動思考-信念)

 自己否定的思考は気分を悲しくしたり、意欲を低下させたり、非生産的で、自己障害的ですごく有害ですが、一つの問題を解決しても、あらゆるタイミングで頭をもたげてくることは経験者であればわかると思います。
 あのとき克服したと思った、完璧主義的な考え方、自分は愛されてないんだという考え方、自分失敗者だという考え方と、それに伴う不快な気分は認知が歪んでいると言われたりします。
 以前から、この「認知の歪み」という言葉はあまり好きではなかったので、「残念な認知」という言葉を造ったりして言います。(造語)

 そもそも「認知療法」の「認知という言葉」ですら、個人が体験する感覚と言語や感情、行動、態度、ものの見方をざっくりとまとめた、「お洒落な言葉にすぎない」と書いてあります。そうなんだと思います。

 言葉(およびイメージも含まれる?)を使って、感じ方やものの見方に変化を与えられる点に着目しているのが、認知療法だと感じます。しかし、言葉はそもそも国が違ったり、日本語であっても、世代、時代で使われ方も異なってくるので、とても言葉のチョイスが大きな影響を与えることもあり、また、影響を与えられないこともある気がします。

------------------------

うつ病の再発・再燃を防ぐためのステップガイド 単行本 – 2009 星和書店

Peter J.Bieling (著), Martin M. Antony (著), 野村 総一郎 (監訳), 林 建郎 (翻訳)
------------------------

上記の本の中で、否定的思考、脅迫的思考が出てくるのは何度も出てくることが予想され、それには「信念」という、その人のものの見方の傾向において、何か弱い部分に触れた場合に、出てくることが多いという趣旨のことが書いてありましt。亜

 自虐的信念は常に存在するもの、否定的自動思考は具体的な出来事に反応して浮き上がってくる一時的なものとも言えそうです。

 その信念について、いくつもの問いをすることで、本当にその基準を自分に当てはめることが正しいのかを考えさえてくれるものがあります。


 上記本 p137で紹介されているのですが、私なりに書くと以下のようになり真5つの方向から自問してみます。

 1 今あなたの持っている、なんらかの基準は合理的で、意味がありますか?(合理性)
 2 その基準をご自身に突きつけることは公平でしょうか?(公平性)
 3 その基準がもたらす感情的結果はいいものだろうか?(感情良好性)
 4 その基準はあなたにとっていい結果を生むでしょうか?(行動良好性)
 5 その基準は、自分(あなた)が大切に思っている人にとってもどんどんお薦めできるものだろうか?(推奨可能性)


これらをまんべんなく満たす信念であれば、そう簡単に自分を苦しめないと思います。
言い換えれば、そのような基準でない(=合理的でなく、公平でもなく、感情を不快にし、行動を辛くさせる、他人にもお勧めできない基準だ)から、常識人である私たちは苦しむのだと考えられます。

 そうだとしたら、その信念は変えていくべきものだと言っても良いのではないでしょうか?

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# by nichinichiso | 2015-09-27 18:15 | 認知行動療法(CBT)
file704 報酬による目的達成(カフェインを減らす工夫)飲んでも、褒美
file704 報酬による目的達成(カフェインを減らす工夫)飲んでも、褒美


体に、あまり良くない気がする習慣を改善するときに、報酬をうまく使って成功失敗を繰り返しつつも、最終的に目標に達するゲームのような方法があります。
下記の本の中でも、ダイエットの方法で出てきます。p221 「罪悪感」 「キャンディとドーナッツ」ダイエット

 私の場合、カフェインをとって一時的に元気を出そうとする癖があり、長年の習慣になってしまい、疲れれば疲れるほど、缶コーヒーや喫茶店でのコーヒーで紛らわしている気がしていました。
短期的には、いいのですが、長期的に見ると、出費も多くなり、体も疲れてしまいます。


そこで、2つの角度から、長期間かけて1日いっぱいぐらいですむよう、カフェイン習慣を変えていきました。

1 いつも習慣的に飲んでいる、また、疲れたときについ飲んでしまう(缶)コーヒーを想定し、そのタイミングで我慢できたら、また、いつも飲むタイミングで行く喫茶店を行かずにすんだら、そこでかかった代金を、頑張ったご褒美として「全額自分のお小遣いとする」ことにしました。


2 、もし飲んでしまったり、立ち寄ってしまった場合でも、それは、目標に反することをやってしまったのですから、自分にとって辛い出来事であり、その慰めとして、また、そうはいっても目標に向けて依然として頑張っている自分へのご褒美として「かかった代金の半分をお小遣いにできる」としました。

