カテゴリ:言葉について( 31 )
file713 答えようのない問いは、人を疲弊さす
file713 答えようのない問いは、人を疲弊さす


 気分障害、うつ病、不安障害、低血糖症もありますが………、認知療法の本を読んで、セルフヘルプしていると本当に、役立たない「問い」のがあることに気づきます。

 この数年、なんだったのだろう?
 この病気に、何でなったのだろう?
 オレはこれからどうしたらいいのだろう?
 何で、こんな事態になったのだろう?
 誰が、悪いのだろう?
 自分が悪いのだろうか?
 血糖値が下がっているのではあるまいか?
 インスリンが、今たくさん出ているのではないだろうか?
 遺伝子がおかしいのではあるまいか? 


 こういうことは、病気になると、つい考えやすくなります。
 しかし、これらについて共通しているのは、非常に抽象的で、誰にも明確に答えようのない質問である点です。
 
 病気であっても、具体的な毎日を過ごしていくことが大切です。皿をあらい、部屋を掃除し、外出し、楽しみ、家事や、仕事義務も行い、自分の時間、他人との交流という目的に具体的に必要な行動は何かを自分に問うことは有意義です。
 完璧主義で困っていたら、その日、50点をどれくらい具体的に維持できたかを振り返ることは、成功失敗含め有意義で、気持ちのいいものです。
 しかし、一日の終わりに、今日の一日また無駄にしてしまった、何の意味があるんだろう?ということを問うても、自分を傷つける答えようのない、自虐的質問だと、私は思います。
 

 何を、いつ、どこで、誰と、どのようにやるか、やったか、を思い出せることは、非常に大切です。それを支える具体的な問題意識を持っているからです。
 自分はなんのために生きているのだろうか?という、問いは、一日の最初にも終わりにもふさわしくない質問に、私は思えます。(答えようのない、疲れる質問)
〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-10-13 19:30 | 言葉について
file710 50点とはどれぐらいか?(完璧主義)
file710 50点とはどれぐらいか?(完璧主義)

 完璧主義が100点(実は150点)を目指す態度だとしたら、手放したければ、50点を常に目指してあらゆる生活をするだけのことです。
 コレをやるときの難しさは、「恐怖」の存在です。
 恐怖感が、より良く、より高く、より深く、より高度に、より正確に、より大量に、より高品質なものをあらゆる日常活動に(仕事、就職、交友、人気、コミュニケーション力、体力、経済力、家庭のあり方、子育て、親、学歴、過去の自分…・)せき立てます。
 その恐怖に耐えることで、50点を目指すことで得られる、平凡な毎日に充実感が生れてきます。
 50点というのは、どの程度を言うのでしょうか?

 感覚で、いいと思います。ちょっと恐怖感が出るくらいが、50点だと思います。一つ一つの行為を、50点にするもよし。週単位で考えるもよし。 とにかく、危険を冒している、恐怖が生じる(本当はできるけど、やめちゃうよ的な)くらいをもって、50点とするのも一計です。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-10-06 19:03 | 言葉について
file709 完璧主義は批判するための概念にすぎない
file709 完璧主義は批判するための概念にすぎない

 完璧主義は、自己批判と親和性のある主義です。
 完璧主義というのは、具体的にどの程度を言うのでしょうか?どれほどが、合理的基準で、どこを超えると完璧主義と言われる、高すぎる要求になるのでしょうか?各人によって違うのだと思います。
 完璧主義を言い換えれば、そもそも実行不可能であり、(自己)批判を受ける可能性のあるものという、考え方もできると、私は思いました。
 それを、何かしらの見当違いで、自分に課してしまう基準をして、完璧主義と言えるのではないかと思い増しt。亜
 つまり、基準が先にあるのではなく、むしろ批判されるべきなにかが最初にあって、後付け、でそれを一定の具体的に「すべきこと」とした基準が、完璧主義だと思うことが多いです。

