カテゴリ:自然を知る( 6 )
file632 認知行動療法の本質の1つを考えてみる(私見)
file632 認知行動療法の本質の1つを考えてみる(私見)

 認知行動療法というか、バーンズ博士の[Feeling Good :the new mood therapy ]を読んでいると、その本質ってとは何か?を知りたくなります。

 私が、今の段階で思うのは以下のようなことです。
 
 病気になった人の特徴的な思考を拾い出すことで、その特徴的な傾向を知ることは可能かもしれない。しかし、病気にならない人(ほとんどの人がそうですが)を集めて、そのケースの場合、どういう思考と感情を持つのか、特に、そのケースに対してどう自分の思考と感情を維持しているのかを集めて知ることは、難しいことではないか?という疑問です。
 例えば、これから「業績改善のために、会社を小さくするので、リストラをします。声をかけるかもしれないので、その場合はよろしくです。」というメールが一斉に送られたときに、 各人が、どのような処理をして、半年後にはクビになっているかもしれないが、目の前の企画もやらなくてはならない、という、不安定な状況に対処しているのか、統計を取るような、面接、追跡調査をするようなことです。
  その中で、数人は、実際クビになって、生きてきた自分を否定して、お先真っ暗になり、自分の価値がないと決めつけ、うつ病になったとします。また、クビになる前に、リストラ委員会との攻防戦で、疲れて、寝られず、不安障害になったとします。その人たちの特徴はある程度思考と感情のパターンがあるんだと思います。これまでの歴史で、心理的な傾向が量的に資料があると思います
 しかし、実は、クビになってもうつ病にならなかった人、リストラ委員会との攻防戦でも、全く不安を感じず、粛々と日々の業務をこなして、結果、不安障害にも、リストラにもならなかったひとの「具体的な内面のデータ」というものを検討する機会というのはあるのでしょうか?
 たまに、大きな会社のトップが、挫折からの復活、弱り切ってから這い上がった有名スポーツ選手とか、病気から復活した宗教家とか、作家とか、ビッグネームは聞きますが、そうではない、ごくごく普通の、中流から下流の平民のそういう対処スタイルってわからない気がします。

 認知行動療法というのは、その時代、その地域でごく普通の人が、普通にやっている、思考と感情のスタイルを学ぶことなのではないかと思います。これが、私が思う、一つの本質です。
 戦前に生きていた人の思考と、平成生まれの人の思考は、明らかに同様な解釈を持つことは難しいと思います。それは、明治時代、明治憲法下のの国民という概念、官僚制度、庶民の生活環境、住居環境、労働環境、家族環境、交通の発達、中央と地方のあり方、社会、戦争、通信、学校で習うこと、識字率、学問の広がりの有無、新聞を読めるか読めないか、大学に行く割合が1パーセントか、60パーセントか、第一次産業従事者の割合、第三次産業の従事者の割合、および、各産業構造の比率、外国を見聞できる人の数…いろんなことが違います。
 そいう中で、病気の性質も変わってきますし、そこで、「自分を苦しめるような精神疾患」を引き起こすような考え方、の形も違う気がします。

 だから、今の時代には、今の時代に適応できている人間(日本人)の、思考が一番、合理的で、自分を苦しめないのではないかな?と思います。
 言い換えれば、なぜかわからないけど、ちょっと適応しにくい思考の癖(認知の歪み)を持ってしまったから、うつ病になったのではなかろうか?ただ、それだけに過ぎないのです。
 そして、広い意味で環境に適応できている感覚というのは、非常に、生物として心地よいものであるから、すごく、病気状況下に比べて、すがすがしく、気が楽で、「周囲の状況は同じでも、なんとかなろう」という、以前に比べたら自分でも驚くような、若干の楽観主義が芽生えてくるのではないかと思います。