上記1と2をくむ会わせながら、ある日はかなりお小遣いが貯まり、ある日は(飲む回数が多く)小遣いが少なく貯まる。
 そういう中で、ゲーム感覚で、減カフェインを進めました。


 結局、下記本の「罪悪感の章」に書いてある、お酒、たばこ、コーヒー、過剰なお菓子などやめてみたい習慣がある場合、自己コントロールができないという思い込みこそが、最大の、自己変革の障害なんだとすごくわかります。


 やめたい、と思っている以上、それに反する行為をとったら、どんな人でも多少辛いものです。むしろ、挫折感を感じて、「やっぱりオレは駄目なんだ」と思うことはとうぜんです。

 それを、ことさらに悪く感じさせるのは、「次は飲まないぞ」という、変な覚悟です。コレは自分を追い込むのです。
 むしろ、飲んでしまった、吸ってしまったその自分の辛さをおもんばかり、報酬を決めておいて、それを与えることの方が、遙かに長期的に見れば、全体として良好な方に進むと思います。

 上記私の例でも、コーヒーを喫茶店で飲んだ上に、さらに、その半額を小遣いとして自分に渡すのですから、ある時期は非常にお金がかかってしまいます。しかし、失敗時の報酬設定が適切であれば、本当に、お金も貯まり、カフェインも減らせるのです。
 罰を与えても、自己コントロール力は付かないというのは、よく言われることです。
 失敗したプレイヤーに、その失敗の小言と批判を言い続けてプレイヤーが上達するでしょうか?

 簡単ですが、奥深い思想があるように思えます。

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# by nichinichiso | 2015-09-24 20:02 | 問題解決のヒント
file703 自己批判的思考は最終的に自分の価値を貶める
file703 自己批判的思考は最終的に自分の価値を貶める

 自分がどのような状態であっても、自ら批判的の的にすることは、それ自体が自分を辛くさせるという簡単な経験則があります。
 非常に不思議なのは、自己否定を続けても自分を尊重する気分にはつながらないだろうが、それをやめられないという、苦しい状態を自分に許してしまうことです。
 
 自分がどのようにへとへとになっても、労われる事態でこそあっても、非難されるべき事態では無いという発想に、うつ状態では切り替えることができず、行動も自分に癒やしを与えるものになりません。

 コレは、単なる決心では変えられない、根深い問題でもあります。
 それを変えるのが、系統的な前向きな自己評価システムを作ることです。


 他人が自分を批判するならまだわかりますが、それ以前に、自分が自分を批判し続けることは、他人にはどうしようも無いという点では、非常にやっかいな自己完結的な思考と感情と行動の仕組みがあるともいえます。

 たとえ他人が自分を批判しても、それはその批判した人が間違っていることがあります。
 同様に、自分が自分を批判し続ける場合、その批判もまた間違っていることがあると思いませんか?

 自分が不快な状況にあるとき、いったい何を自分につぶやいているのでしょうか?
 人によって状況によって違いますが、共通しているのは、自分の気分をことさらに悪く(無価値に)感じさせる態度と行動を自分に課しているのではないでしょうか?


 自分は間違っていると主張するとき、そう主張することに、どんなメリットがあるのかをよく考えて紙に書き出していくことは価値あることだと思います。

 人は、何でもできる、全能の生き物ではありません。
 家事をやり仕事をこなし、子供を育て、親の介護をして、自分の課せられた勉強をしながら、昇進試験を受けて、近所づきあいをして、休日は日本中を旅して、睡眠時間も短くて、友人とのつきあいも欠かさず、ユーモアのセンスにあふれ、運動にも秀でていて、文化的に高度で、語学も堪能であることは難しいことです。書いているだけで、息が詰まってきます。
 一つの道だけでも十分、価値あることです。
 もし、暗に、自分に全能の生き物であることを課していたら、苦痛にまみれた気分であり、無価値だと思っても、仕方が無いと思います。どんな人でも、そうあることを強要されたら、すぐ壁にぶつかり、早かれ遅かれ挫折してしまうでしょう。
 そんな時は、全能で無いことを許してみましょう。それは、ポジティブな発想では無いですが、事実に基づいた、考え方では無いでしょうか?
 スーパーマンでなくても、多くの人はそうですが、人生を楽しんでいるのです。


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# by nichinichiso | 2015-09-19 19:34 | 認知行動療法(CBT)
file702 ダブルカラム法 批判-擁護 自己イメージとの関連
file702 ダブルカラム法 批判-擁護 自己イメージとの関連