 よくある、意地の悪い姑が、嫁の掃除の不完全さを暗に批判するために、窓枠の埃を指ですくい取るというようなことです。【他人からの完璧主義と批判】

 それが、自分の心の中で、自己完結的に起きるのが、「自己批判のための完璧主義」と言える気がしました。

 こういう態度をとり続ける以上、完璧主義をやめることを考える上で、最初に考えるのはむしろ、際限の無い自己批判の無意味さを具体的にメリットデメリット方なので、分析することが必要だと思いました。

 結局、基準を変更したとしても、そもそも批判ありきでは、どんな基準を設定しても、批判されてしまう不快感からは抜けられず、さらに、どんな形を持ってしても無慈悲な批判と、自己憐憫、不全感がついてまわってしまうように思えます。

 自尊心を破壊することができるのは、唯一、自分だけであるという仮定に基づけば、自己批判と完璧主義(その由来は幼少期にあるとしても)手放すこともたやすいことなのだと思うようになりました。

 その基準は、批判されることを前提としていないか、よく自問する必要があります。
基準は、自分に爽快感を与え、満足感を満たし、自己を成長させるために設定するものであり、決して、それを下回ったら批判を受けるべきものという、拷問のような仕組みではないのです。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-10-06 18:48 | 言葉について
file706 自分で紙に書くことの重要さ(言葉の直列性という特性)
file706 自分で紙に書くことの重要さ(言葉の直列性という特性)

 CBTをやっていて思うのは、可能な限り、自分で考え、ペンを持ち、手で紙に書くことの大切さです。
 もちろん限られた労力と時間で行うのですから、すべてはできません。

 しかし、紙に書き出すことは、思考を言語で表現するならば、その直列性という特性からして、紙に書き出して、一気に眺められる環境に置くことに価値があると思います。

 言葉は、基本的に直線で表現されます。日本語の文法や、思考の順序にそって、表現されるものです。
 しかし、認知というものは、実は、言語化する前に持っている、その人の基本的な物事に対する考え方や、ものに臨むときの無意識に起きている態度、と感じることが多いです。それは、一番感じるのはマインドフルネスの瞑想を行っているときです。

 言葉は、道具のように思えます。
 ですから、使い方次第です。
 頭の中だけで、コラム法を行ってみるのと、紙に書き出すのでは、全くインパクトは異なると思います。前者は忘れてはいけないというストレスがかかりますが、後者は少なくとも紙に記録されている時点で、そのストレスがないです。少なくとも、すべて自分が書いたものであると、客観的に皆が確認できることです。


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-09-30 19:09 | 言葉について
file696 マイナス化思考・メンタルフィルター(認知の歪みの一つ)のメリットデメリット分析と二重の基準
file696 マイナス化思考・メンタルフィルター(認知の歪みの一つ)のメリットデメリット分析と二重の基準

 マイナス化思考とは自分のプラスの資質が、取るに足りない、たいしたことが無いことだと頑なに主張する態度を言います。
 また、こころのフィルターとは、マイナスのことばかりくよくよ考え、プラスのことを間引く態度を言います。


 これらは、自分の努力いいことことがあっても、自分の手柄では無いのだと主張する態度、もしくは、自分の手柄だと受け入れない態度ともいえます。


 控えめな態度という、美徳ともいえますが、行きすぎると、「何をやっても、自分の手柄だと思えす、自信が付かず、満足も生じないという、不幸な結果を導く」態度です。


 こういう認知の歪みや、態度というものは、私自身が強く持っているものです。
 では、こういうことをどうするかというと、最近は、メリットデメリット分析にかけてみるようにしています。


① 〈嬉しい出来事、褒められたこと、手柄と一般的に言われることを自分が受け入れないことの長所はなにか?短所は何か?自問します〉


長所:
1 常に、高みを目指す動機となる。
2 簡単に満足せず、目標が高く、最終的に大きなものを得られる気がする。
3 控えめな態度が、周りを安心させる。
4 自分の手柄だと、主張しないことは、批判の的にならないですむ。
6 自分の力だと言えば、高飛車に見える。


