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file714 「やるべきか否か」ではなく、「やる価値の有無」を自問する
file714 「やるべきか否か」ではなく、「やる価値の有無」を自問する

 気分障害、うつ病、不安障害などでは、症状として「やるべきか否か」の検討で、疲弊していくことはよくあります。
 その思考は、繰り返されるほど理由のわからないエネルギーを使い、答えが出なくなります。
 背景には、「恐怖」があることがあります。


 例えば、低血糖症だから、一切炭水化物を抜くべきだ、という方法がある場合、それが、効果的でないようだったり、自分の体に合っていないとか、変な感じがするときにも「抜くべきだ」いや、「食べるべきだ」という、迷いが生じます。
 または、自分は食べたら治らない、という強迫観念の元、禁止することもあると思います。

 その効果は人によって違う場合もあるのではないでしょうか?炭水化物を抜くことであっというまに、うつ病が治る人もいれば、治らず、むしろ「抜くべきだ」というすべき思考に強迫され、日々の生活が、炭水化物との戦いに明け暮れ、おびえて生活するほどになると、外の方が多くなってしまいます。
 話がずれました。上記のような場合は、炭水化物の恐怖に支配されていないかを確認する必要があります。
 私の場合、ひどい低血糖症と言われ、精神科医からは、トラウマになるからその検査自体を中止すべきだったと説明を受けました。そういう考えもあるのかと、検査から数年後に、はっとさせられました。
 

 やるべきか否かと考えてしまうのはいくつか理由がありますが、最終的には、自分で責任を負わなくていいというメリットがあります。しかし、本来、不快なすべき思考は、他者からの押しつけだったり、自虐的信念に由来する産物ですから「強制される¥という感覚を生みます。強制されることは大抵不快です。
 その時、自分は、今考えていることを「やる価値があるか否か」を自問することで、答えが見えてくることがあります。
 そして、もしやる価値がないと思う場合、それにはそれなりの常識的理由があります。しかし、それと同時に、その判断に従うことに、恐怖を感じることも多いです。
 本来、現状、自分が進む価値のある道(選択だ)と(うっすら)気づきながらも、過去からの経験や、権威者の言葉、自分の意見の変更をすることにたいする、いろいろな恐怖が生じます。

 しかし、それは、単なる一過性の不快感にすぎないので、自分の常識的感覚大切にして、やる価値のあることをすべきことより重視して、踏み込む勇気が大切になってきます。
 その件について、関係性のある人には、それを伝達して、表出することが大切です。大抵、常識的、理解が得られるものです。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-10-17 12:13 | 問題解決のヒント
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