カテゴリ:自分を知る( 40 )
file 718 明日の アルバイトに行ける気がしないのですが(感情的決めつけ・結論の飛躍) 
file 718 明日の アルバイトに行ける気がしないのですが(感情的決めつけ・結論の飛躍) ロールプレイ 声の外在化


A しんどくて、明日のアルバイトにいける気がしないのです。 

私: Aさん、それは、どういうことですか?

A:  自分でもおかしいと思うのですが、明日アルバイトが予定に入っているのですが、前日の午後からすでにこんな調子が悪ければ、行くことができないと思うと、気分が辛いです。

私: まだ明日の朝にすらなっていないのに、前日の午後に調子が悪いから、明日元気になっている保証がないと言うことですか?

A: まあ、そんな感じです。

私: Aさん御自身も「おかしい」とおっしゃってますが、そう思うときに、どのようなことをお考えになっているか?そのメリットという点から、教えて頂けますか?

A:うーん…・・。… そう感じるんです。こんなに調子がいつもと違うと。

私:調子がいつもと異なっているんですか?いつものアルバイト前日とどう違いますか?

A:いつもは、アルバイト前日に、翌日のアルバイトのことなど考えないのに、不安なんです。

私: その不安になる理由につながりそうなお考えはありますか?その瞬間に、どんなイメージを持ちましたか?

A: 敢えて言うなら、何となく、「明日行けないだろう」と考えることで、当日、もしいけなかったときに、ショックが少なくなる気がします。
私: なるほど、「アルバイトにいけないだろう」と予測して、現実にいけなかったら、理由はどうあれ「当たり!」ですものね。しかし、本当に、あらかじめ否定的な未来を予測しておくことがが、ショックの緩和につながりそうですか?

 言い換えれば、①今の体調でもいけるだろうと考える、または、②いけるか行かないかすら考えないという方法があると思うのですが、①②を採用してしまうと、アルバイト欠席したときに、そのショックが「行けないと予想したときより」大きくなってしまいますか?

A:それはわかりませんよ。実際、いけないだろうと思ってしまうのですから。(怒り気味)

私:ごめんなさい。Aさんを苛立てるつもりはないんです。 なんというか、実際、どんな人でも出勤予定であるのに、欠勤したら、風邪とか体調不良で仕方が無い理由だったとしても、ショックは受けるのではないかな?と思うんです。私自身、そうですから。

また、Aさんはこれまで、いろんな理由できついときも、アルバイトは休まれてないと聞いてますが、それは事実ですか?

A: そうですね。休んでないです。腰が痛いときも、何とかごまかしつつ、出勤して、適当にやってきました。

私:そうであるならば、いける可能性も大いにあるのではないでしょうか?これまでの実績的には。

A:実績的には、そう思いますが、今回は違うのです。それ以上の何かがあるような気がするのです。

私:具体的に、どう違いますか?特別に感じる事情はありますか?教えてもらえると助かります。

A: 昨日もそうだったのですが、風邪を引いていて、気分も抑うつ的なんです。また、オーバートレーニングで肉体疲労が進行してしまっているのです。今までこういうことは無かったので。いつもと違うんです。

私:なるほど、風邪っぽいこととオーバートレーニングは関連がありそうですか?

A:はい、あるように思えます。やはり、頻度が多すぎるトレーニングをやり過ぎたので、代償が大きいと感じます。

私:それであれば、本当に結構な風邪なのかも知れませんよ。体力が実際落ちていると、些細なことでも風邪をひき易くなりますし、治りにくくなるのは、どんな人でも同じですよ。そう思いませんか?

A:はい、その点は、同意できます。

私:それであれば、他の人が、風邪で休まれることも十分ありますよね。Aさんが、もし風邪で、明日体調不良だったとしたら、その旨を勤務先に連絡して、必要な休息をとることが、できることだと思います。

A:はい、そうですね。それしか、自分にはできないと思います。

私:ではなぜ、最初の話に戻りますが、「アルバイトにいけないだろう、と思って辛い」というのは、それなりの理由がある、健全な感覚であると思います。(誰でもそう考えれば、辛い気分ですよ)しかし、それは、明日の時点で決まることであり、前日の午後にそのことで、不安になりすぎることには、理由があるのでしょうか?


