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file327 精神疲労をいつ認めるか(どう認めるか)
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精神疲労をいつ認めるか(どう認めるか)

以下はは、私の個人的なこころに関する、見解です。

精神疲労を溜め込んだゆえに、うつ病(状態)になったという仮説に同意できることが前提になります(下園氏の主張・参考図書参照)。

なぜ、そこまで精神疲労がたまるまで、対処しなかったのかという疑問が生じます。

1 ひとつに、精神疲労をためるような環境に長くおかれていたので、その感覚が鈍っているということがあると思います。

2 次に、精神疲労を認めることが、自分の敗北を意味すると感じる(解釈する)場合があると思います。

私は、この2点に注目しています。

1 は、精神疲労をためない環境作りが大切になります。
2 は、精神疲労は、敗北ではないという価値観が必要になります。


1について
精神疲労にさらされる可能性が強い場所に、長時間さらされることは、安全とはいえないと思います。

 
2について
敗北感というのは、大なり小なりつらいものです。そのつらさを回避するためには、敗北感を無視する必要があります。そのような心の仕組みが「うまく出来上がっている」場合、精神疲労を認めることは、困難なことになります(精神疲労自覚の困難性)
→(俺(私)はまだ負けてない、俺(私)はまだ疲れてない、俺(私)はこれぐらいでは疲れないという感覚)。

しかし、何かしらの身体上の理由で、主観としての精神を支える物質としての脳みそが疲労していることは事実であれば、それは、精神力(気合・気持ちひとつ)では乗り切れない状態にあると思います。

骨折した足では、そのまま歩くことに困難が生じるのと同じことだと思います。

いかに早い段階で、精神疲労を自覚するかという問題は、いかに安全な精神状態を維持して、かつ、主観的な敗北感なく対処をとるという行為につながります。

そのためには、多くの通常の精神の持ち主なら、つらい環境(幼少期・成人期・目的・人間関係・会社関係・学校関係・競争・すり込まれた動機・すり込まれた価値観・締め付け(ルール)の厳しい生活)を経れば、「誰だって精神が疲れるよ・疲労感覚も鈍るよ」という実例を知ることが有効のような気がします。

もちろん、ご自身の体験(ご自身の精神疲労の事実)は、まちがいなく実例のひとつであることは重要だと思います。

そのようにして、精神疲労に敏感になり、主観的敗北者ではなく、上手な対処者になることを目指したほうが、治癒・回復・成長に早道のように思えます(主観の変更)。

まとめ:
1 精神疲労=敗北
       ↓↓
2 精神疲労→休息・対処

1のような感覚を持つ場合、2のような対処ができるように、主観を変えていくという方向性。


関連記事:
file326 うつ病の本体、精神疲労の自覚
http://nichinici.exblog.jp/2255948/


file315 今まで,何を見て生きてきたか。
http://nichinici.exblog.jp/2136070/


ストレス軽減の環境
http://nichinici.exblog.jp/1690870/

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by nichinichiso | 2005-12-21 18:16 | 問題解決のヒント
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