簡単なCBTの技法に、トリプルカラム法があります。
紙に、日本縦の線を書き、左から 
1自動思考→2認知の歪み→3合理的反応

 と、埋めていきます。

もっと、私が好むものは、ダブルカラム法です。

コレは、用紙の真ん中に縦線を一本引き
2の歪みの形式を考えず、1→3と書くやり方です。


縦線の左側には、自己批判的(もしくは自動的)思考を書き、右側には擁護的(合理的)思考を書きます。

この方法がうまくいくと、かなり気分をコントロールしやすくなります。

自動思考と言われるものは、自己非批判的思考とも紹介されています。
そして、合理的思考は、自己擁護的思考とも紹介されています。

認知療法では、自分の行いに対する結果や過去の出来事に対する思考が、あまりにも自分を辛辣に扱い、批判的でありすぎ、さらに追い詰めるようなことを、瞬時に反復的に無意識で考えている傾向に着目しているように感じます。


そこで、難しいのは、自動思考(自己批判的思考)に対する、合理的思考(擁護的思考)が思いつかない。書けても、作文ライクであり、自分に落とし込めないものであることです。

 そこでの発想の一つは、「無理に元気になるような言葉を、考える必要は無い」また、大切なのは「真実・事実・客観性のあること・多くの人が納得する簡単な事実を認めるよう努力する」というものだと思うことがありました。(下記の本の中でも書いてあります)


例えば、就寝予定がが23時で、現在18時だとしたら、睡眠予定時間まであと5時間である。という自分の声かけは、真実であり、客観性の高い事実であり、誰もが、納得する考えです。また、自分でも、そりゃそうだ、と納得できるのではないでしょうか?

 それが、とても大切だと思います。

私の例では、

 <疲れているときに、昼ご飯をビール飲んで食べたらお腹が苦しくて不快である、だるくなったという出来事がありました>

------------
 1 自動思考
  何で、自分がよかれと思って休日にビールと、いつもよりかなり多い昼食を食べたら、苦しくなるんだ。あれぐらい食べららるはずだ。(→そう考えて苛立ちます)

------------------------- 
 3 擁護的思考
  ビール飲んで昼食食べたら、疲れている自分には優しいかと思ったが、むしろ胃腸には厳しい飲食だった。食べる量が多かった。(←これが、単なる真実なんだと思います)

------------
補足:
気分ががっかりしやすい人というのは、何らかの理由で、胃腸の限度を超えた飲食をしてしまったことを、ことさらに、食べる量の問題と捉えず、「オレはあれぐらい食べられない、弱い人間なんだ」「よく食べ、よく飲み、休日を満喫したいと思った目論見が外れ、自分は休日すらプランニングできない、能力の無い人物なんだ!」 と考えます。(私のことですが)

この補足にある部分が、感情を混乱させる一つ大元になっていると思えませんか?


 単に、疲れてたり、元々食の細い人が、多めの食事をビールの勢いで食べ過ぎただけなのに、その不快感故に、自分の休日の管理能力にまで、メスを入れて自分を評価することが、長期的に見て、いい物事の考え方でしょうか?

ちょっといつもと違ったら、自分に優しく、批判的にならず、まわりに良くあるものさし(常識とでも言いましょうか?)を利用して、自分へ声かけしてみるといいと思います。

 誰もが、自己イメージというものを持っています。自分はこういう人間だという、いい部分、悪い部分、衣食住および職業・休日・趣味・体力・気力・精神力・記憶力・学力…

 その自己イメージと、現実に起きたことが違うことは無いでしょうか?

 胃腸がこれぐらいでは悲鳴を上げないと思っていた自分が、疲れていると、食べられない自分になっていた。ということは、自己イメージの齟齬です。ただのズレです。

 それは、どんな人でもできないと思ったらできた、できると思ったらできなかった、という体験をします。

 それを、ことさら、自己批判的に捉えることは、辛いことです。長期的にも大きな損失になることが多いです。


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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# by nichinichiso | 2015-09-17 18:55 | 認知行動療法(CBT)
file700 うつ病でも、「怒り」は大変です。
file700 うつ病でも、「怒り」は大変です。

 「怒り」という感情は、非常にやっかいな部分があります。
 コレは、不正だ!という考えと基本的に対になっていますが、どんなレベルでの不正(法的、道義的、個人的)であっても、怒りを持続させることは、自分に苦痛を与え、惨めな気持ちを維持します。
 さらに、怒りを相手らに爆発させれば、後悔の念が押し寄せ、怒ってないようにないように振る舞っても、「怒っているいるから、こそそう振る舞っている」という自己矛盾を 抱え、怒りの感情に敏感になります。
 無力感や、自己充足感は、行動を変えていこうとする態度で、けっこうものに出来ますが。怒りは、除去する過程が非常に難しいものがあります。