A:オーバートレーニングや、昨日の睡眠が悪かったことなどで、だいぶ疲れていて、悲観的に、自己批判的になっているように感じます。そして、そのことは、自分の風邪っぽいという事実と相まって、「いけないだろう」と悲観的推測することで、ことさらに、気分を悪くしているように思いました。


私: そうなんです。 私もそう思います。どんな人でも「明日行けないだろう、大変なことになってしまう」と思うと、それだけで、心配になるものです。そして、そのようなことを考えたとしても、未来の勤怠にはほとんど影響がなく、ただ単に、今日すべきことがその思考と感情で、混乱してしまうと言うことがよくあります。

A:では今日、どうすればいいのですか?

私:肉体疲労と風邪が、明日に治るか否かはわかりませんが、できることはあります。
自分に優しく、滋養と栄養と休息を、可能な限りご自身に許してあげることはできませんか?オーバートレーニングと風邪はそれだけで、しんどいものです。 いつもより、さらに休息を多くしてあげて、かつ、明日行けないだろう、という脅しのような思考を排除できれば、もっといいです。
 それで、明日風邪でどうしても行けそうになかったら、その旨を勤務先に連絡してみませんか?。きっと、相手は心配してくれることが多いですよ。  

A:わかりました。とりあえず、早く入浴して、食事をとって、刺激少なくして、早めに休むにどうしたらいいかを考えてみることにします。


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-10-20 18:58 | 自分を知る
file701 疲労と感情(自分に苛立つ人) 
file701 疲労と感情(自分に苛立つ人) 
**** この記事は非常にうつ病にとって重要だと思うので、しばらく一番上に持ってきます。 元日時150915

 疲れたということがわかるのは、自分の感覚です。
 その疲労感にどのような感情反応を起こすかで、人生は全く異なってくると言っても過言では無いでしょう。


 認知が歪んでいる場合は、自分が何かしらの活動で疲労した事実に対して、苛立ったり、しょげたり、悲しんだりします。
 そこには、そういう気分になる、「何らかの思考」とか、「疲労という事実に対する主観的態度」(これらこそが認知ですが)があります。

 認知に歪みがある場合、自分に対するご褒美と言うことの意味がわからなかったり、ネットで、疲労解消法を探しまくって、やってみてもいまいちだったりします。

 その一つの大きな原因は、「疲労すべきでは無い」そう考えて、「疲労したことに苛立ったり、怒りを持ったり、自責的な気分になっている」場合があります。

 およそ、こう考えることは、癒やし、ねぎらいという言葉とはほど遠い、感情のあり方ですから、どうしても、体の芯から休めません。疲労解消の方法にこだわってしまうのです。
 まるで、疲労が、親の敵であるかのように、疲労解消法を試しても、それは、どこか矛盾を抱えています。疲労解消の努力で、疲労していくようなものです。


 上記は、私自身が感じていたことです。

 しかし、一歩下がって考えてみると、「自分が(何らかの理由で)疲労していること」は紛れもない事実であって、それは、ねぎらわれるべきことであり、そこまで頑張ったことを認められるべきであり、優しく対応されるべきものであり、決して、責められるべきことでは無いのです


 責められるべきことだと思っているから、「こんなことで疲れては駄目だ」とか「もっと出来るはずだ」と言う理屈の流れになって、感情が混乱します。
 一番責めているのが、自分だからこそ、根が深い問題を引き起こします。

 一つ一つは、取るに足らない小さなことでも、いろんな理由で、人は疲れます。
 それは他人と比較することでは無く、主観的なものです。


 そして、その疲労に対して、まず、自分が優しくなり、結果とか、成功失敗などという努力の成果のようなものよりも、むしろ現状疲れている自分に対して、滋養と癒やし、を与える優しさを持つことが必須です。
 
 自分に厳しいことは、短期的には、せいかを残せるかも知れませんが、長期的に見れば、体をこわします。


 そういうことは、うつ病に罹患したことにもいえます。

 うつ病なり、何なりと言われるほどの症状が見られるのは、責められることでは無いという感覚を持つことは、非常に重要です。そして、一番責めているのが、自分では無いか?問うてみる必要があります。