 そして、それは、健康な人が持っている「リストラ委員会ができたようだけど、考えても仕方がない、クビになったらそのとき何とかなろう」という気持ちと同じようなものではないかと思うのです。それは、極端に、自分が悪いわけでもなく、相手が悪いわけでもなく、環境上仕方がなく、他のクビにならなかった人と比べることもなく、今できる、自分の未来を考える、普通のリストラされたサラリーマン と同じ認知が働いているのではないかと思うのです。

 上記認知が、自然とできるようになるまで段階が上がるには、常に、実は、自分への、「深いまなざし」「深い問い」というものを用意できるかにかかっているんだと思います。


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法
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by nichinichiso | 2015-01-19 19:51 | 自然を知る
file474 渡り鳥の集団から学ぶ疲労のあり方
file474 渡り鳥の集団から学ぶ疲労のあり方

うつ病の原因として、私は、「極度の精神的疲労」を第1ととらえています(参考図書参照)。これは、私が読んだ、うつ病の本の中で最も理解しやすいものだったからです。

自律系の不快感や、意欲の減退、ゆうつ感という症状は脳の生理異常であったり、こころの問題であったりする症状ですが、その原因が疲労にあるととらえています。

その疲労というものについて、わかりやすい話を読んだので、報告します。

「こころのトラブル」 平井富雄著 中公文庫 p232
 管理者は疲れている 人間の疲れ


この本の上記章では、ティンバーゲンという動物学者が発見した、渡り鳥の集団の中で、どの鳥が脱落しやすいかを観察した結果を参考にして、疲労を考えています。

渡り鳥集団のなかを3つに分けます。
1 集団のリーダー
2 ひらの鳥(ついていくだけの鳥)
3 ひらの鳥を小集団としてまとめる「班長鳥」


最も脱落しやすいのは、3の班長鳥ということが分かりました。

その理由は、班長鳥は、2ひらの鳥の様子を観察しながら、小集団をまとめたり、ひらのの鳥をケアしたりしながら飛ぶので、渡りに要する飛翔距離が、ひらの鳥の数倍飛ぶことになるというのです。

また、1リーダー鳥の指導、指示を、小集団に伝え、実践させることも必要なので、そのような労力も必要です。
その結果、途中で、疲労のため脱落して、死んでしまうのです

これは、私にとって、非常に興味深い観察結果だと思いました。

どうして、私が、疲労しきって、うつ病になってしまったのか?
それは、普通の人より、数倍のエネルギーを使って生きてきたからなんだと思いました。
特段、私自身に、通常人の数倍のエネルギーを持った特別な人間であるわけでもいので、そのような人が通常より数倍のエネルギーを使うことは、即疲労困憊ということになり、うつ病になってしまうのです。

そして、そのエネルギーというのは、物理的な運動量以上に、こころのエネルギーの消費が大きいと思いました。

例えば、不仲の両親で構成される、多人数兄弟の長男であるということ。高校時代には、弟が不登校になり、その対策に追われ、大学時代校半には、妹の家庭内暴力がはじめリ、その対策に追われ。それと同時に、高校時代には、部活やら、大学受験学習やらの自分のやるべきこともやり、大学時代にも部活やら、試験学習やらをやり…。

つまり、自分(のこころ)が発達していくのに必要なエネルギーを、他に使う必要があ(るように思え)、エネルギー切れが生じやすくなっていたという環境にあったとおもうのです。

前述の渡り鳥の例からすれば、最も疲弊しやすく、脱落しやすい班長鳥の立場です。
 

発達心理学の本をざっと読んだところ、人間は、大体年齢と共に、何かしらの発達を遂げていきます。
そのためには、自分のエネルギーを、自己の発達のために利用していくのです。

例えば、とても一般的に反抗期というのがありますが、これも自分のエネルギーを反抗するという自分の行動に利用できるから、外部に反抗できるのだと思います。
このときに、自分のエネルギーを他人の問題、他のトラブルに消費してしまっては、反抗するエネルギーを持つことすらかなわないのです。
そうすると、「俺って、反抗期無かったな」という感想をもちます。
これは、私自身が持つ、昔から不思議だったことです。

-----------------
現在うつ病となってしまっている方は、確認が必要だと思います。それは

1 班長鳥の立場に無かったか?
2 自分自身以外のことで、エネルギーを使う環境(気を使う環境)になかったか?


