カテゴリ:問題解決のヒント( 39 )
file714 「やるべきか否か」ではなく、「やる価値の有無」を自問する
file714 「やるべきか否か」ではなく、「やる価値の有無」を自問する

 気分障害、うつ病、不安障害などでは、症状として「やるべきか否か」の検討で、疲弊していくことはよくあります。
 その思考は、繰り返されるほど理由のわからないエネルギーを使い、答えが出なくなります。
 背景には、「恐怖」があることがあります。


 例えば、低血糖症だから、一切炭水化物を抜くべきだ、という方法がある場合、それが、効果的でないようだったり、自分の体に合っていないとか、変な感じがするときにも「抜くべきだ」いや、「食べるべきだ」という、迷いが生じます。
 または、自分は食べたら治らない、という強迫観念の元、禁止することもあると思います。

 その効果は人によって違う場合もあるのではないでしょうか?炭水化物を抜くことであっというまに、うつ病が治る人もいれば、治らず、むしろ「抜くべきだ」というすべき思考に強迫され、日々の生活が、炭水化物との戦いに明け暮れ、おびえて生活するほどになると、外の方が多くなってしまいます。
 話がずれました。上記のような場合は、炭水化物の恐怖に支配されていないかを確認する必要があります。
 私の場合、ひどい低血糖症と言われ、精神科医からは、トラウマになるからその検査自体を中止すべきだったと説明を受けました。そういう考えもあるのかと、検査から数年後に、はっとさせられました。
 

 やるべきか否かと考えてしまうのはいくつか理由がありますが、最終的には、自分で責任を負わなくていいというメリットがあります。しかし、本来、不快なすべき思考は、他者からの押しつけだったり、自虐的信念に由来する産物ですから「強制される¥という感覚を生みます。強制されることは大抵不快です。
 その時、自分は、今考えていることを「やる価値があるか否か」を自問することで、答えが見えてくることがあります。
 そして、もしやる価値がないと思う場合、それにはそれなりの常識的理由があります。しかし、それと同時に、その判断に従うことに、恐怖を感じることも多いです。
 本来、現状、自分が進む価値のある道(選択だ)と(うっすら)気づきながらも、過去からの経験や、権威者の言葉、自分の意見の変更をすることにたいする、いろいろな恐怖が生じます。

 しかし、それは、単なる一過性の不快感にすぎないので、自分の常識的感覚大切にして、やる価値のあることをすべきことより重視して、踏み込む勇気が大切になってきます。
 その件について、関係性のある人には、それを伝達して、表出することが大切です。大抵、常識的、理解が得られるものです。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-10-17 12:13 | 問題解決のヒント
file704 報酬による目的達成(カフェインを減らす工夫)飲んでも、褒美
file704 報酬による目的達成(カフェインを減らす工夫)飲んでも、褒美


体に、あまり良くない気がする習慣を改善するときに、報酬をうまく使って成功失敗を繰り返しつつも、最終的に目標に達するゲームのような方法があります。
下記の本の中でも、ダイエットの方法で出てきます。p221 「罪悪感」 「キャンディとドーナッツ」ダイエット

 私の場合、カフェインをとって一時的に元気を出そうとする癖があり、長年の習慣になってしまい、疲れれば疲れるほど、缶コーヒーや喫茶店でのコーヒーで紛らわしている気がしていました。
短期的には、いいのですが、長期的に見ると、出費も多くなり、体も疲れてしまいます。


そこで、2つの角度から、長期間かけて1日いっぱいぐらいですむよう、カフェイン習慣を変えていきました。

1 いつも習慣的に飲んでいる、また、疲れたときについ飲んでしまう(缶)コーヒーを想定し、そのタイミングで我慢できたら、また、いつも飲むタイミングで行く喫茶店を行かずにすんだら、そこでかかった代金を、頑張ったご褒美として「全額自分のお小遣いとする」ことにしました。


