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次回予告 我慢
次回は、「適切に我慢する体験」について、書きたいと思っています。

・未来へ開かれた我慢とはどういうことか
・我慢して病気になる場合があるのではないか
・我慢の対象をどう判断するか
・我慢強いといわれてたり、自覚していた人が、うつ病になった場合があるかもしれない

なんてことを、最近感じるようになりました。
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by nichinichiso | 2006-06-30 21:08 | 皆さんへのお知らせ
file 411 nichinichiso近況 カウンセラーとの会話抜粋
file 411 nichinichiso近況 カウンセラーとの会話抜粋

私が、この6月に投稿した記事は、3件です。(これで4件目です)
file408/409/410

なぜなら、非常に疲れていて、どうにもこうにも、うまく生活できない事態が続いています。

疲労はたまっているのですが、休めないという感じです。
そうなると、いろいろ報告してきた、技もほとんど無効になります。これ自体もショックですが。

先日、カウンセラーと面接をしてきました。その中で印象的だった会話を一部抜粋します。

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私:「わずか10分弱で歩いていけるコンビニに、弁当を買いに行くことも面倒なんですが、なぜ か繁華街とか、パソコンの調べ物とか、パチンコとかにはいけるんです」
私:「しかし、楽になるわけではなく、苦しい状態は続いています」
私:「休めないです」


カウンセラー:「近くのコンビニに歩いて、弁当を買いに行くこともできないというのは、ひどく疲れていますね」「繁華街とかで、人ごみにもまれたり、電車乗ったり、パチンコ屋にいくなんて、およそ限界を超えているように思えますが」

私:「そうかあ、10分先のコンビニに弁当買いに行くのも億劫ということは、それだけ疲れているということなんだなあ」「そうかあ・・・」

というところです。

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なぜ印象的かというと、10分で行けるコンビにより、30分かかる繁華街の方がいけるのか?という点についての解釈です。

私は、繁華街に時間・電車代をかけていけるのに、歩いて「生命を維持するための弁当」を買いにいくことすら面倒に感じることが、不思議でしょうがありませんでした。

その理由は、いろいろあると思いますが、重要なのは「10分で行けるコンビニに行くことすら面倒なほど、疲れている」ということです。

そして、繁華街に行くことができる理由は、あまり重視しないようにしようと考えました。
簡単に言えば、「生きている感じがする」からなんですが。

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私が住む関東地方は、梅雨に入り、蒸暑い日があったりします。
昨年は、心臓がドキドキして、苦しい日々が続いていたことを思い出すと、それよりはましかと思います。
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by nichinichiso | 2006-06-27 20:00 | 自分を知る
file 410 検査で安心した
file 410 検査で安心した

つい2週間ほど前に、心療内科の医師に「自分から相談して」血液検査と、尿検査をしました。

妻の勧めで、年に1度はこの時期に行なうようになっています。

結果は、何も問題ないということでした。

細かい数値は、わずかに低すぎたり、アレルギーがある場合に高い値を示すものがあったりしましたが。それだけで、何か特定の重大な疾患につながると推測されるものは、ないとの医師の判断でした。

ちなみに、去年も、問題なしでした。

安心しました。他の病気にもかかった場合は、また複雑な事態になるので。

病気はうつ病だけです。

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血液検査と、尿検査ぐらいは、年に1度ほど行なっておくと、安心感が増していいかもしれません。
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by nichinichiso | 2006-06-22 11:49 | 自分を知る
file 409 「嫌いじゃない」ことに焦点をあわせる
file 409 「嫌いじゃない」ことに焦点をあわせる
*図を入れる予定です

うつ病になって、何を生活の中に盛り込むかということは、非常に重要なことのように思えます。
基本的に、うつ病が疲れに由来するとなると、疲れない生活をすることが重要になるのだと思います。

ところが、私自身、そううまくできないということが多々あります。

それは、主に、肉体以上に、精神が疲労することを自覚します。

何をもって、精神疲労とするかは、私にはよくわかりませんが、うつ病そのものが精神疲労だと言われると、うつ病と診断される人のほとんどが、精神疲労が蓄積しているということになります。

これは、言葉遊びではなく、うつ病と診断される人のほとんどの精神が、疲労していると言うこととすると、その状態をもって、精神疲労と定義するしか、今は方法がありません。

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私が、最近、生活の中で何を盛り込むかということを考える上で、「好悪の情」(好き嫌い)に着目するようにして、精神的な負荷を下げるようにしています。


ここで、いくつかある対象について「好きから、嫌いまで」段階を想定します。

1 好き
2 嫌いじゃない
3 嫌い


さらに、「出来るか?出来ないか?」という問いを設定します。

a 出来る
b 出来ない


この要素をそれぞれ組み合わせて、自分の行動の指針にします。

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まず、最も大切なのは、3については、出来る出来ない(ab)を問わず、やるべきではないということです。
つまり、嫌いなことは、絶対にやらないという方向性です。
う簡単なことではない場合があると思いますが、とりあえずそういう方向を目指します。

例:パチンコは嫌いだが、やってしまう。タバコは嫌いだが、吸ってしまう。酒は飲みたくないが、飲まずにはやっていられない。

ちなみに、これは、やるべきだ、やらないべきだという話ではなく、ご自身が、好きか嫌いかという話です。(重要)



