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file701 疲労と感情(自分に苛立つ人) 
file701 疲労と感情(自分に苛立つ人) 
**** この記事は非常にうつ病にとって重要だと思うので、しばらく一番上に持ってきます。 元日時150915

 疲れたということがわかるのは、自分の感覚です。
 その疲労感にどのような感情反応を起こすかで、人生は全く異なってくると言っても過言では無いでしょう。


 認知が歪んでいる場合は、自分が何かしらの活動で疲労した事実に対して、苛立ったり、しょげたり、悲しんだりします。
 そこには、そういう気分になる、「何らかの思考」とか、「疲労という事実に対する主観的態度」(これらこそが認知ですが)があります。

 認知に歪みがある場合、自分に対するご褒美と言うことの意味がわからなかったり、ネットで、疲労解消法を探しまくって、やってみてもいまいちだったりします。

 その一つの大きな原因は、「疲労すべきでは無い」そう考えて、「疲労したことに苛立ったり、怒りを持ったり、自責的な気分になっている」場合があります。

 およそ、こう考えることは、癒やし、ねぎらいという言葉とはほど遠い、感情のあり方ですから、どうしても、体の芯から休めません。疲労解消の方法にこだわってしまうのです。
 まるで、疲労が、親の敵であるかのように、疲労解消法を試しても、それは、どこか矛盾を抱えています。疲労解消の努力で、疲労していくようなものです。


 上記は、私自身が感じていたことです。

 しかし、一歩下がって考えてみると、「自分が(何らかの理由で)疲労していること」は紛れもない事実であって、それは、ねぎらわれるべきことであり、そこまで頑張ったことを認められるべきであり、優しく対応されるべきものであり、決して、責められるべきことでは無いのです


 責められるべきことだと思っているから、「こんなことで疲れては駄目だ」とか「もっと出来るはずだ」と言う理屈の流れになって、感情が混乱します。
 一番責めているのが、自分だからこそ、根が深い問題を引き起こします。

 一つ一つは、取るに足らない小さなことでも、いろんな理由で、人は疲れます。
 それは他人と比較することでは無く、主観的なものです。


 そして、その疲労に対して、まず、自分が優しくなり、結果とか、成功失敗などという努力の成果のようなものよりも、むしろ現状疲れている自分に対して、滋養と癒やし、を与える優しさを持つことが必須です。
 
 自分に厳しいことは、短期的には、せいかを残せるかも知れませんが、長期的に見れば、体をこわします。


 そういうことは、うつ病に罹患したことにもいえます。

 うつ病なり、何なりと言われるほどの症状が見られるのは、責められることでは無いという感覚を持つことは、非常に重要です。そして、一番責めているのが、自分では無いか?問うてみる必要があります。

 自分に対して、優しくすることが、本来病気を治す上で一番近道なんです。
 それを、なぜか、自分に辛辣にすることが人生の態度となっている人が多いです。


 病気にかかったときの状況というのは、およそ、信じられないくらいの出来事に囲まれていたと思います。一人一人状況は異なっていても、環境の中で、自分なりにベストを尽くしても、自分を守りきれなかっただけなんだと思います。それは、その人の、良さと表裏一体をなす部分が、病気と関係していると思います。



 だから、治るときには、その自分の良さを捨てないといけないような、一種の錯覚に陥る気がします。
 しかし、本来、その人の良さというものが、その時は病気につながったかも知れないが、次回そのような事態になったときは、もう学んでいるので、二の轍は踏まないとおもうのです。

 疲労感に対する態度は、病気と関係があるように感じます。

 主観的に疲労を感じたとき、まさに、その時こそ自分に優しくする「べき」であり、厳しくしたり苛立ったりしするなんて、論外で、人でなしであると思えるようになれば、疲労が怖くなくなると思います。
 そして、より疲れにくくなり、自分の健康が高まると思います。

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by nichinichiso | 2015-10-15 19:51 | 自分を知る
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