2 、もし飲んでしまったり、立ち寄ってしまった場合でも、それは、目標に反することをやってしまったのですから、自分にとって辛い出来事であり、その慰めとして、また、そうはいっても目標に向けて依然として頑張っている自分へのご褒美として「かかった代金の半分をお小遣いにできる」としました。

上記1と2をくむ会わせながら、ある日はかなりお小遣いが貯まり、ある日は(飲む回数が多く)小遣いが少なく貯まる。
 そういう中で、ゲーム感覚で、減カフェインを進めました。


 結局、下記本の「罪悪感の章」に書いてある、お酒、たばこ、コーヒー、過剰なお菓子などやめてみたい習慣がある場合、自己コントロールができないという思い込みこそが、最大の、自己変革の障害なんだとすごくわかります。


 やめたい、と思っている以上、それに反する行為をとったら、どんな人でも多少辛いものです。むしろ、挫折感を感じて、「やっぱりオレは駄目なんだ」と思うことはとうぜんです。

 それを、ことさらに悪く感じさせるのは、「次は飲まないぞ」という、変な覚悟です。コレは自分を追い込むのです。
 むしろ、飲んでしまった、吸ってしまったその自分の辛さをおもんばかり、報酬を決めておいて、それを与えることの方が、遙かに長期的に見れば、全体として良好な方に進むと思います。

 上記私の例でも、コーヒーを喫茶店で飲んだ上に、さらに、その半額を小遣いとして自分に渡すのですから、ある時期は非常にお金がかかってしまいます。しかし、失敗時の報酬設定が適切であれば、本当に、お金も貯まり、カフェインも減らせるのです。
 罰を与えても、自己コントロール力は付かないというのは、よく言われることです。
 失敗したプレイヤーに、その失敗の小言と批判を言い続けてプレイヤーが上達するでしょうか?

 簡単ですが、奥深い思想があるように思えます。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-09-24 20:02 | 問題解決のヒント
file675 自責的に考えると、どうなるのか?(罰はどれぐらい必要か?)
file675 自責的に考えると、どうなるのか?(罰はどれぐらい必要か?)

 世の中には、他人のせいにすることで、自分を守ろうとする傾向の人がいます。反面、その人のあおりを受けて、自分のせいにするこ

とで、生き抜こうとする人もいます。
 後者は、うつ病になりやすいです。
 何をしても、自分が悪いのだ!と責めることで、いつか自分は救われる(ような気がする)と思っているからです。

 何かミスをしたとき、ばつの悪いことをしたとき、人に迷惑をかけたとき、どれぐらい罰せられることで、持ち前の生き生きとした十

分な活力がわいてくるのでしょうか?
 1日?1週間?1年?10年?
 失敗しない人はまれです。
 失敗したときに、どれぐらい、罰を受けると「生き生きとした活力がわき始めるのか?」それを考えてみると有意義です。

 おそらく、罰を受ければ受けるほど、やる気をそがれていき、体も重くなり、げんなりするからです。
 そして、罰を与えているのは、当初の出来事ではなく、その時の自分の考えなのです。
〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-04-17 20:58 | 問題解決のヒント
file657 目標の立て方の「発想が大切」です
file657 目標の立て方の「発想が大切」です


 うつ病なり不安障害なりで、症状に悩まされているときに、その思考の根底には、「すべき思考」should statement があることは少なくありません。

このすべき思考は、私見では、「自己および、他者に対する、高すぎる要求」というふうに感じています。
 なにやらわからないが、朝起きれない、起きても、途中で疲れてしまう、何をやっていいかわからない、起きる気力すらない、人前に出るのが不安だ、友人家族と連絡とるのも面倒である。もう、自分には何も出来ないし、生きていることが不思議なくらいに毎日疲れている。
 ということは病気になると、「よくあること」であり「多くの人が悩む症状」の一つです。むしろ、これぐらい出なければ、本当のうつ病とか、不安障害とは言えないとすら言えるでしょう。ちょっと気分が落ち込む、ぐるぐる思考が続く、怒りっぽいぐらいなら、まだ軽傷です。