 基本的には、怒り続けることのメリットデメリット分析や、怒りを除去することのメリットを考えてみるというのは
 バーンズ博士の本でも推奨されていて、役立ちます。


「怒り」がスーッと消える本―「対人関係療法」の精神科医が教える 単行本(ソフトカバー) – 2011/5/10
水島 広子 (著)


という本も読んでみました。

 対人関係療法という治療法の水島先生が書いた本です。

 けっこう怒りに特化している部分でCBTと同じような発想や、”feeling good”の第7章「あなたの怒り指数はいくつか」への考え方、と同じような考え方やもののとらえ方もありますが、日本人による著作のせいか、または、対人関係療法(IPT)ゆえのものなのかわかりませんが、新しいものの見方が出来る本だと思った、と思ったので紹介します。

 「怒りの型」という整理は気持ちがいいです
 1 予定狂いの怒り
 2 心の傷(心傷*)の怒り
 3 我慢の怒り

また、全体を通して、怒りの発生原因、継続原因、終了原因 と捉えられるような骨組みがあるように見受けられました。

 人はどのようにして、怒り出すのか?
 どうして、怒り続けるのか?また、再燃するのか? 手放せないのか?
 いつ怒りは終わるのか?どういう形で終わるのか? 

 問題解決と怒りは関係があるのか? 
本当に、怒るほどの実害があるのか? ある場合に、当該問題に加え、自分が怒りながら、その問題を解決するのは大変であるということも書いてありました。

 バーンズ博士の パニック(When panic attacks)の本(星和書店)にもありましたが、 怒り続けているので困るのは、怒りの相手ではなく、自分であるということも書かれていました。

 私自身、携帯電話を買い換えたときに、なにやら店員の説明間違い(確認済み)で、全く予想と違う契約を結んでしまいました。(予定狂いの怒り)
 これは、このところ考えたことも無いぐらい、いらだちました。
 また、この携帯電話1年使っても、解約に27000円もかかるらしく、もう、嫌でも使わざるを得ません。(使うべきと思いたくないのですが、すぐ解約すると40000円かかるらしいです)
 うんざりするような気分と、サポートセンターや、その代理店などいろんなところに相談しても、気持ちよい謝罪が無く、怒りが続いています。そんなときに、ネットで探して買って読んだ本です。
 せっかく買ったスマホも、見るたびにいやな気分になってしまいます。そうなる前に、読んでおくといいと思います。

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# by nichinichiso | 2015-09-08 16:07 | ストレス源
file699 否定的(抑うつ的)思考と肯定的(擁護的・合理的)思考
file699 否定的(抑うつ的)思考と肯定的(擁護的・合理的)思考

 特定の出来事について、抑うつ的に考えると、気分が悪くなるというのは、CBTの基本的考えです。
 ですので、肯定的、現実的、自己擁護的に考えることで気分が変えられるというわかりやすいセラピーです。

 その出来事に対する、「合理的思考」というものが、出来ないで苦労することも多いと思います。

 私も、そういうことは何度もあります。

 感覚的には、合理的な思考を書き出してみると、『何となく作文だけして、自分の中に入ってこない』文章だったりします。
 国語的には間違っていない作文で、他人が見ても、良く出来ていいる合理的思考なのですが、当の本人の気分を変えることの出来ない文章だったりします。


 そういう場合、極端にプラスに持って行こうと頑張りすぎてしまい、自分の中に落とし込めない言葉になってしまっていることが多いです。

 例えば、
出来事:
 就職の準備を進めているが、現在働いておらず、どういう職種が合うのかもわからない。

a
否定的思考: このままでは、いっしょうじぶんの「適性にあった仕事』が見つからないだろう。

b-1

合理的思考: 適性にあった仕事が、見つからなかったとしても、仕事だけが人生ではない。どんな形でも、仕事に就けば、おもしろいこともあるし、給与が得られることは何にも代えがたいものだ。

bの合理的思考は、どことなく、合理的に読める作文ですが、私的には、体の芯に響くような気分の変化を起こしません。

そのような場合、もっと、自分が抑うつ的に考えているレベルを-10だとしたら、-5まで持って行けるような「ちっちゃな思考」ことを考えていけるといいと思います。上記
bは、+10の気分まで引き上げようとする一発逆転を狙う、無理さを感じています。


