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file662 もし病気でなかったとしたら何をしたいか?(問いの質の重要さ)
file662 もし病気でなかったとしたら何をしたいか?(問いの質の重要さ)

 私が、長い治療中に、治る方向に、自分を押し上げてくれた対話というものは、2年前に主治医に聞かれた、上記言葉です。

 これは、とても難しい質問でした。
 その当時は、夕方の、低血糖らしき疲労感(今でも時として、感じますが)に悩まされていて、光のまぶしさとかもありました。朝も起きれなかったように思えます。


 そういう病気っぽい、原因不明の疲労とか、不快とか、対人不安とか、目的の無さとか、自分の未来に対する失望感、過去への後悔など、全部を捨てて、「病気(症状が無かったら)でなかったら、何がしたいか?」と主治医に聞かれたことに、すぐには答えられませんでした。

 そういうことを、考えていいのだ、ということすら、その当時は、思いつきませんでした。

 でも、今思えば不思議なことです。
 どんなに症状があっても、何かおかしなこと、以前はなかったことなどいろいろあっても、「もしそういうのがなかったときに、自分が何をやりたいか考える自由はある」と思うからです。

 病気で苦しんでいる皆さんは、どうでしょうか?
 
 もし、今問題となっている目の前の出来事が消失したとしたら、何をやりたいでしょうか?
 それは、「具体的であるべきだ」と思えば、出てこなくなる恐れがあります。

 自分は、建築家になりたい、弁護士になりたい、パイロットになりたい、主婦になりたいというのも、もっともな答えです。
 健康になりたい。→これは、だめです。(健康なことが前提ですから)
 
 自分は、お金を稼ぎたい、趣味を持ちたい、社会的地位を上げたい、専門家になりたい。ちょっと抽象的ですが、いいと思います。

 自分は、今ある症状がなかったら、友人と毎週遊びたい、家族と出歩きたい、一人で旅したい、一人になりたい、結婚したい→とてもいいと思います。

自分は、今ある症状がなかったら、 専門学校に行きたい、美容師になりたい、調理師になりたい、…・。 →立派な健康人の目標ですよね。

 年齢とか、時代とか、を知っている人は、自分がこの症状がなかったら、それに応じた目標を環境に合わせて設定できます。

 ただ、その「問いが」とても大切なんだと思います。


 私は、いくつかの活動をしてから、「仕事をして、お金を稼ぎたい」という、漠然とした、答えをしました。


 どんな仕事かも、どういう稼ぎ方かもわからないが、自分は、そういう気持ちをもっているのは、ウソではなかったので、そう答えました。


そこから、では、どうしたら、皆目見当付かない状況で、今の症状を持ちながら、その「症状がない場合に達成したい目標を目指す道に入れるかを、考えました。ネットで探しました。役所も行きました。妻とも相談しました。

 それが、就労移行支援事業所に通所すること、、それがいきなり無理だったので、デイケアに行く運びとなりました。
 それから、デイケアに通い、再度、就労移行支援事業所に通所できる次第となりました。



まず明日すぐに出来ること、といえば、、一般論として言えるのは、社会資源としての、「地域の保健所」に行くことです。

そこには、必ず、いろんな疾患や、諸事情で困っている国民を助けるための制度があります。パンフレットをもらいに行く、場所を下見に行くだけでもいいです。困ってます、と一言言えば何かしら、向こうの人は「プロ」ですから、何かしら返事をくれます。それが、彼らの仕事です。
「相談する」というのが、医師と話すだけでなく、ほかのサポートを探すと言うことの大切さです。

 今の医師が、自分の治療のすべての情報をもっていると思ったら、見間違うことがあります。医師は、医師としてベストを尽くしてくれると思いますが、就労へ導くプロではありません。年金のプロでもありません。保険のプロでもありません。もちろん、心理士でもなく、認知行動療法のプロでもなく、作家でもないです。
 ですから、医師以外に、自分や、自分の周りの人を頼ることは、とても大切なことです。


私の場合、主治医が「あなたは、病気でなかったら何がしたいか」という質問をしてくれて、それを考え、、調べて、デイケアにいけるようになったのが、大きな転換点でした。

 もちろん当時、とても緊張しましたし、そんなところに行って、何が出来るんだろうと思いました。しかし、行ってみないと、有効か無効かも判断できません。行動してみないと、評価が出来ないのです。

最初の、就労移行支援事業所に行ったときには、結局、デイケアを挟んで、、それから1年たってから、通所開始しました。就労移行支援事業所は、私にとっては、デイケアより、体力的にむしろ楽でした。それを、デイケアに行ったことが、無駄だったとは決めつけていません。その期間、自分は自分なりに、何かをしていました。
 少なくとも、一人で家で、出来ること以上のことを集団の中でやることが出来たのは、成果です。