 自分に対して、優しくすることが、本来病気を治す上で一番近道なんです。
 それを、なぜか、自分に辛辣にすることが人生の態度となっている人が多いです。


 病気にかかったときの状況というのは、およそ、信じられないくらいの出来事に囲まれていたと思います。一人一人状況は異なっていても、環境の中で、自分なりにベストを尽くしても、自分を守りきれなかっただけなんだと思います。それは、その人の、良さと表裏一体をなす部分が、病気と関係していると思います。



 だから、治るときには、その自分の良さを捨てないといけないような、一種の錯覚に陥る気がします。
 しかし、本来、その人の良さというものが、その時は病気につながったかも知れないが、次回そのような事態になったときは、もう学んでいるので、二の轍は踏まないとおもうのです。

 疲労感に対する態度は、病気と関係があるように感じます。

 主観的に疲労を感じたとき、まさに、その時こそ自分に優しくする「べき」であり、厳しくしたり苛立ったりしするなんて、論外で、人でなしであると思えるようになれば、疲労が怖くなくなると思います。
 そして、より疲れにくくなり、自分の健康が高まると思います。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-10-15 19:51 | 自分を知る
file699 否定的(抑うつ的)思考と肯定的(擁護的・合理的)思考
file699 否定的(抑うつ的)思考と肯定的(擁護的・合理的)思考

 特定の出来事について、抑うつ的に考えると、気分が悪くなるというのは、CBTの基本的考えです。
 ですので、肯定的、現実的、自己擁護的に考えることで気分が変えられるというわかりやすいセラピーです。

 その出来事に対する、「合理的思考」というものが、出来ないで苦労することも多いと思います。

 私も、そういうことは何度もあります。

 感覚的には、合理的な思考を書き出してみると、『何となく作文だけして、自分の中に入ってこない』文章だったりします。
 国語的には間違っていない作文で、他人が見ても、良く出来ていいる合理的思考なのですが、当の本人の気分を変えることの出来ない文章だったりします。


 そういう場合、極端にプラスに持って行こうと頑張りすぎてしまい、自分の中に落とし込めない言葉になってしまっていることが多いです。

 例えば、
出来事:
 就職の準備を進めているが、現在働いておらず、どういう職種が合うのかもわからない。

a
否定的思考: このままでは、いっしょうじぶんの「適性にあった仕事』が見つからないだろう。

b-1

合理的思考: 適性にあった仕事が、見つからなかったとしても、仕事だけが人生ではない。どんな形でも、仕事に就けば、おもしろいこともあるし、給与が得られることは何にも代えがたいものだ。

bの合理的思考は、どことなく、合理的に読める作文ですが、私的には、体の芯に響くような気分の変化を起こしません。

そのような場合、もっと、自分が抑うつ的に考えているレベルを-10だとしたら、-5まで持って行けるような「ちっちゃな思考」ことを考えていけるといいと思います。上記
bは、+10の気分まで引き上げようとする一発逆転を狙う、無理さを感じています。


 ですので、改めて、 考えてみると

b-2

現段階で適性がわからなくて「当然である」。→気分がほっとします。
疲れやすい現在の状況で、職業適性を考えると、思考が抑うつ的に傾いても、「それは仕方がないことである」。→コレも、精神的に楽になります。

こういう感じで、b-1はある種濃く語句の回答のような作文になっていて、自分に役立たないと思ったら、もう少し否定的思考を少しだけ(大きくではなく)緩めてあげるような思考を持つことが、心身を楽にする「生きた言葉」になると、思います。


自分で、作れない場合は、他人に聴いてみる必要があると思います。

合理的思考は、自分をしっかり楽にする必要があります。そのためには、作文内容にこだわるのではなく、本当にどのように自分に声かけすると、気が楽になるかを、考えてみる。および、どのような否定的思考を持っているのかを明らかにすることが大切です。
 明らかに、普通の人でも悩むようなことを、抑うつ的な傾向がある人の場合は、悩みがちになってもそれはある種「当然」のことなのです。(なぜなら、普通の常識人でも、気が重い出来事だからです)