短所

1 受け入れないことで、自分の能力が、本当はどこまでが出来てどこまでが出来ないことなのか実はわかっていないことになる。
2 自分の行ったことで、自分が満足できず、他人の承認ばかりを要求する。
3 他人に褒められても、控えめすぎて、周りの人もうんざりする。(褒めてるのに、あんまり喜ば無い人)
4 受け入れてしまうと、次も同じようなことをやらなくてはいけないと思うと、負担である。
5 自分の手柄を認めると、誰もがそのようなことを要求し、私は疲弊しきってしまう。
6  自分の手柄を認めると、私は常にその期待に添わなくてはならず、24時間戦えない。
7 出来たそばから、次の目標を設定しまい、嫌気がさし、動機が維持できない維持できない。無力感。

長所と短所の比較
3:7で短所が大きい。


とするならば、どのように、上記を合理的な自分のものにすることが出来るのだろうか?

自分の手柄を、自分のものとして「受け入れるための」信念修正(良い点を残し、悪そうな点を薄める)に取りかかります。二重の基準も使ってみます。(親友がそういうことを、頑なに主張してきたとき、どのように、その人に声をかけ、安心させてあげますか?)


 確かに、あなたのような、控えめな態度でありながら、熱い情熱をもって高みを目指すというのは、かっこいい姿ですね。それ自体、誰にも、否定されないことだし、あまり、針小棒大に自分のやったことを話すのも、みっともないというのも対人関係ではよくわかる。
 とはいえ、表面的にそういう態度であっても、内面的にはあなたのの行為が影響を与えて生じた、何らかの出来事だと評価して、自分を褒めることは、重要なことだと思う。周りからも、ちょっとしたことで喜ぶ方が、褒めごたえもあるし、それを、実力と思ってもらえれば、褒めた人も嬉しいと思う。
 また、一度出来たことは、確かに再度要求されるかも知れないが、常にその期待にそうひつようはない思う。また、とてもいい出来事というのは、自分の力もさることながら、いろんな人や環境や偶然も重なって起きていることだから、そのあたりのことは、ふつうの人にもわかることで、周りの人もそういう要求はしてこないことがほとんどで、そういう要求をする人は、その人自身に、何か問題が起きていることが多いものですよ。
 むしろ、あなたは、自分に厳しすぎて、本来の資質を伸ばせなくなっていることの方が、自分にはもったいないと思う.


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by nichinichiso | 2015-06-17 17:32 | 言葉について
file693 ネガティブ 2min
file693 ネガティブ 2min


自己否定的(批判的・自虐的)な「思考」がいかに自分を苦しめるかを具体的に知る方法として、私が行っているのに、時間を区切って、不快な、現実の悩み事を集中的に考えてみる方法があります。これは、よくCBTの本でも紹介されいます。

 結構、効果があります。
 通常、自己否定的な思考(自動思考)は、調子が悪ければ悪いほど、自分を蝕んでいきますが、意識的に行うことで、「有害さ」を身をもって知ることが出来るというメリットがあります。
 私の場合、3分のタイマーをかけて(これが重要です)、だまされた気分でやってみました。

 意外に、調子の悪いときは、あれだけいろいろ否定的、また葛藤的思考や言葉が出てくるのに、いざ、時間を区切ると出てこないことに、驚きました。それでも「挑戦」することが大切です。時間を無駄には出来ません。どんどん、自分を追い込む「いつもの言葉」をかけていくよう努力します。
 あいつが悪い、あそこでああいう態度をとる人の気が知れない、あの事件が無ければ、または、俺(私)が悪かった、自分の欠点だ、自分の職能、生活態度、意志の強さが足りない、環境が悪い、特に、幼少時が悪い………… とにかく、思い浮かばなくても、難癖をつけるぐらいの気持ちで、「否定的、自己批判的、ネガティブな」思考をつづけることが大切です。