ですから、今の症状を確認することも大切ですが、自分で紙に書いてみることが大切だと思います。

「今自分の症状がなく、病気でないとしたら、何をしたいだろうか?」

ということを、自問自答して、その最初のステップを踏み出すのには、例えば、地域の保健所に行くのはどうだろうか?と考えてみるのです。

 考えたら、少しやってみることです。

 完璧とか、正解というのは、幻想です。
 そのプロセスがとても大切で、自分は結果を出すことを求められてるのではなく、その結果に至る過程に対する努力を求められていると、考えることも大切です。(プロセス指向)

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-03-31 20:05 | カウンセリング関連
file661 アモバンはすぐやめられた
file661 アモバンはすぐやめられた 

眠剤の一つの、アモバンは驚くほど、すんなり不要になりました。(2週間ぐらい0.5錠ずつ減らしました)
リボトリール0.5mgは結局、試行錯誤し減らせなかったのに、こっちはこんなに軽く中止できて、睡眠に異常がないというのは、正直、あっけなさ過ぎて驚きました。

ロヒプノールをマックスで飲んでるのも関係してるのでしょう。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-03-28 20:52
file660 私は「コートを着るべきだったのだ」と思うと辛いでしょう
file660 私は「コートを着るべきだったのだ」と思うと辛いでしょう

 先日、いつになるかわからないが、形式だけでも整えようと、少しずつ、仕事アイテム的なものをそろえ始めていました。(値段に悩み、結局、最初からうまくいくはずがないので、最も無難なリクルートスーツを買い、就活学生と同じ服装になってしまいました。そういう年でもなかろうに…)

 それでも、名前を入れたスーツを何とか用意したときは、当面ほぼ使う当てもないのだが、想像以上に、うれしさがこみ上げてきました。(予想-満足感)

 そこで、次のステップとして、「着て外出する」と言うことを考えてみました。(ステップを小さく)

 行く場所もないので、とりあえず、都内の自分の「人生にゆかりのある場所」を選び(学校とか、よく通った駅とか…)そこまで行って、当時との変化や様子を見て帰宅すると言うことを数回やってみました。


 そこで起きた事件はのは、「冷えてしまい、だるくて仕方がない」と言うことです。
 そうです、春物スーツで、コートがないものですから、テンションだけ高く、出かけたはいいが、やはり寒くなって、体の芯から冷え切って、どうにもこうにも辛い、ということです。(失敗)

 こういうことがあるのです。

 CBTの中では、こういう場合、いろんな考え方が出来ますが、私が考えた、自分への問いは次です。

問い:身体的に冷え切って、だるくて仕方がない、これは失敗だ。では、失敗を好機(チャンス)に変えられないか?


答え1 : いくら春めいてきたとはいえ、まだ3月下旬で、桜も咲いていない。冷え切る人はいるだろう、自分は、スーツ初心者で、かつコートを持たざるものだ。冷えているのは事実だが、これで、失う職を持っているわけでもない。週明け・就労サポートへの通所を休んでしまうかもしれないが、それはそれで仕方がないことだ。
 とりあえず、この冷えを何とかならないか、ネットで5分だけ調べてみよう・
 キーワードが出てくるかもしれない。

「体が冷えたら」とグーグルで調べて、一番上に出てきたものを一つやってみよう。

http://www.119-119.com/seikatsu-shuukan/carefuii/taoru.htm

冷えが原因で風邪になった時
~3分間治療法「不思議なタオル」が驚異の回復力をもたらしてくれる!~


こんな、ホットタオル的なものが出てきて、今までの自分にはない発想だった、簡単にいえでできそうなので、とりあえず、ホットタオルでお腹や鼠径部を温めてみよう。
→気持ちがいいな。(これは、今後も使える体験かもしれない)
→すぐに、自分の体が「冷えから治った」分けではないが、今後使える、素朴な方法を知ることが出来た。

問い2: 自分はコートも買うべきだった、もしくは、冬用コートを着るべきだったのだ!と考えることで不快になることへの反論と、感情を(自責感・すべき思考・マイナス化思考)の制御の努力

私の答え2: 
もしその服装だと、冷え切ると、家を出るとき100パーセントわかっていたら、自分はコートなしで出かけたであろうか?
→出かけない。冬用でも、(かっこわるくても、着ていた)。その数日前は、やや寒かったので、着ていた。また、自分の体調的に、寒さに弱いので、むしろ防寒を大切にしていた。