 認知の歪みの中では、いろいろ考え方の極端さが指摘されていますが、上記「すべき思考」は、自分を動かせなくする、一つの大きな柱になると思います。

 どうして動けないのか?ということを、考えてみると、自分の今の状態に対して、あまりにも壮大なプランを持っていて、それが故に、最初の一段目のステップすら、思いつかなくなっていると言うことがあります。うつ病なのに、毎日、図書館に行って本を読む、とか、毎日家事を数時間する、とか、いきなり就労する、とか、いきなり断薬する、とかいろいろです。
 あまりにも、「治りたい!(治るべきだ・俺は病気になるはずがない!)」という気持ちが、強くなりすぎて、闇雲になりすぎているきらいがあります。」


 私が、CBTをバーンズ博士の本でやり始めてから思ったのは、本当に、目標を小さくしたことでした。それでも、目標の大小ではなく、そのプロセスをプランニングするという、発想を持つようにしました。

 具体的には、1開始 2終了
 この2点を、具体的に決めることです。

 例えば、コップをあらうという目標を立てたら、1開始動作と、2終了状況をあらかじめイメージして、ことに臨むと言うことです。
 そして、完璧さを望まないことです。
 
 家から出るのすらおっくうだったら、まずは、家の扉を開けるという目標も適切だと思います。
 そんな目標は意味がないと思うでしょうか?
 家の玄関の扉を開けに、ベットから出て、(着替えなくていいんですよ!) 開けて、→そのまま閉めて 1目標が、終了です。これだけ出来れば、目標達成だと思います。
 これが出来なければ、外に出ることすら出来ないと私は思います。
 だから、通常の成人にとっては、取るに足らない目標かもしれませんし、隣の人には必要ない目標かもしれませんし、実際、必要ないでしょう。しかし、隣人には不要でも、病気を抱えてそうなっている自分にとっては、有意義かつ必要な目標であることは多いものです。

 例えば、昔のように働ける、稼げる、学習できると言うことを想像したとき、それに1000のステップが必要だと考えたら、まず最初にやることはなんでしょうか?しかも、簡単にできる1-5分で出来る最初の一歩です。寝たきりである人、寝たきりではないが社会と接触がない人、通院、デイケアは行っているが、働いていない人。そもそも働かなくてもいいが、家事が出来ない人、、、、。

 現状が出発点です。CBTの本が読めなければ、読むために数ページ読むのに必要なこと、数ページ理解するための最初のステップはなんでしょうか?
 その1ステップがなければ2ステップ3ステップが成り立たない、そのまさに今やるべき1ステップ目を見つけ出すという発想が大切です。

私がよく考えたのは、ある場所に行って、雰囲気を感じて帰ってくる。その場所に行って、空気を吸って帰ってくる(行った先が図書館でも、本は読まず、ぐるっと回って帰ってくる)。スーパーに行ったら、物を買わずに、どんなものがどのような場所にあるかを、ざっと下見する。(物は買わない)旅にいったら、旅先で、動き回らず、宿周辺を少し歩くぐらいにする。

 と、そんな塩梅で、最初のステップと同じボリューム感のステップを積み重ねていくことで、いろいろ出来るようになりました。
 状態が悪ければ悪いほど、病気になる前の自分が頑張っていればいるほど、自己に対する要求は高くなるのが人間です。
 しかし、それを現状の自分の物差しとすることは、役に立たないことが多いです。なぜなら、その物差しが故に、自分が病気になった可能性があるからです。


 というわけで、 部屋から出られない場合には、玄関の扉の開閉を最初のステップ(着替えまでは要求しない方がいいと思います。)とするくらいの発想が必要です。簡単にできたら、その実力はあると言うことなんです。次に、着替えて、玄関の開閉をする2ステップに進めばいいだけの話です。