 ですので、改めて、 考えてみると

b-2

現段階で適性がわからなくて「当然である」。→気分がほっとします。
疲れやすい現在の状況で、職業適性を考えると、思考が抑うつ的に傾いても、「それは仕方がないことである」。→コレも、精神的に楽になります。

こういう感じで、b-1はある種濃く語句の回答のような作文になっていて、自分に役立たないと思ったら、もう少し否定的思考を少しだけ(大きくではなく)緩めてあげるような思考を持つことが、心身を楽にする「生きた言葉」になると、思います。


自分で、作れない場合は、他人に聴いてみる必要があると思います。

合理的思考は、自分をしっかり楽にする必要があります。そのためには、作文内容にこだわるのではなく、本当にどのように自分に声かけすると、気が楽になるかを、考えてみる。および、どのような否定的思考を持っているのかを明らかにすることが大切です。
 明らかに、普通の人でも悩むようなことを、抑うつ的な傾向がある人の場合は、悩みがちになってもそれはある種「当然」のことなのです。(なぜなら、普通の常識人でも、気が重い出来事だからです)



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# by nichinichiso | 2015-08-18 19:47 | 自分を知る
file698 至らない自分を許すマインド(完璧主義について)
file698 至らない自分を許すマインド(完璧主義について)

 どこかのHPを見ていたら、参考になることが乗っていたので、紹介したいと思います。
 
 完璧主義というのは、やっかいな信念の一つです。CBTで言う、自虐的信念です。

 とはいえ、メリットもあり、デメリットもある「考え方の一つ」です。
 メリットは、やはり、「動機が(短期的でも)高まり、力を出そうと努力できること」だと思います。
 コレは、長期的には、無理でも、短期的に達成が出来ることは、嬉しいことです。
 とはいえ、毎日コレを繰り返していると、へとへとになったり、長期的プランが必要な物事については、簡単に達成できないので、不全感を覚え、大きな巨大な目的(目標)が、短時間で、あっという間に成功させられなかったことにうんざりし、自分は無能だと感じやすくなります。

 このとき、めげるのではなく、うまくいかなかった自分を癒やす言葉が必要です。
 完璧主義は、より良くなりたい自分の現れという側面があり、何かしらその出来なかった自分(至らなかった自分)を、いたわることが大切だと思うようになりました。

 その時に、
 1 より良くなりたい自分(マインド) だけでなく、←完璧主義の要素です
 2 至らなかった自分を許すという自分 (マインド)

を自分に言い聞かせ、「至らなかったことを許そう」、とつぶやくことは、非常に有効です。

至らなかった自分を責めるのではなく、至らなかった自分を許すことに、パワーを使い、時間とエネルギーを注ぐことが大切です。
すぐに出来なくても、一つでも、許してあげることは役に立つと思います。

完璧に、または、予想通りに進まなかったことを許さないことが、自分に本当に役立つでしょうか?しっかり許すことも大切だと、私は思いました。



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# by nichinichiso | 2015-08-16 16:42
file697 自虐的信念も、一つの思考(言葉の塊)にすぎない、という発想は本質を変える
file697 自虐的信念も、一つの思考(言葉の塊)にすぎない、という発想は本質を変える


 認知療法の本(いやな気分よさようならや、不安もパニックもさようなら(いずれも星和書店)を読んでいて、下向き矢印法*で、暗黙の仮定を見つけ出したり、自虐的な信念と呼ばれる(完璧主義とか、業績主義、」承認欲求性、愛情必要性などの信念)ものを見つけ出して、それを、書き換え、さらに、現実的に検証してみるという方法は、いくつも技法が乗っています。

 その中で、あるときに、自分のこころに妙にに引っかかるというか、ほっとさせられる文章というものが、本の中にあります。
 
 その一つが、私の場合「そういう信念を持つに至ったのは幼少期の人間関係にあるとしか、言いようがない」(それ以上は、難しいから深入りしないという感じ)の記述が、ありました。

 自分の日常生活上で、CBTを生かそうとするとき、自分をリラックスさせられる、簡単な文章を持つことは、有意義だと想います。
 
 初めからうまく出来る人はいない。
 日本語が話せれば(うまく話せなくても)かまわない。
 緊張は、強めのかゆみにすぎない。
 伝えたいことの半分でも伝われば十分である。

 など、自分なりの、簡単なフレーズが見つかってきます。


 そういうことを積み重ねていくうちに、あるとき、上記の「信念も、幼少期に何らかの理由で教育された、一つの考え方にすぎないのだ」という発想が、すごく自分を楽にすることを見つけました。
 