もし、班長鳥の立場で、自分以外のことにエネルギーを使うことが多かったという場合、それは、疲労してうつ病になっていると考えられそうです。
また、自分自身のためにエネルギーを使うという感覚が生来希薄である可能性も示唆していると思います。

同著内では、班長鳥というのは、企業の中間管理職のことを想定していますが、何かしらの人の集まりの中で、板ばさみになって、他人のことでエネルギーを使う場合には、当てはまる話なのではないかと思いました。
人の集まりというのは、家族も含まれます。

そして、同章の最後に、著者は「(人間の場合は)疲れが一般化する前に、その本質を見ぬいて、それに対処できる知性が必要ではないか」と主張しています。

上記の部分は、うつ病の私でも、今後のためにこれから身につけていくことができそうだと思いました。
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by nichinichiso | 2007-08-01 13:58 | 自然を知る
file 372 自然を知るには1年が1単位
file 372 自然を知るには1年が1単位

私は、生まれ育った生家での人間関係下で培われた何かが、自分の病気の遠因にあるような気がしています(心理的背景)。

そこで、人生の一定期間の人間関係下でトラブルが起きた場合場合に、2つの方向性で解決することを目指していることを以前書

かせていただきました。

1 トラブルが起きた人間関係以外で直す
2 人間関係とは無縁の自然との関係で直す

というものが、その趣旨です。(記事はこちら→http://nichinici.exblog.jp/2200360/

2の自然との関係というのは、人間が生物としての側面を持っていることに着目するものです。

そのために、身の回りの自然を知ることを続けています。
とはいえ、うつ病を患っているわけですから、観察力も低下していますし、感覚もおかしくなっているかもしれません。そもそも

10分ぐらい歩けなければ、外に出ることすらままなりません(私自身、10分歩けない時期もありました)。

私の体験からすると、とりあえず「1年間自然を知ろうとしていると、2年目からが面白い。」ということがあるような気が、現在ではしています。

それは、1年たつと、昨年見たものが、再会できたりするからです。
それは、「数日前に見たタンポポを、また見た」というものと、「昨年見たタンポポを、今年も見た」という体験は、同じように

「タンポポを見ているのだが、何か違う感覚があります」。

どちらがどうというものでもないのですが、1年たって再会できると、なんとなくうれしい気がします。
というわけで、まったく自然を知らなかったし、興味もないよという場合でも、1年、機会があれば「草」「木」「葉っぱ」「鳥」「虫」などを探しておくと、いいことがあるかもしれません。

関連記事:
両親から情緒的安定を受けたことはなかったという気づき
http://nichinici.exblog.jp/1649522/


file321 どのような関係を利用するか
http://nichinici.exblog.jp/2200360/

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by nichinichiso | 2006-03-12 18:35 | 自然を知る
file 361 私の問題意識
file 361 私の問題意識

私が、自分の病気と、自分の心理的な背景について持っている問題意識を列挙しておきます。

1 人間はどうしたら、うつ病をわずらうか。(どうしたら、うつ病の回復を遅らせるか)
2 今まで培ってきた能力は、何に役立ってきたのか。
3 その能力は、いかにすれば変更できるのか。
4 適応力を養うにはどうしたらいいのか
5  うつ病とわからずに、死んでいった方々は、歴史上どのくらいいるのか、現代日本におけるほど対処がなされてきたのか
6 自分の身体操作感覚は、果たして最も自分に楽な状態を作っているか
7 自律神経系の働きは、、調整できるものか。
8 幼少時期から精神疲労を抱えるということはありうるか
9 自然とは何か。人工とは何か→意識を経由したものと、経由しないものの差異
10  様々な方がブログという情報の発表の手段を持つことは、どういう事態なのだろうか(現代特有・歴史上初めてのの情報の発信量だと思うからです)。