 最初の玄関開閉で躓いたら、その原因がどこにあったのか? そもそも、自分は、ネットは見られるが、布団から起き上がることが出来ていない、と言うような点に気づいたら、布団から出て、→布団に戻る。ということをステップとして採用すればいいのだと思います。
 
 
 そしたら、罪悪感なく、自尊心を下げず、満足感とともに、いつもと同じように二度寝するのが、自分への最大のご褒美となると、私は思います。それぐらいが、ちょうどいいのではないでしょうか? 出来ないことを、なぜ出来ないと嘆くよりも、ばからしいことでもプランを立てて、実行して、目標達成して、余韻に浸って、いつもと同じように、(但し、罪悪感をへらしつつ寝てしまう)のが、役立つことだと私は思います。


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-03-21 19:40 | 問題解決のヒント
file652 間違いから、学び上げるための一視点
file652 間違いから、学び上げるための一視点

完璧な人は、自他共にいないという仮説はとても役に立ちます。
他人からの批判→間違っているかも可能性がある。むしろ、やたら批判的である人は、その人自身に問題を抱えていたりします。なので、気にする必要がないのです。

では自分が完璧でないとしたら、自分は間違えるのでしょうか?→はい。といわざるをえません。

その間違いで、自分は無価値であるとか、失敗者だとか、迷惑ものだ!と思う必要はあるでしょうか?→ない、です。間違いは学ぶための素材に過ぎません。自分を押し上げてくれる、ちょっとした段差ににすぎません。

しかし、どうしても、間違いを犯すことが怖いのが、病気ゆえの思考障害とも言えます。また、病気自体が、そういう考え方を引き起こす性質なのです、とも説明できます。

結局何が言いたいかというと、間違いから学ぶときに、何がポイントかは、いろいろありますが。"Feeling good" の中でおもしろかったのは、
間違えたな、と気づいたときに、

1 「自分に」言い訳をしない
2 自尊心を下げない努力をする。

この2点がかいてあったことです。

学ぶ(これ自体が、きわめて人間的であり、生産的です)ためには、それを解析・分析する学習過程が必要ですが、上記1.2を見落とすとは、それを難しくすると言うのです。

他人に言い訳をしないことではなく、「自分に」言い訳をしないのです。それだけでいいのです。 病気になると、つい、失敗に対して、間違いに対して、自分の中で、言い訳をしてしまいやすいのは、わかる人なら、わかると思います。
わからない人すみません。私の、説明がうまくないと思います。
その時間が長ければ長いほど、自分は十分に罰せられて、罰こそが、ものを学ぶための最善の特効薬なんだ!と思っている方も多いかと思います。(そんなわけないか?)
俺は、こうこうな事情があったから、とんちんかんなことを言ったんだ。お酒を飲み過ぎたんだ、他人をむやみと攻撃して、こき下ろしたんだ。蹴り上げたいほど怒って、出来ないから、水をかけたんだ。 試験に失敗したのは、俺の無能力のせいだ、生まれつきだ、仕事をクビになったのは、俺の精神疾患のせいだ、兄弟が学校行かなかったのは、私のケアがよくなかったんだ、俺がちゃんとしていれば、病気にならなったんだ…私がしっかりしていれば、娘はぐれなかった。………・・。


いくらでも、言い訳を浴びせることが出来るわけです。しかし、自分を傷つけ、失敗の本当の原因を見えなくしてしまうのです。→そうすると、解決の糸口さえ見えなくなってしまいます。

また、2自尊心を下げてしまうと、失敗は自分の人格の否定と同義なんだ!、と思ってしまい→こうして、やる気を失います。


上記の通り、やる気を失い、十分な罰が学びのための特効薬だと思っている人が、本当に、間違いで傷つくことなく、学びを得る機会が得やすいのでしょうか?
むしろ、やる気をそがず、少しはショックだがそのショックも長続きせず楽観的で、罰はむしろ見当違いであり、間違えるほどに努力した自分に褒美を出してしまうぐらいのラフさ前提としている人の方が、学びのチャンスがあるように私は、思いますが、どうでしょうか?



〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-02-24 10:37 | 問題解決のヒント
file648 自分を認める方法 Learn to Endorse Yourself
file648 自分を認める方法 Learn to Endorse Yourself

同著の中で、虚無主義、というものに対抗する技法がいくつも第5章の中で紹介されていますが、行き詰まったときに、よく戻ってくる技法に「自分を認める方法」"Learn to Endorse Yourself"というのがあります。

これは、簡単ですが、私にはフィットします。


自分の行った、行うことに対して、尊重する態度を維持するものです。
言い換えれば、自分の行ったこと、行おうとしている些細(と思えること)に対して、無意味だとか、当たり前だ、とか、当然だとか、そういう評価を下すと、人間はやる気を失うので、極力、同じ行為に対して、持ち上げる方向、自分を自分で尊重する方向に評価していくと言うことです。


いくつか例を挙げます。

① 夕食を食べた

卑下→ そんなの当たり前だ、誰でも食べる。
尊重→ 人は食事をしてはじめて、生命を維持できる存在である。夕食のご飯を自発的に、自分の口に入れたことは、自分を大切にしていることに他ならない!

② 楽器を半年ぶりに10分弾いた。
卑下→そんなことしても、何も変わらない。万年、初心者である。
尊重→今日10分引くために、21分の準備をした。好きな曲に合わせて、簡単に音を鳴らした、50パーセントぐらい、何か適当な音をならせることができた。 半年たっても、これくらいのことができることが確認でき、明日ももしかしたら、10分できるかもしれない。自分はこの楽器の音が好きなんだと、確認できて、非常によかった。半年ぶりだろうが2年ぶりだろうが、音を鳴らせたことは、間違いなく嬉しいことだ。

③ 食後にテーブルを水拭きした

卑下→当たり前の家事行為である。やって当然。できて当たり前。
尊重→ テーブルを拭いてはじめて、筆記する紙を汚す可能性を極力減らして、CBTを実践できる。もし拭かなかったら、すぐに醤油じみやらなんやらが付いて、紙が汚れまくってしまい、少なからず、ショックを受けていただろう。知的生産の基礎は、テーブルを水拭きしてはじめて行うことができるとも言える。自分が、拭かなければ、誰が拭くのか。拭いた自分は、自分を大切にしているという十分な行為である。



こういう感じで、すごく小さなな行為に対して、特に尊重していくいくことが、いいようです。紙に書くのは、客観化の意味があります。翌日に見返して、蛍光ペンで再度確認したり、定着させるのに非常に有効です。頭の中だけだと、どっかに、コトバが散逸してしまい、効果が落ちてしまいます。




 



〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-02-16 19:59 | 問題解決のヒント
file635 マインドフルネスストレス低減法を続けてみて
file635 マインドフルネスストレス低減法を続けてみて

 瞑想技法です。ジョンカバットジン博士の本が有名です。
 瞑想については、多くを語ること自体難しいですが、「威厳という言葉になじむような姿勢をとり、呼吸と身体の状態(手の形とか向きとか)を意識して、その時の言葉になる前の自分を感じる」というのが今の段階です。

 たっても、座っても、結跏趺坐でも、横になっても、歩いてもできます。
 ただ、一つ重要なのは、開始と、終了を明確ににすることです。
 言い換えれば、「瞑想開始」と念じれば、それで瞑想が始まります。そして、終わりは、すぱっと、終えるというよりは、徐々に、終わる感じがいいようです。

 もう一つ、大切なのは、「こうすべき」と思わないことです。痛いの無理してがんばってやるべきだ、姿勢は崩すべきではない、と思いすぎると逆に苦しくなります。
 


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-01-22 19:20 | 問題解決のヒント
file633 感情の乱れに対する(下向き)矢印法の威力
file633 感情の乱れに対する(下向き)矢印法の威力