その時は、気持ちが、ぐっと、軽くなるのが身体レベルで生じます。

 そして、その幼少-青年期に学んだ何かしらの信念というものは、言語的には、言葉の塊(思考の一つ)として、検証能力、洞察能力、相手の事情を知る力を持たない幼少期の人間には、あたかも、絶対普遍で世界を統一的にはかれる(道徳性も含めた)、ものさしであり、ルールであるように見えます。
 しかし、実は、そうではないと言うことは良くあることです。
 なぜなら、その教育をした人自身の、困っていることや、引け目だったり、恥じている部分だったり、欠けていると思っているものを「よかれと思って」教えようとしたことの場合が多いからです。
 大抵、そういう動機から出た「教え」というものは、狭量なものであり、未来志向ではなく、将来予測できない人間の営みにおいて、うまく適応できるための、開かれて、柔軟な信念を持ってほしいと言うよりは、極めて限定的だったり、技術的だったり、能力における高さという、狭くて、融通のない信念を持たせることであったりするのです。熱心な教育者であるあまり、自分の抱えている問題が、普遍的に自分の子供なりにも大切な問題になる「はずだ」と誤解して教育してしまう例です。

 そういうことをうまく覆す言葉を持つことは、非常に、認知療法の中で自分の気分の安定に役立ちます。
 自分の信念は、所詮教育上得た一つの考え方にすぎないのですから。





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# by nichinichiso | 2015-07-26 16:26 | 自分を知る
file696 マイナス化思考・メンタルフィルター(認知の歪みの一つ)のメリットデメリット分析と二重の基準
file696 マイナス化思考・メンタルフィルター(認知の歪みの一つ)のメリットデメリット分析と二重の基準

 マイナス化思考とは自分のプラスの資質が、取るに足りない、たいしたことが無いことだと頑なに主張する態度を言います。
 また、こころのフィルターとは、マイナスのことばかりくよくよ考え、プラスのことを間引く態度を言います。


 これらは、自分の努力いいことことがあっても、自分の手柄では無いのだと主張する態度、もしくは、自分の手柄だと受け入れない態度ともいえます。


 控えめな態度という、美徳ともいえますが、行きすぎると、「何をやっても、自分の手柄だと思えす、自信が付かず、満足も生じないという、不幸な結果を導く」態度です。


 こういう認知の歪みや、態度というものは、私自身が強く持っているものです。
 では、こういうことをどうするかというと、最近は、メリットデメリット分析にかけてみるようにしています。


① 〈嬉しい出来事、褒められたこと、手柄と一般的に言われることを自分が受け入れないことの長所はなにか?短所は何か?自問します〉


長所:
1 常に、高みを目指す動機となる。
2 簡単に満足せず、目標が高く、最終的に大きなものを得られる気がする。
3 控えめな態度が、周りを安心させる。
4 自分の手柄だと、主張しないことは、批判の的にならないですむ。
6 自分の力だと言えば、高飛車に見える。


短所

1 受け入れないことで、自分の能力が、本当はどこまでが出来てどこまでが出来ないことなのか実はわかっていないことになる。
2 自分の行ったことで、自分が満足できず、他人の承認ばかりを要求する。
3 他人に褒められても、控えめすぎて、周りの人もうんざりする。(褒めてるのに、あんまり喜ば無い人)
4 受け入れてしまうと、次も同じようなことをやらなくてはいけないと思うと、負担である。
5 自分の手柄を認めると、誰もがそのようなことを要求し、私は疲弊しきってしまう。
6  自分の手柄を認めると、私は常にその期待に添わなくてはならず、24時間戦えない。
7 出来たそばから、次の目標を設定しまい、嫌気がさし、動機が維持できない維持できない。無力感。

長所と短所の比較
3:7で短所が大きい。


とするならば、どのように、上記を合理的な自分のものにすることが出来るのだろうか?

自分の手柄を、自分のものとして「受け入れるための」信念修正(良い点を残し、悪そうな点を薄める)に取りかかります。二重の基準も使ってみます。(親友がそういうことを、頑なに主張してきたとき、どのように、その人に声をかけ、安心させてあげますか?)