代表的なものは以上です。

これまでの記事を書きながら、また、体験を通じて、さらには、カウンセラーとの対話、薬を飲むことでの体調、感情のコントロールから、様々な問題意識を持つようになりました。

今後も、そのような問題意識をもって行きたいと思っています。
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by nichinichiso | 2006-02-02 19:21 | 自然を知る
file 357 温室の花
e0067794_21245264.jpg

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by nichinichiso | 2006-01-28 21:25 | 自然を知る
file330 太陽の光を浴びる
file330 太陽の光を浴びる(冬場の日光浴)

うつ病患者は、できることが、限られている場合が多い。
その中で、安全に見聞を広められるもののひとつは、散歩だと思います。
しかも、近所の散歩です。

私自身、過去の記事で、自然を利用するという方向性を述べさせていただいたことがあります。file321 どのような関係を利用するか http://nichinici.exblog.jp/2200360/

その代表的なものが、実は散歩を予定していました。プチ園芸は、その延長にあるものです。

私自身、この冬場に入って、夏場に比較して、めっきり散歩することが少なくなっていました。それが、どういう理由かはわからないのですが、寒い、というのがひとつの理由かもしれません。

そのことを踏まえて、今回は私自身の散歩目標をご紹介します。

条件:

1 天気は晴れもしくは、雲が少しでてるくらい。
2 時間帯は、1日の中で比較的暖かい時間帯。
3 格好は、軽くて温かい動きやすい格好(マフラー・帽子・手袋も利用)
4 持ち物、小銭くらい。

ここまで条件がそろったら、

5 「えいゃ」と、扉を開けて外にでましょう。
6 とりあえず、日のあたるところを探します
7 そこに向かって、小走りで歩く。
8 日光の当たるところを、探して、歩く日陰に入ったら、さらに、探して歩く。。20分くらいからはじめましょう。
9 日の当たっているベンチなどがあったら、すかさず座ってみましょう。ベストポジションです。

10 体の表だけでなく、裏にも日光を当てましょう。サイドも重要です。
11 太陽光を浴びている実感に意識を集中、クローズアップする(重要)

以上です。

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解説:太陽の物理的エネルギーというのは、すさまじいものがあります(何かでお調べになれば、納得されると思います)。それを、直に体験し、感じようという試みです。
冬場の太陽の日差しは、夏場と違って、気持ちいいものがあります。それを体験すれば十分だと感じるほど、「疲れている」場合もあると思います。

私自身、ここ1月ほど、疲れていました。昨年は、寝込んでいました。
散歩も、気が進まなかったのです。ものを見ることが辛いので、何か観察しようにも、目も半開きぐらいが気持ちいい状態です。

そこで、そこまで疲れた心身でできる、自然体験を模索したところ「太陽の日差し」にあたるというものでした。
ただそれだけです。

まぶたを閉じて、日差しを見ると赤く見えますが、それは、まぶたの皮を通過した光を、目で見ているのです。つまり、太陽の光は、皮膚の中にまで入ってきているということです。

それが、何だということもありますが。

これが、生理的に、何か影響を与えるかもしれないと思っているのです。

なぜななら、冬季うつ病というものがあり、冬場にうつ病になる方もいらっしゃるようです。これは、日照時間が影響しているのではないかとのことでした。
また、夏よりパワーダウンしているという、私の実感があります。(これはパワーをうまく使えるか?とは別に、量的にパワー(生命力)が減っている感じです)

私自身の感想ですが、これは大成功でした睡眠の質が向上しました。。
とりあえず、起床したら、日の当たるところに、温かい格好で、出かけてから、一日を開始するようになって、だいぶ上向いてきました。

もし、興味があれば、試してみる価値はありかもしれません。

関連記事:

file313  「およそできないことを、やろうとしていないか?」
http://nichinici.exblog.jp/2117657/

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by nichinichiso | 2005-12-29 09:04 | 自然を知る