 そうすると、自分が、非常な不快感に襲われることが、私の場合は、よくわかります。
 身体レベルでの緊張だったり、頭が締め付けられる感覚だったり、絶望的な未来を感じることが出来ました。

 そして、3分は長すぎる、2分が限度だと思うようになりました。


 意識的に、行う否定的思考は、私の場合2分が限度です。

 それほど、体に悪いことだと言うことがわかるのは、とても大切なことだと思いました。

 これほど、自分の思考が、自分を苦しめることがわかる、技法も、珍しいものだと思います。

 そういうことがわかることは、非常に有意義でした。


 もし良ければ1分でも、2分でも、タイマーで区切って、意識的に、自分を否定してみてください。自分の存在をめった打ちにしてみてください。また、他人をこき下ろしてみてください。その時の、自分を観察してみてください。
 最後には、やっていることのすごさに、笑いが出てしまうかも知れませんよ。


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by nichinichiso | 2015-05-24 15:58 | 言葉について
file685 いろんな言葉(自己破壊的用語の例)
file685 いろんな言葉(自己破壊的用語の例)

 認知行動療法を学びつつ、非常に参考になるのは、言葉の使い方です。
 新しい言葉を学ぶことは、新しい気分を作り上げる引き金でもあります。
 いろんなところで使われている、良く目にする「自己破壊的な日本語の使い方」を少し上げてみました。
 いろいろな文脈の中で、私が、着目した「言葉」を書き出してみます。
 括弧内は、おそらくそういう認知が働いてるのであろう私の推測です。※ 認知の歪みの定義は、バーンズ博士の本、(下記参照)に拠ります。
 
私は、クズである。  (←※レッテル貼り・感情的決めつけ)
私は、何一つ手にする事はできなかった。  (←マイナス化思考・全か無の思考・過度の一般化)
私は、面倒くさい人間である。  (←全か無・マイナス化・レッテル貼り)
私が、仕事を探すこと自体無謀である。(  すべき思考・完璧主義・全か無・感情的決めつけ)
私というくだらない人間 (レッテル貼り・全か無・マイナス化思考・感情的決めつけ)
私は、1日中ほとんど意味のあることはしてない。   (結論の飛躍・全か無・すべき・無価値感・、マイナス化思考)
つまらないわたし。   (←レッテル貼り・すべき思考・拡大解釈)
私は、今は頑張るしかない。   (すべき思考・完璧主義・罪悪感・こころの読み過ぎ、感情的決めつけ)
私は、本当に情けない。  (←完璧主義・マイナス化思考・拡大解釈)
私の、不安は尽きない。  (←過度の一般化・結論の飛躍・すべき思考・罪悪感)
私はバカである。もしくは、バカな私。(←レッテル貼り・全か無の思考・マイナス化思考・完璧主義・拡大解釈)
私は、堕落していく  (←感情的決めつけ・先読みのしすぎ・結論の飛躍・罪悪感・無価値感・過度の一般化)
私は、将来結婚しても子供は作らないと決めた( ←先読みのしすぎ・結論の飛躍・感情的決めつけ・全か無の思考)


上記のように、考えれば(思考)、気分は穏やかである理由がないだろう(感情)と、思うのではないでしょうか(コモンセンス)。私は、そう思います。

そこで、ひっくり返す、もしくは、形を変えた考えを引き出す、問いが必要になります。

例題: 
私が、「私は、クズである」という場面になることがあります。その時の、主張に対して、反論を用意してみました。

私の答え→ 私は、クズではない。そもそも、クズと言われる人はいるのであろうか?誰が、クズと決めるのであろうか?確かに、至らない点はあった、失敗もした、目論見通りに進まなかったが、それは決断が裏目に出たに過ぎない。
 それを、クズと呼んでしまったら、せっかくのチャンスを失うことになる。私が主張する、「クズ」とは、ゴミ屑の「屑」であり、植物の「葛(クズ)」ではない。
 「私は今回の出来事で、(植物の)クズです」と主張したら、たいていの人は極めて驚くだろう。
 そう言っていないだけ、他人に理解を得られるだろう。