 確かに、あなたのような、控えめな態度でありながら、熱い情熱をもって高みを目指すというのは、かっこいい姿ですね。それ自体、誰にも、否定されないことだし、あまり、針小棒大に自分のやったことを話すのも、みっともないというのも対人関係ではよくわかる。
 とはいえ、表面的にそういう態度であっても、内面的にはあなたのの行為が影響を与えて生じた、何らかの出来事だと評価して、自分を褒めることは、重要なことだと思う。周りからも、ちょっとしたことで喜ぶ方が、褒めごたえもあるし、それを、実力と思ってもらえれば、褒めた人も嬉しいと思う。
 また、一度出来たことは、確かに再度要求されるかも知れないが、常にその期待にそうひつようはない思う。また、とてもいい出来事というのは、自分の力もさることながら、いろんな人や環境や偶然も重なって起きていることだから、そのあたりのことは、ふつうの人にもわかることで、周りの人もそういう要求はしてこないことがほとんどで、そういう要求をする人は、その人自身に、何か問題が起きていることが多いものですよ。
 むしろ、あなたは、自分に厳しすぎて、本来の資質を伸ばせなくなっていることの方が、自分にはもったいないと思う.


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# by nichinichiso | 2015-06-17 17:32 | 言葉について
file694 本当に、認知は歪んでいたのでしょうか?
file694 本当に、認知は歪んでいたのでしょうか?

「認知の歪み」という言葉は、認知行動療法の本では良く出てきます。 認知的エラーとか、認知バイアスなどとも呼ばれます。

認知療法(認知行動療法)を進めていくと、いろいろ発見があります。
私が自分のために、好んで使う技法はいくつかあります。

1 大野先生の、コラム法(こころのスキルアップトレーニング参照)
2 暗黙の仮定を知るための下向き矢印法。
3 ものごとを、私がそう考えることの「メリットデメリット分析」
4 不安のための「隠された感情技法」
5 ダブルカラム法(自己否定VS自己擁護)
6 満足度調査


そういうことをやってみてバーンズ博士の本で言われる10の認知の歪みなるものが使われないことはまず無いです。


しかし、最近よく思うのは、本当に「すべき思考」は不要のものだったのだろうか「罪悪感」は持つべきでは無かったのか?
マイナス化思考、感情的決めつけ・全か無の思考、拡大解釈、結論の飛躍などなどは持つ必要が無かったのだろうか?本当にメリットの無いものなのだろうか?と考えることもあります。


 なぜなら、ある短期間であれば、「やるべき」だと思うことが、パフォーマンスを上げる動機を強めるからです。
 また、完璧であることを大切にすると、短期的には、心地よかったりします。モチベーションを高めますし、細かいところまで意識を配れます。
 感情的に決めつけることで、将来起こるかも知れない危険を回避できるかも知れません。
 人生をマイナス化思考で覆うことで、自分が「目立たない存在」でいられるかも知れないと思うのです。または、良いことを求めて、飽くなきチャレンジャーになる動機になるようにも思えます。


 そう考えれば、10の認知の歪みが、現在は自分を苦しめているとしても、これほど「自分を高めようと努力する動機付けを持たせる考え方」もなかなか無いとも思えます。


気分障害なり、不安障害というのは、思考に障害があるとも言えますが、それは、実は、環境をより良くしたい、より自分を高めたい、他人にもよかれと思って身につけた、実際的な考え方とも言えるのではないかと思うことも多いです。

 そう考えると、結局、人間はすごいものだと、思うことが多いのです。より良くしたい、自分を大切に、環境を大切に、他人を大切に、調和を大切に、しようとしたことで、皮肉にも、自分が苦しんでいるだけなのです。
 よって、結局、何かの役に立つことを自分なりにやることにはとても長けている存在ですから、自分を癒やすことにもきっと長けているのではないかと思うのです。(重要)

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# by nichinichiso | 2015-05-24 16:21 | 成功事例
file693 ネガティブ 2min
file693 ネガティブ 2min


自己否定的(批判的・自虐的)な「思考」がいかに自分を苦しめるかを具体的に知る方法として、私が行っているのに、時間を区切って、不快な、現実の悩み事を集中的に考えてみる方法があります。これは、よくCBTの本でも紹介されいます。

 結構、効果があります。
 通常、自己否定的な思考(自動思考)は、調子が悪ければ悪いほど、自分を蝕んでいきますが、意識的に行うことで、「有害さ」を身をもって知ることが出来るというメリットがあります。
 私の場合、3分のタイマーをかけて(これが重要です)、だまされた気分でやってみました。

 意外に、調子の悪いときは、あれだけいろいろ否定的、また葛藤的思考や言葉が出てくるのに、いざ、時間を区切ると出てこないことに、驚きました。それでも「挑戦」することが大切です。時間を無駄には出来ません。どんどん、自分を追い込む「いつもの言葉」をかけていくよう努力します。
 あいつが悪い、あそこでああいう態度をとる人の気が知れない、あの事件が無ければ、または、俺(私)が悪かった、自分の欠点だ、自分の職能、生活態度、意志の強さが足りない、環境が悪い、特に、幼少時が悪い………… とにかく、思い浮かばなくても、難癖をつけるぐらいの気持ちで、「否定的、自己批判的、ネガティブな」思考をつづけることが大切です。