→とすれば、たまたま、その日午前中だけ暖かく、午後遅くまで用事があり、スーツ初心者だから、勝手がわからず、そういう失敗をしただけに過ぎない。判断がずれてしまった、よくあることである。
→永遠に、スーツを着て春を過ごすことが出来ないわけもない、仕事をしたら、春だからといって、常にこういう失敗をするわけでもない(気がする)。
→だとすれば、過ぎ去った失敗に対して、ああすればよい、こうすればよかったと、何度も反芻すること自体が、自分の冷えを悪化させてるのかもしれない。(不完全さを受け入れましょう)


問い3:このコートなし・スーツで冷えた事件は、全くその外出の趣旨を無効にするほどの出来事なのであろうか?

私の答え3:
 確かに、だるい、温かい飲み物を飲むと、恐ろしいほどに、胃が熱く感じる。他の人が、薄手のシャツの中、軽くダウンを羽織って外出している自分が馬鹿みたいだ、ここまで冷え切ると、もうだめかもしれない。(→と思って、人は、悲しくなり、自分を責め、緊張し・悲観的になり、自尊心を下げます)

しかし、本来の体験したかった、スーツを着る練習、ネクタイ、シャツ、皮の靴…、人生ゆかりの場所を訪れ、変化に驚き、変わらない部分にも驚き、そういう体験をしたのも事実である。そして、それは、ここ数年、味わったことのない、自分の中の時間の流れに思いをはせる貴重な体験だった。
 その体験に鑑みれば、、確かに、体は冷え切ったかもしれない、疲労困憊かもしれないが、それで、すべてよかった自分の経験が否定される理由はない。次に生かせるお土産もたくさんもってきたのだ。それは冷え切って、寝込みがちな今は使えないかもしれないが、冷えが治れば、使えるのです。ただそれだけのことです。(建設的評価)
 また、その外出行為自体が、自分の発想によるものであり、それは他から強制されたものではない。その点は、一人の人間のアイデアとして、十分意義のあることだと思う。(自尊心・マイナスか思考への反論)


というようなことを、考えて、気分を極端にしない努力をするのが、現在の自分の段階です。
実際、この事件は、以前だったら、きわめてショックだったと思います。こういう失敗を自分は、しないはずだと思っているからです。
しかし、起きてしまったのは事実なんです。その事実を、何度もその原因に思いをはせ、反芻することで、より緊張し、リラックスと問題解決を難しくするような気持ちを作ることは、病気だとかなり、あることのように思えます。

よかれと思ってやったことが、結局悪かった…。
それは誰でも、驚きます。

 なぜなら、悪い結果につながるだろうと確信して、やる人はあまりいないからです。何かしら、そういうことをしたにも、少しの真実があるのです。(今回だったら、外出時は暖かかった、前回より暖かかった、だから、コートは不要である) でも、間違えちゃうのが、人間の持つ性質だと思います。

 それを、ことさらに自分を責めるように仕向けるのは、失敗した出来事ではなくて、それの評価と、解釈、思考と、感情の複雑な力学があるように思えます。


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-03-28 20:38 | 自分を知る
file659 カレーのルウを変えるだけでも進歩です(完璧主義)
file659 カレーのルウを変えるだけでも進歩です(完璧主義)

 料理なりが、少しずつ生活の中で出来るようになるには、まず、作るのが簡単であること、そのものが売っている場所を、具体的に知ることが必要です。

 それを1日で出来る人は、1日で行うのがよろしいかと思います。
 そこまでたどり着くのに、1週間から数ヶ月かかる場合もあると思います。
 ついに、カレーを作ることが出来た。! という、簡単な目標を、上記ステップを踏み、作れたときの気持ちは、爽快でした。
 そして、翌日は、シチューを作りたくなり、その翌日は、豚の角煮を作りたくなり、そして、10日後には八宝菜を作り、疲れ果てて、うつ状態になりました。
 そこで思ったのは、俺は、料理すら作ることが出来ない。のだ。
 結局、一時的な高揚感で、作れただけで、継続力がない、それでは、意味がないと思ったものです。(数年前)

 今回は、CBTを学んでから、やっと再度カレーのルウの裏に書いてあるレシピを見て、その場で食材を買い、簡単に、ある日作ってみました。(凝らないことが大切です。切る野菜も、にんじんと、タマネギのみ)(なんなら、タマネギと、肉だけでも十分です)

 ここで、問題です。
 
 Q1
 それを数日かけて食べた後、次の料理をどうするかを考えたとき、どうしますか?