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by nichinichiso | 2015-08-18 19:47 | 自分を知る
file697 自虐的信念も、一つの思考(言葉の塊)にすぎない、という発想は本質を変える
file697 自虐的信念も、一つの思考(言葉の塊)にすぎない、という発想は本質を変える


 認知療法の本(いやな気分よさようならや、不安もパニックもさようなら(いずれも星和書店)を読んでいて、下向き矢印法*で、暗黙の仮定を見つけ出したり、自虐的な信念と呼ばれる(完璧主義とか、業績主義、」承認欲求性、愛情必要性などの信念)ものを見つけ出して、それを、書き換え、さらに、現実的に検証してみるという方法は、いくつも技法が乗っています。

 その中で、あるときに、自分のこころに妙にに引っかかるというか、ほっとさせられる文章というものが、本の中にあります。
 
 その一つが、私の場合「そういう信念を持つに至ったのは幼少期の人間関係にあるとしか、言いようがない」(それ以上は、難しいから深入りしないという感じ)の記述が、ありました。

 自分の日常生活上で、CBTを生かそうとするとき、自分をリラックスさせられる、簡単な文章を持つことは、有意義だと想います。
 
 初めからうまく出来る人はいない。
 日本語が話せれば(うまく話せなくても)かまわない。
 緊張は、強めのかゆみにすぎない。
 伝えたいことの半分でも伝われば十分である。

 など、自分なりの、簡単なフレーズが見つかってきます。


 そういうことを積み重ねていくうちに、あるとき、上記の「信念も、幼少期に何らかの理由で教育された、一つの考え方にすぎないのだ」という発想が、すごく自分を楽にすることを見つけました。
 
その時は、気持ちが、ぐっと、軽くなるのが身体レベルで生じます。

 そして、その幼少-青年期に学んだ何かしらの信念というものは、言語的には、言葉の塊(思考の一つ)として、検証能力、洞察能力、相手の事情を知る力を持たない幼少期の人間には、あたかも、絶対普遍で世界を統一的にはかれる(道徳性も含めた)、ものさしであり、ルールであるように見えます。
 しかし、実は、そうではないと言うことは良くあることです。
 なぜなら、その教育をした人自身の、困っていることや、引け目だったり、恥じている部分だったり、欠けていると思っているものを「よかれと思って」教えようとしたことの場合が多いからです。
 大抵、そういう動機から出た「教え」というものは、狭量なものであり、未来志向ではなく、将来予測できない人間の営みにおいて、うまく適応できるための、開かれて、柔軟な信念を持ってほしいと言うよりは、極めて限定的だったり、技術的だったり、能力における高さという、狭くて、融通のない信念を持たせることであったりするのです。熱心な教育者であるあまり、自分の抱えている問題が、普遍的に自分の子供なりにも大切な問題になる「はずだ」と誤解して教育してしまう例です。

 そういうことをうまく覆す言葉を持つことは、非常に、認知療法の中で自分の気分の安定に役立ちます。
 自分の信念は、所詮教育上得た一つの考え方にすぎないのですから。





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by nichinichiso | 2015-07-26 16:26 | 自分を知る
file691 罪悪感を持つことのメリットデメリット分析
file691 罪悪感を持つことのメリットデメリット分析

いろんな場面で、すべき思考が高まると、罪悪感すら生じてくることがうつ病等の気分障害ではあります。
自分は働くべきだ→働けてない自分は悪である。
自分は親に迷惑をかけるべきではない→そう考え罪の意識を持ちます。
自分は優秀であるべきだ→病気に罹患したことすら優秀さを否定するものと思い、辛くなります。

そのような自分を貶めるような感覚を持つことは、よく見られることです。そこで、その良い悪いではなく、メリットと、デメリットを自分なりに考えてみました。罪悪感を維持続けることが悪いことだと決めつけてしまっては、問題解決としては論理的ではないかも知れません。(役立っている点にも目を向ける方が、良い気がします)
 