 「いやな気分よさようなら」の中で、紹介される矢印法(自分の思考の暗黙の仮定を探し出す方法)は、私には、非常に効果があります。

 自動思考に対して、合理的な、適応的な思考を記述する(ダブルカラム法)(コラム法/右向き矢印法)方法は、有意義です。
 そのほか、メリットデメリット比較、三段論法、反すべき法、…いろいろあります。
 どれもおもしろいです。
 自分が困り果てたとき、どの方法が役に立つのか知っておくことは、自分の思考感情生活に責任を持つ上で、とても大切なことです。
 私の場合は、「下向き矢印法」が、とても役に立ちます。


 なんか、特定の場面【数日前からのこともあります・予期不安的なもの】、特定の場所で、言葉にできないような違和感を感じて、緊張したり、疲れやすかったりした体験があった場合、ある程度いろんな方法で解決できるようになってくると、残ってくるのは、とても本質的な(根源的な、信念的な、幼少ー青年時代から持つ)思考、とにかく、そう簡単に向き合えない、顔を出さないような自分のこころの部分です。

 これが出てくると、解決がとても、困難に感じますが、実は、得意技を持っておくことは、非常に役立ちます。
 私の場合、ほとほと困ったときは、行動を少なくして、「暗黙の仮定に迫る努力」【プロセス指向】をします。

 方法が、上記矢印法です。

 感情を表現するより、その感覚を支える、(自動)思考を書き出し、それに対して、

 『それが何を意味するのか?』とか、
 『そうだとして、それがどのような問題があるのか?』

と自己に問うていきます。
 7回ぐらい下向きの矢印 「↓」が続くと、たいてい「無価値」「意味がない」「惨め」というような自分の存在を否定するような観念に向き合います。

 そこがポイントです。

 その最も深い部分に対して、合理的な、自己擁護的な思考をしてあげると、体の芯から「ほっと」します。リラックスします。
 そして、自分を慈しむ気持ちが生じ、「自分が存在している!、それだけで丸儲けだ!」と、いう自尊感情がわきます。

 これがいくつか積み重なってくると、本当に自分が暗に仮定している世界観というものが、ぼんやりと見えてきて、気分がそのたびに楽になります。そして、各種技法のやりがいがまた出てくるのです。これを繰り返すことは、同じことをやっているようで、実は本質部分から自分が、成長していることなのです。

 ぜひ、同著を参考に、やってみてほしいものです。

例:私が架空の人物のやりとりを作文してみました。

1 自分は仕事をしてない。
     ↓それが何を意味しているのか?

2 自分は、社会に貢献していないということだ。
 ↓社会に貢献していないと、何が問題なのか?

3 社会の中で認められないのが問題ですある。
↓それが何を意味するのか?

4 自分は認められていないと不安だ。
↓それが何を意味するのか?

5 自分にとって、社会とは、自分を認めてもらう場所【承認の欲求】であり、それができていないと辛い。
↓ それが同問題なのか

6 いつも惨めな気持ちになり、自分には生きている価値がない【信念的な思考】

→ 合理的思考: 社会とは自分を認められてもらうだけの場所と考えるのは極端だ。いろんな社会のあり方があるし、とらえ方がある。そもそも、認められなければ、自分が惨めになるというのは、疲れる生き方ではないだろうか?【承認中毒】
 実は、他人が認めようが認めまいが、自分の価値を決める、のは自分だけである。従って、仕事をしていない、うつ病だとしても自分がそれを低く評価するか、自分の価値とは無関係だと決めることができる存在である【自尊心の向上】

 

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-01-20 18:45 | 問題解決のヒント
file626 他人の生き方を変えようとする努力は、皮肉にも、自分のやる気をごっそり削り取ります→抑うつ
file626 他人の生き方を変えようとする努力は、皮肉にも、自分のやる気をごっそり削り取ります→抑うつ。


 あなたは、他人の人生・行動・生き方・悪癖・鼻持ちなならない態度、を変えることができる、キーパーソンになろうとしてないでしょうか?また、なろうとしていたことはないでしょうか?