 そうすると、自分が、非常な不快感に襲われることが、私の場合は、よくわかります。
 身体レベルでの緊張だったり、頭が締め付けられる感覚だったり、絶望的な未来を感じることが出来ました。

 そして、3分は長すぎる、2分が限度だと思うようになりました。


 意識的に、行う否定的思考は、私の場合2分が限度です。

 それほど、体に悪いことだと言うことがわかるのは、とても大切なことだと思いました。

 これほど、自分の思考が、自分を苦しめることがわかる、技法も、珍しいものだと思います。

 そういうことがわかることは、非常に有意義でした。


 もし良ければ1分でも、2分でも、タイマーで区切って、意識的に、自分を否定してみてください。自分の存在をめった打ちにしてみてください。また、他人をこき下ろしてみてください。その時の、自分を観察してみてください。
 最後には、やっていることのすごさに、笑いが出てしまうかも知れませんよ。


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# by nichinichiso | 2015-05-24 15:58 | 言葉について
file692 本の紹介: バイポーラー(双極性障害)ワークブック モニカ・ラミレツ・バスコ
file692 本の紹介: バイポーラー(双極性障害)ワークブック モニカ・ラミレツ・バスコ

 半年前から、いつも紹介している自助本に、「いやな気分よさようなら」(Dバーンズ)がありますが、そのほかに利用している本があるので紹介します。

双極性障害についての本です。野村先生が監訳している本です。

--------------

バイポーラー(双極性障害)ワークブック―気分の変動をコントロールする方法 単行本 – 2007/6/15
星和書店
モニカ・ラミレツ・バスコ (著), 野村 総一郎 (翻訳), 佐藤 美奈子 (翻訳), 荒井 まゆみ (翻訳)
---------------

安くは無いですが、単なるうつ病であっても、自助本として、読む価値はある本だと思います。

刺激というものが、どのように、ここの病気を誘発するのか、どう対処したら良いのか、具体的に、書いてあります。

基本的には、やはり認知行動療法の本です。

ちなみに、Dバーンズ博士の本の、ほかの本も、不安対策の本などもあります。こちらも、本棚に置いておいて、損は無い本だと感じます。

もし興味あれば、目を通してみてください。


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# by nichinichiso | 2015-05-21 16:33 | 参考図書
file691 罪悪感を持つことのメリットデメリット分析
file691 罪悪感を持つことのメリットデメリット分析

いろんな場面で、すべき思考が高まると、罪悪感すら生じてくることがうつ病等の気分障害ではあります。
自分は働くべきだ→働けてない自分は悪である。
自分は親に迷惑をかけるべきではない→そう考え罪の意識を持ちます。
自分は優秀であるべきだ→病気に罹患したことすら優秀さを否定するものと思い、辛くなります。

そのような自分を貶めるような感覚を持つことは、よく見られることです。そこで、その良い悪いではなく、メリットと、デメリットを自分なりに考えてみました。罪悪感を維持続けることが悪いことだと決めつけてしまっては、問題解決としては論理的ではないかも知れません。(役立っている点にも目を向ける方が、良い気がします)
 

《罪悪感を持ち続けることの長所と短所》

 長所
 1 自分が、そういう感覚を持ち続けることで、将来的な失言や、暴力をすることを防げる
 2 罪悪感を持ち続けることで、自分が間違った道を進まないですむ。
 3 再度同じ間違いをしないですむ気がする。
 4 罪悪感が生じた事件に、責任をとれるような気がする。


 短所
1 罪悪感特有の苦痛感で精神を病む
2 精神的にへとへとになり、さらに、身体反応まで出る。
3 緊張感を維持し続けなくてはならないので、体が疲れる。
4 罪悪感の原因を考えることに時間を費やし、生産的なことが出来なくなる。
5 本来自分が持っている力が、実は出せなくなっている気がする。
6 罪悪感が、本当に、罰せられることなのか、吟味する余裕すらなくなる。
7 本当に間違ったことをしたときに、自分を責めるだけでは、本当の解決にならない(気がする)。



というような感じで、 分析してみました。

 それをどう考えるかは、各人によるところだと思います。また人によって、長所短所は違ってくるんだろうと思います。参考までに、私が思いついたことです。


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# by nichinichiso | 2015-05-13 16:58 | 自分を知る