《罪悪感を持ち続けることの長所と短所》

 長所
 1 自分が、そういう感覚を持ち続けることで、将来的な失言や、暴力をすることを防げる
 2 罪悪感を持ち続けることで、自分が間違った道を進まないですむ。
 3 再度同じ間違いをしないですむ気がする。
 4 罪悪感が生じた事件に、責任をとれるような気がする。


 短所
1 罪悪感特有の苦痛感で精神を病む
2 精神的にへとへとになり、さらに、身体反応まで出る。
3 緊張感を維持し続けなくてはならないので、体が疲れる。
4 罪悪感の原因を考えることに時間を費やし、生産的なことが出来なくなる。
5 本来自分が持っている力が、実は出せなくなっている気がする。
6 罪悪感が、本当に、罰せられることなのか、吟味する余裕すらなくなる。
7 本当に間違ったことをしたときに、自分を責めるだけでは、本当の解決にならない(気がする)。



というような感じで、 分析してみました。

 それをどう考えるかは、各人によるところだと思います。また人によって、長所短所は違ってくるんだろうと思います。参考までに、私が思いついたことです。


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by nichinichiso | 2015-05-13 16:58 | 自分を知る
file684 武装解除法(自分に批判的に聞こえる場合)
file684 武装解除法(自分に批判的に聞こえる場合)

 批判者に対する、武装解除法と呼ばれる、対応の技法があります。
 
 「人間関係の悩み さようなら」星和書店  Dバーンズ著 "Feeling Good Togethe"

を先日買って読んでみました。

 『いやな気分よさようなら』の中でも、武装解除法は出てきます。

 これは、非常に、有効だと思ったので、記事にします。

 基本的には、自分と意見が異なると、ちょっと批判的に聞こえたり、実際批判されたり、自分にとって重要な譲れないことだとさらに対立的な気分になります。そレは、どんな立場の間柄であっても、人と人がコミュニケーションをとる以上、下のものは、悪い気分になるべきではない、とか、上級の者だからこそ悪い気分になるべきでない、とも言えません。
 結局、立場も、地位も、名誉も、収入が異なっていても、同じでも、人間同士である以上、意見のずれは起きるものです。
 その時、どうしても従わざるを得ない人ほど、意見に対して苛立ちを覚えたり、困っている人ほど、さらに反対意見に敏感になります。


 そんな立場を超えて、この武装解除法は役に立つと思います。
 結局、相手の批判や、異なる意見であっても、「明示的に」その意見の中にある一片の真実を探すよう努力することが、自分のためになるのです。

 先日、医師との間で、仕事についての意見が分かれました。私の意見をフォローするような考えではありませんでした。
 いつもなら、「医師が言うなら仕方がないか」とか、「薬出されなくなったら辛いから、わかったふりしておくか」ぐらいの気持ちで、了解するようにしていました。
 しかし、何となく、医師の言うことの一部にも、その人なりの真実があることを感じ、あえて「先生が言う、○○ということは、確かにありますね」「そう○○であれば、問題が難しくなるのは、確かですね」と、同意してみました。それは、その点はもっともだと少し思ったからです。
私の主張は、私が、何度も考え、他の者とも相談したものでもありました、それだけ「練ったもの」でもあったのです」練られていれば、思考が重ねられていればいるほど、人は、それを撤回したくないと思うのは、労力を使って作り上げた結果ですからに当然だと思います。

 それでも、反対意見に、自ら真実を見つけ「明示的に同意」することをしました。
 それが、なぜ役立ったのかというと、医師が同意を得られて満足した(ように見える)だけではありません!
 さらにその1時間後、自分の中に「新しいアイデア」がわいてきたのです。
 それは、医師との会話の中で出てきたキーワードが組み込まれた、アイデアでした。
 ですから、その医師の反対意見が、有益に生きて自分のものと出来たのです。これが、一番驚いたことです。

 自分が大切にしているものを壊すことと、反対意見を受け入れることは、同じ意味合いがあります。しかし、恐怖を乗り越え、勇気を持ってあえて破壊することで、新しいビジョンがわくことは、とても不思議な出来事です。
 もし良ければ、やってみてください。