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by nichinichiso | 2015-04-27 19:12 | 言葉について
file670 承認欲求が高すぎると、苦痛にまみれやすい
file670 承認欲求が高すぎると、苦痛にまみれやすい

 他人から誉められた時にだけ、自分が自分らしく感じるというばあい、それを承認欲求が高すぎるといいます。
 通常、他人から認められなくても、満足感が生じます。

 一番辛いのは、常に人の目を気にしないとならない生活に身をおくことを、自分にゆるしてしまうことてす。
 他人の注目を得て、生業とする、芸能人でさえ、プライベートは、大切にします。
 承認欲求が高い人は、お金ももらっていないのに、仕事でもないのに、プライベートを、他人の目にさらすことを求めるともいえます。

 ですので、承認を求めて、アクティブに動きますが、その分疲れてしまいます。
 内面の充実と、承認由来の喜びは無関係です。
承認は、誰でもたいていは、心地よいものですが、それは、満足感の一側面にすぎす、ほとんどの満足感は、自分の中で、自己完結的に生じる個々人の精神活動の産物です。

そういうことに気づいたら、早めに捨てましょう。★
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クリック応援、お願いします! ←これが承認欲求ないし、要求の一例です。 (笑) あくまでも一側面ですよ◎
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by nichinichiso | 2015-04-11 14:55 | 言葉について
file658 友人に会えないなら、葉書を書こう
file658 友人に会えないなら、葉書を書こう

 うつ病なり、気分障害なりになると、友人、先輩、後輩、知人、親戚に会うことが苦痛になりやすいものです。それは、自分が働いていなかったり、病気であること自体が、劣等感となり、同情されるのも辛く、他の人が過ごしてるであろう、無難でかつ、有意義な明るい(であろう)人生をみるのもまぶしく感じるものです。

 それ自体が、症状であれば、仕方がないことだと思います。
 いつかは、同席できる日が来るかもしれませんし、こないかもしれません。それは、あまりにも将来が遠すぎます。

 そこで、私が「今できること」「出来そうなコミュニケーション」としたのは、「昨年年賀状をくれた数人に」「正月の年賀状の宛名を、気持ちを込めて自筆でかく」「挨拶は、すでに印刷済みのものをスーパーで買ってきた物でかまわないし、時期も遅れてかまわない」というふうに設定しました。

 まず始めたのは、
1 文字の練習です。 気持ちを込めて自筆で宛名をかく以上、 多少は、今の自分の文字より、少しは上手になった文字で、書きたいものです。それをもって、「自分の気持ちであり、相手への敬意を表現し、自分の意識の高まり」と考えることにしました。

 すべての挨拶、宛名、挿絵すべてを手作りにすることは、たった10枚の年賀状でも、技術的にも、負担的にも無理です。
 ちなみに、私は、絵が下手ですし、集中力が持ちません。

2 ある程度、本屋で500円くらいで売っているペン字の本と、手元にあるペンで、文字を練習し、それで、多少でもも字の形が変われば、それでよしとしました。 
 
3 葉書にも宛名を書くときに少し工夫をして、まっすぐ名前、住所を書くために、鉛筆で、まっすぐな線を定規で、書くといいです。それに併せて、宛名と名前を、まっすぐになるように工夫します。宛名をペンで書いたら、最後に消しゴムで消します。




メールが中心の時代、年賀状も表も裏も印刷の時代、表だけでも、手書きで書くことは、明らかに、相手には、何かしらのメッセージを伝えることが出来ます。そして、それで十分と自分で考えること、納得すること、満足することが大切です。