 残念ながら、これは、非常に報われない責任感と、優しさです。
 むしろ、その助けよう、変えてあげようと思っているその他人(たとえ肉親であっても)は、自分のそのような優しさ、哀れむ気持ち、を利用して、自己満足に陥っている可能性があります。

 いくらアドバイスしても、いくら説明しても、何度も同じことを愚痴って来る人っていますよね。
 困っているようなので、何回かあって、本を紹介したけど、読まないひとっていますよね。 でも何度も困っているオーラを出しつづけるので、なんだかこっちが申し訳ない気持ちがふつふつと沸いてくる事態ってないですか?


実は、躍らされてるんです。【こころの読み過ぎ・べき思考・完璧主義】


 その他人の問題は、適切にその問題を理解できたらご自身で解決の方向に動き出します。人ってそういう生き物だと思います。


 なのに、その下準備ができていないのに、助けますよ!としても、無理です。
 ちょっと背中を押してあげれば、うまくいきそうという雰囲気を醸し出している、だけなんです
 実は、頼られている、依存されているだけなんです。


 私たちは、私自身の人生を進行させていくことが大切です。
 他の方の、進行役を無償で行う必要があるでしょうか?


 結局、たいていは、心ない行動を見せつけられ、無神経な言葉を浴びせられ、こちらが意気消沈、やるせない人間への不信感を増長し、たまに、怒りを覚えたりして目下の目標と自身のエナジーを消費してしまいます。


 ですので、「他人の人生(親族/肉親」含む)を変えられる、俺/あたし! 」みたいな感覚は幻想です。【こころの読み過ぎ・べき思考・完璧主義】



〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-01-10 03:35 | 問題解決のヒント
file608 デイケアという医療施設の利用
file608 デイケアという医療施設の利用

だいぶ、前回の投稿から時間があきました。

2011-03-21 が前回の投稿なので、2年と8ヶ月ほど経過しています。

 その間、内分泌系の病気ではないかとか、ホルモン検査などしてみましたが。確定的な原因がわからず過ごしていました。

 減薬に詳しい医師の元にうつり、治療しています。

 この2年8ヶ月のことは、別の機会に書くとして、(自分でも、忘れてることも多いので(笑)) 今回、久しぶりに投稿したのは、「デイケア」という医療機関を利用し始めて、いい効果が出ていると感じるからです。


 当初は、就労支援機関を利用しようかと思ったのですが、負担が大きそうなので、その前段階として、病気12年目にして初めて、デイケアという場所を利用することになりました。

 その効果は、私の場合ですが、以前できていて、月日とともにできなくなっていったものが、少しづつ、段階的に、できるようになってきました。

まず、 洗った洗濯物をたためるようになりました。次に、食器を食洗機では無く、手洗いして、食器棚に整頓することが、できるようになりました。(2ヶ月目くらい)

更に、少し身の回りの掃除、ができるようになりました。
半年ぐらいで、コンスタントに毎日味噌汁を作ることができるようになりました。(無理すれば、立派な夕食も作れます)

ということで、デイケアという、「人の集まる場所」に、無理ないペースで参加し続けることで、薬等を変えなくても、また少し減らしてでも、なぜか、できることが増えるという嬉しい変化が起きました。

もし関心がある方は、行ってみてはどうでしょうか?

----------
主治医のDrや精神保健福祉士(PSW)の人から、その選び方のポイントを教えてもらったので、また機会作って、書きたいと思います。 以前は終の棲家的なデイケアが多かったが、最近はと就労支援視野に入れたデイケアが増えてきている等の変化があるようです。

私が行っているのは、後者の就労支援(リカバリー目的)を視野に入れているデイケアです。






 
[PR]
by nichinichiso | 2013-11-26 19:57 | 問題解決のヒント