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by nichinichiso | 2015-04-26 20:26 | 自分を知る
file679 問題解決思考だけが、平和ではない。(情緒の安定化)
file679 問題解決思考だけが、平和ではない。(情緒の安定化)

 気分の問題を考えるに当たって、「この問題が解決すれば、気持ちが落ち着くはずだ」「気分障害は治るのだ」と思って努力し続けていると、かえって、緊張が高まり、リラックスを忘れ、研ぎ澄まされた針の上を歩くような生活になることがあり、結局苦痛にまみれる場合があります。

 なぜなら、その問題は解決不可能な問題である場合があるからです。
 いくら努力しても、解決できないことに、努力し続けることは、へとへとになります。

 そういう場合は、いつか解決できればいいな、と思いつつ、別の道を進むことが問題解決は遠回りですが、気持ちの安定には近道です。

 気分障害というのは、そういうことをいくつももっているように思えます。

 「必ず解決方法がある」という前提自体、誰が保証してくれるわけでもないのです。
 重要なのは、解決方法を模索していく過程において気分が緊張し、上記のような生活を送ること自体が、ストレスにまみれて、気持ちが平和でなくなることがある、と知っておくことです。

 私の低血糖症の検査から始まった、低血糖症の治療は、まさに、針の上を歩くような緊張感で、かつ、解決できる問題だと思っていたので、相当な反動がありました。

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by nichinichiso | 2015-04-21 18:32 | 自分を知る
file677 問題行動にとらわれるのではなく、その背後の思考を切り出す努力(思考の切り出し)
file677 問題行動にとらわれるのではなく、その背後の思考を切り出す努力(思考の切り出し)

 今の時代、いろんな心情をネット上で表現しています。私のブログもそうです。
 これは、昔では考えられないようなことです。識字率だけでなく、通信環境、インフラの状態も含めて、およそ新しい出来事です。
 他人をみて、自分を律するというのは昔からよく言われていることです。

 すごく勉強になると、他の多くのブログを見ていて思います。

 一番良く思うのは、起きている症状とか出来事に対する感想、出来た出来ない、またやったやらなかった、失敗した成功した、落ちた、上がったそういう報告と、それに伴う気分、辛い、悔しい、絶望、過去への後悔、未来への不安…。
 
 が多いと何となく思うことがあります。

 そこで気になるのは、「どういう自動思考」をもっているのだろう?という、「思考」の部分が表現されていないことが多く、それこそが、CBTをやっていて、知りたいところだけれども、表現されていないのが、残念だなあと思うことがあります。

 とはいえ、「ブログを書く人は、思考を書くべきだ」という考え方自体、押しつけがましく、すべき思考です。

 案外、思考の部分の切り出しがうまくいっていないのかも知れない。
 自分の(繰り返される)行動に驚き、失望し、また起きた現象に、驚きすぎて、その瞬間、何を考えたのか、捉え切れていないのかも知れないな。と何となく思います。
 
 


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by nichinichiso | 2015-04-18 20:53 | 自分を知る
file673 自己の利益を恐れない(身勝手にはなりません)
file673 自己の利益を恐れない(身勝手にはなりません)

 気分障害で、やっかいなのは、「自分の利益になることは、良くないことだ」と決めつけてしまう点です。(感情的決めつけ・過度の一般化)
 その理由は不明ですが、いろんなことに圧倒されている場合、「自分の利益になることを見失っていることが多々あります」。
 他人の利益ばかりを優先する態度を、常にとり続けている苦しさというのは、うつ病でよくあることです。
 その背後には、自分の利益を優先することは「わがままであり」「自分がどこまでも際限なく、身勝手になるのではないか?、という「不安」」をもっている場合が多いです。
 実際、そういうことを心配する人で、あまりにも身勝手な人というのは、まずいません。
 むしろ、現実に多くの人から、身勝手と呼ばれ、際限なき自己利益を追求する人の方が、「自分の利益」と「他人の利益の」線引きが出来ず、バランスを失っていることが多いです。