 相手から褒められるか、無視されるか、それは自分にはどうしようもないことです。
 文字を書く努力、きれいに書く工夫をしたというのは、自分の責任範囲であり、コントロールできることです。しかし、相手がその文字をみて、「手書きは印刷より、汚いものだ」「病気の人は、暇でいいな」という感想を持ったとしても、それは自分にはコントロールできない相手の感想です。また、自分の責任ではありません。半分くらいの人は、手書きであることに感心するかもしれません。(10枚とは知らないから(笑))


4 それが楽しかったら、また、日本にはいい風習がありませす。最近は廃れてきてますが「季節の挨拶」という、葉書です。
  夏の挨拶、残暑見舞いもいいでしょう。誕生日の葉書、いろいろネットでみれば、葉書の「口実」は見つかります。
  同じように、作成して送ってみましょう。別に、合う必要はないのです。気持ちを込めて、相手の名前を書くというのは、それだけで、コミュニケーションの一翼を担うと、私は思います。
 


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by nichinichiso | 2015-03-22 19:53 | 言葉について
file646 なぜ、概念の操作だけでは、人の気分は変えられないのか?(私見)
file646 なぜ、概念の操作だけでは、人の気分は変えられないのか?(私見)

 概念とは、具体的に発生している出来事を一般化し、カテゴライズし、類型化することでまとめ上げた、きわめて抽象化されたコトバにすぎません。また、定義も、同様です。具体的事例を知らずに、定義、概念を知ることは、実は何もわかっていない袋小路に入る可能性があります。

 概念の操作に終始することは、一見有効で、かしこくも見えますが、一人相撲に終わり、何も実際的・具体的事実(問題)に肉迫することから遠ざかる一方です。
 なぜなら、事実への肉迫とは、きわめて個人的な体験であり、唯一無二のその人の感覚やそれに伴う感情思による具体的処理がなされて味わうことができることだからです。

 概念の押しつけ、概念を変えようとすることは、他人の気分をあおる程度のことはできても、受け入れられないことが多いです。
 なぜなら、よりその個人の体験に深く切り込めない言葉を使っていることが多いからです。
 「うつ病には、これが効きます。」というセリフは、ほとんどのうつ病患者の救いにはなりません。
 それは、「うつ病」という概念と、「これ」という抽象的なコトバ、「効く」という、治りそうなそれっぽいコトバしか、この文章にはないからです。

 そして、一般的に、押しつけあれた物は、どこかで反発や、苛立ちを生じさせ、もしくは押しつけられていることを実行できないことに自責の念を持ち、気分は悪くなります。
 だから、自分で、自分の思考と感情を確認して、自分で、本質に肉迫して、自分で間違えて、自分でただしていくツールを持つことがとても大切なのです。
 バーンズ氏の本に出会ってから、私のCBTに対する、取り組くみは、のノート5冊分(300ページ)くらいはあります。 そのすべてが、自分のコトバで、自分の思考と反証、合理的思考、感情饒辺か、メリットデメリット、などを書いた物です。それは、具体的事例そのものであって、自分とはまさに、そういうことを考えていたという具体的な産物です。


 もし関心があったら、一日1分読むことからはじめてみるのが、大切です。それ以上読むと病気だと、疲れ切って燃え尽きます。もしくは、本の文章をそのまま書き写すのも有効です、写経をイメージし、かきうつだけです。内容は、後日考えてみるようにします。
 そうしないとこれまた、病気下では、燃え尽きてしまいます。
 そして、一日一分読む、書き写したら、褒美として、自分の好きな物、お菓子を食べる、ビールを飲む、薬を飲む、パチンコをする、何でもいいので、自分で満足できるご褒美をたっぷり与えましょう。(叱責は人のためならずですよ)
 



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by nichinichiso | 2015-02-10 05:39 | 言葉について