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次に、1(好き)についても、落とし穴があるように思えます。
私は、好きなことで、出来ること(1-a)があれば、それをやったらいいのではないかと思うのですが、病気を持っていると、好きなことが出来ない(1-b)または、続かないということが、大いにありえます。

これが、非常に、精神的に辛く、自分で自分がわからなくなる原因のひとつだと、最近思うようになりました。

私は、これが好きなんだけど、やってると疲れて出来なくなる。」という体験は、「挫折感」として感じるように思えるからです。
この挫折感は、非常に、精神的に辛いです。つまり、精神疲労を加速させる要素と考えます。

なので、好きなことでも、現段階では、あまり手を出さないようにしよう、ということになりました。

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そこで、着目するのが、2です(嫌いじゃない、嫌いとまでは言えない)。
2-a、つまり 「好きとまではいえないが、嫌いでもなく、かつ、出来ること」です。
これを、日常生活の中心に、もってくるといいのではないかと思います。


例えば、
音楽でも、嫌いでなければとりあえず、いつも聞かないようなものもなんとなく聞いてみる。特に、好きな曲ではないので、インパクトは弱いかもしれませんが、とりあえず、どんなもんか聞き流してみる(2-a)。


テレビは、私の場合、疲れるので嫌い(3)なので、滅多には見ません。

散歩はどうでしょう。
特に、嫌いでなければ、歩く体力があれば、歩いてみるといいかもしれません。(2-a)
私は、写真を撮るのが好きなので、そのときに写真を撮ったりしていましたが、緊張感で疲れるので写真はとらないようにしました。(1-b)

日常の家事はどうでしょうか。

特に好きというわけではない上に、嫌いでもないので、だらだらやっています(2-a)。
模様替えは好きなのですが、頭を使って疲れるので、やりません。(1-b)。

というような感じです。

ブログの記事を書くのは好き(1)なので、あまり書かないようにしています。
コメントするのも好きなので(1)、これまた、あまりやらないようにしています。

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2-aを生活の中心に持ってくることは、刺激的でないが、自分に負担をかけない生活という感じがします。

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by nichinichiso | 2006-06-13 22:40 | 生活リズム
file 408 失敗の定義
file 408 失敗の定義

私のブログのカテゴリには、当初から、「失敗事例」「成功事例」というものがあります。
これは、病気を患いながらも、病気回復に良さそうなことがあれば、成功。
反対に回復を阻害するようなことがあれば失敗と、単純に体験を分類していこうという、趣旨でした。


うつ病というものにかかってしまうと、およそ何をやっても悪くなるように思えることもあります。(実際そういう時期があると思います)しかし、時々「こりゃいい体験だ」ということもあります。それは、長く患っていればいるほど、対策を工夫すればするほど両者の体験があるかもしれません。

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私のブログの中で、「失敗」というものを定義付けるとすれば、以下のようになります。

失敗とは、当面、精神衛生上悪い影響を及ぼす起点となる体験である。

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これは、ちょっとしたことで,自分の状況が、悪循環に入っていくことから、その引き金となるような体験を「失敗体験」として、明確にしておこうということです。

ちなみに、「当面」というのは、数日とか、数週間とかです。
ですから、その時失敗と「評価」する体験であっても、ゆくゆくは、何かに生かせる可能性があるという含みを持ちます。そうすると、未来から振り返ると、「あの当時は失敗して苦しかったなあ」ということになります。


「起点」というものがあれば、もちろん、終点も意識しておきたいという含みがあります。

それは、精神衛生が悪くなって、苦しくて、わけが分からないという心身の状況(パニックの状態・下園氏の言う「しがみつきの状態」)を切断して、いい方向に向かうチャンスを予定するものです。その切断体験が、終点です。


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そして、失敗というものの最も辛いのは、「失敗した」という自分に対する自責の念が生じる場合です。
これは、自分の失敗を許せない、自分は無能だと感じる、自分の手には負えない複雑な問題だと感じる、自分が情けなくてしょうがなくなるという、気持ちを抱く場合だと思います。

これは、私自身、何度も体験しています。

例:
せっかく、いい調子だったのに、一回のパチンコで、すべてがパアになった気がする。
せっかく、いい調子だったのに、両親と顔を合わせたら、人生がどうでも良くなるような無力感に襲われる。
あれだけ、安全生活を主張していたのに、いつの間にか、どっぷり危険領域に踏み込んでいた。

すべてが、失敗事例ですし、事件性のあるものです。

そして、すべてに悩み、苦しみという感情が伴います。
ついでに、体の具合も悪くて、寝ても治りません。

その端緒となった体験、「疲れてふらっとパチンコ屋に入ってしまった」「妙に気分が高揚して両親に会ってしまった」などなど・・・。

それらを失敗とよびます。 

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失敗への事後対処は、非常に重要だと思います。
それらは、別に記事を書いていきたいと思います。

簡単に言えば、
(自分自身に対して)
「失敗してもいいんだよ」「もう一回学びなおせばいいじゃないか」
という言葉を大切にしたいと、思うようになりました。

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by nichinichiso | 2006-06-02 18:36 | 言葉について