 ですので、うつ病の場合、長期的に見て、自分が何をしたら、自分はどんな体験を心地いいと感じて、それに向けて貪欲に突き進むことを自分に許すことは、非常に有効です。才能が、発芽すると思います。
 それは、遊びでも学びでも、仕事でも、家事でも、何でもいいのです。
 自分がいいと思うことを、とりあえずやってみることから、評価が出来るようになります。失敗したら、それは、単に予想、仮定に合わなかったか、やり方が悪かったか、評価が偏っているか、いろいろ原因はあります。 しかし、やったという人生経験が残ることは貴重だと、私は思います。


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by nichinichiso | 2015-04-15 20:31 | 自分を知る
file668 自分の行動の否定的部分を、あえて聞く態度(勇気)
file668 自分の行動の否定的部分を、あえて聞く態度

 どんな人では、完璧な人はいない、また完璧という状態はない、と考えることが、CBTではセオリーとなっています。
 ということは、どんなに、すてきな人でも、穏やかな人でも、尊敬する人でも、また、他人からみた自分が、どんなにその場で見事だったとしても、十分だったとしても、否定的な側面を見つけることは、可能と言うことになります。

 不安障害はやっかいです。完璧主義がどうしても避けられません。
 
 そこで、すごく努力して、物事に前向きに、そして、最善を尽くしたとした場合、それでも、何か否定的側面「字が汚い」「いい人ぶっている」「声が小さい」「声が大きすぎる」「かっこつけすぎている」などなど、1つでいいから取り上げてもらうよう促す、アンケートを採る、コメントをもらうよう「自分から依頼する」湖とは、とても有意義です。

 これは、バーンズ氏の、何かの本に書いてあった、治療者向けのアドバイスでしたが、かならす「前回の面接での、治療者の至らなかった部分を言ってもらう」ということを習慣化することは、有用であるとのコメントがありました。


 治療者というのは、あまりに熱心になりすぎるあまり、いくら注意深くしていても、ミスを犯しているものです。それは、人として、治療者として、全力を尽くしていることの副産物であり、必然のものです。

 完璧など無い、という前提からは、そのようなことは、理由はドおあれ、相手に対して、すべてが受け入れられる、すべてが有意義な時間であったと言うことは、あり得ないのです。

 有意義であることもあれば、そうでもない中間もあり、むしろ、害がある場合すらあるのです。

 それは、どんなに研鑽を積んでも、人である限り、どのレベルであってもついて回る問題です。


 その現実を、自分に有効に受け入れるのが、「否定的側面をあえて質問する態度」です。

 これは、他人に否定されるわけですから、非常に恐怖を伴います。
 いいことを言われたら、それは「いい面ですよね?」と、問い直さないといけません。相手にも、ストレスをかけるかもしれません。たいていの人は、目の前の相手に「求められてているとはいえ」否定的なことを言うことはストレスになるのが、普通の感覚です。

 それでも、些細なことでもいいので、1つでも出してもらったら、それに『ありがとうございます』とはっきりとした口調で、相手に対して尊敬の念を込めて、感謝することはとても、爽快なことです。

 自分で、自分の足りないところを1つ知れたことは、相手と自分の関係にそれまでとは一段異なる、協力関係を作り上げることになります。
 それが、どんなに腹の底では、何となく虫の好かない相手である。という場合こそ、非常に有意義です。
 むしろ、感謝する気持ちも出てきます。

 自分で、自分の足りていないことを、聞こうとする態度は、どんなに怖いことでしょうか?また、口に出して、問うてみることは非常に勇気のいることです。
 しかし、それを聞いてみることで、自分がまず、一番豊かな気分になれると思います。
 
 すべての場面でそれをやる必要はありませんが、どこかでチャンスを見つけて、やってみるといいと思います。

 『先生はいいことばかり行ってくれるけど、私今回の件で、私の一番否定的(良くない)点はなんでしょうか?』
 と聞いて、それに正面から、しっかり答えられない治療者は、本物ではないかも知れません。

 口にするか否かは別として、いいことばかりしかみていないのでは、改善する点を具体的にすることは出来ないと、私は思うのです。患者や、クライアントの観察に問題があるとも言えます。


 出来そうなときに、一度やってみると、いいですよ!

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by nichinichiso | 2015-04-09 20:34 | 自分を知る