 私の答え:

 もう一度、同じルウで、同じ食材で、同じものを作ります。 (全く、工夫を凝らさないようにします)

 そうすることで、以前との自分の状態や、考え方、感じ方の違いを知ることが出来ます。
 自分は、同じものでも、二回目は、やや楽に作れるなあと思いました。(二回目は、初回より楽に出来ることがある)


それをまた数日かけて食べました。
そこで問題です。

Q2 その後、次の料理はどうしますか?

 私の答え: ルウを、「こくまろ」から「ハウス・ザ・カリー」に変えて、ほぼ同じものを作ってみます。


 こうすることで、ルウの値段の違いや、ルウ自体の違いで、どう違うのかがわかったりします。そして、ほぼ3回目の作業ですが、ルウが違うという、工夫とも言えない、わずかな変化を与えることで、満足感がある程度でます。



これは、一例ですが、生活上における「料理」「食事」というものについて、毎日、違うものを、作れるのが有能だ、手早く、作れることが大切だと思いすぎると、苦しくなります。

 病気であることは、通常の時に比べて、非常に、疲れやすくなっていて、かつ、失敗に敏感です。
 実は、失敗自体は、チャンスとも言えるのですが、そう認知が働かせられない場合は、生かし切れないので、苦痛だけが残ってしまいます。

 試験に失敗したからといって、人生が終わるわけではありませんが、終わると思う人も世の中に入るわけです。(私の例ですが)


 結局、カレーの翌日は、野菜炒め、そして、シチュー、そして、豚の角煮、気の利いたサラダ、そして一から八宝菜(相当手間です)を作るよりは、些細ではありますが、同じようなカレーを、作ることに、意義がある場合もあるのです。

 前者をとるか、後者にするかは、その人の状態によると思います。
 軽々出来ることを、少し変えて繰り返す(ルウの変更であっても)ことは、意識的に行えば、実は、大きな進歩と、応用の利く、基礎体験につながるのではないでしょうか?

 もちろん、欠点は、たびたびカレーを食べなくてはならないことです。 しかし、捨てちゃってもいいんです。 食べたくなくなったら。 三食のバランスが、、、と考えるのは、「正常」です。その場合は、夕食だけ、カレーにすればいいのです。

 毎日夜カレーはちょっと、と思う場合は、適度に間隔を開ければいいのです。
 そして、低血糖症だから、米は食べられないので…。という場合は、別の料理でやるのがいいのです。


 私の感想では、ある程度出来るようになると、毎日異なる買ってきた弁当を食べるより、毎日同じカレーでも、自分で作ったものを食べることの方が、満足できることが多いです。栄養のバランスはもちろん大切です。しかし、神経を張り詰めて総菜で栄養のバランスを整えようと努力するよりは、一日の中で、料理という「生きる上で意味のありそうな」行為に携わることは、自分に優しいと思うことが多いです。


 これは、価値観ですから、何が自分の癒やしになるのかはそれぞれですが、自分のためになることでも、やり過ぎると、せっかくのいいものを見失ってしまうと言うことを、避けることが大切だという、私の提案です。


 


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-03-24 18:21 | 成功事例
file659 カレーのルウを変えるだけでも進歩です(完璧主義)
file659 カレーのルウを変えるだけでも進歩です(完璧主義)

 料理なりが、少しずつ生活の中で出来るようになるには、まず、作るのが簡単であること、そのものが売っている場所を、具体的に知ることが必要です。

 それを1日で出来る人は、1日で行うのがよろしいかと思います。
 そこまでたどり着くのに、1週間から数ヶ月かかる場合もあると思います。
 ついに、カレーを作ることが出来た。! という、簡単な目標を、上記ステップを踏み、作れたときの気持ちは、爽快でした。
 そして、翌日は、シチューを作りたくなり、その翌日は、豚の角煮を作りたくなり、そして、10日後には八宝菜を作り、疲れ果てて、うつ状態になりました。
 そこで思ったのは、俺は、料理すら作ることが出来ない。のだ。
 結局、一時的な高揚感で、作れただけで、継続力がない、それでは、意味がないと思ったものです。(数年前)

 今回は、CBTを学んでから、やっと再度カレーのルウの裏に書いてあるレシピを見て、その場で食材を買い、簡単に、ある日作ってみました。(凝らないことが大切です。切る野菜も、にんじんと、タマネギのみ)(なんなら、タマネギと、肉だけでも十分です)

 ここで、問題です。
 
 Q1
 それを数日かけて食べた後、次の料理をどうするかを考えたとき、どうしますか?


 私の答え:

 もう一度、同じルウで、同じ食材で、同じものを作ります。 (全く、工夫を凝らさないようにします)

 そうすることで、以前との自分の状態や、考え方、感じ方の違いを知ることが出来ます。
 自分は、同じものでも、二回目は、やや楽に作れるなあと思いました。(二回目は、初回より楽に出来ることがある)


それをまた数日かけて食べました。
そこで問題です。

Q2 その後、次の料理はどうしますか?

 私の答え: ルウを、「こくまろ」から「ハウス・ザ・カリー」に変えて、ほぼ同じものを作ってみます。


 こうすることで、ルウの値段の違いや、ルウ自体の違いで、どう違うのかがわかったりします。そして、ほぼ3回目の作業ですが、ルウが違うという、工夫とも言えない、わずかな変化を与えることで、満足感がある程度でます。



これは、一例ですが、生活上における「料理」「食事」というものについて、毎日、違うものを、作れるのが有能だ、手早く、作れることが大切だと思いすぎると、苦しくなります。

 病気であることは、通常の時に比べて、非常に、疲れやすくなっていて、かつ、失敗に敏感です。
 実は、失敗自体は、チャンスとも言えるのですが、そう認知が働かせられない場合は、生かし切れないので、苦痛だけが残ってしまいます。

 試験に失敗したからといって、人生が終わるわけではありませんが、終わると思う人も世の中に入るわけです。(私の例ですが)


 結局、カレーの翌日は、野菜炒め、そして、シチュー、そして、豚の角煮、気の利いたサラダ、そして一から八宝菜(相当手間です)を作るよりは、些細ではありますが、同じようなカレーを、作ることに、意義がある場合もあるのです。

 前者をとるか、後者にするかは、その人の状態によると思います。
 軽々出来ることを、少し変えて繰り返す(ルウの変更であっても)ことは、意識的に行えば、実は、大きな進歩と、応用の利く、基礎体験につながるのではないでしょうか?

 もちろん、欠点は、たびたびカレーを食べなくてはならないことです。 しかし、捨てちゃってもいいんです。 食べたくなくなったら。 三食のバランスが、、、と考えるのは、「正常」です。その場合は、夕食だけ、カレーにすればいいのです。

 毎日夜カレーはちょっと、と思う場合は、適度に間隔を開ければいいのです。
 そして、低血糖症だから、米は食べられないので…。という場合は、別の料理でやるのがいいのです。


 私の感想では、ある程度出来るようになると、毎日異なる買ってきた弁当を食べるより、毎日同じカレーでも、自分で作ったものを食べることの方が、満足できることが多いです。栄養のバランスはもちろん大切です。しかし、神経を張り詰めて総菜で栄養のバランスを整えようと努力するよりは、一日の中で、料理という「生きる上で意味のありそうな」行為に携わることは、自分に優しいと思うことが多いです。


 これは、価値観ですから、何が自分の癒やしになるのかはそれぞれですが、自分のためになることでも、やり過ぎると、せっかくのいいものを見失ってしまうと言うことを、避けることが大切だという、私の提案です。


 


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by nichinichiso | 2015-03-24 18:21 | 成功事例
file658 友人に会えないなら、葉書を書こう
file658 友人に会えないなら、葉書を書こう

 うつ病なり、気分障害なりになると、友人、先輩、後輩、知人、親戚に会うことが苦痛になりやすいものです。それは、自分が働いていなかったり、病気であること自体が、劣等感となり、同情されるのも辛く、他の人が過ごしてるであろう、無難でかつ、有意義な明るい(であろう)人生をみるのもまぶしく感じるものです。

 それ自体が、症状であれば、仕方がないことだと思います。
 いつかは、同席できる日が来るかもしれませんし、こないかもしれません。それは、あまりにも将来が遠すぎます。

 そこで、私が「今できること」「出来そうなコミュニケーション」としたのは、「昨年年賀状をくれた数人に」「正月の年賀状の宛名を、気持ちを込めて自筆でかく」「挨拶は、すでに印刷済みのものをスーパーで買ってきた物でかまわないし、時期も遅れてかまわない」というふうに設定しました。

 まず始めたのは、
1 文字の練習です。 気持ちを込めて自筆で宛名をかく以上、 多少は、今の自分の文字より、少しは上手になった文字で、書きたいものです。それをもって、「自分の気持ちであり、相手への敬意を表現し、自分の意識の高まり」と考えることにしました。

 すべての挨拶、宛名、挿絵すべてを手作りにすることは、たった10枚の年賀状でも、技術的にも、負担的にも無理です。
 ちなみに、私は、絵が下手ですし、集中力が持ちません。

2 ある程度、本屋で500円くらいで売っているペン字の本と、手元にあるペンで、文字を練習し、それで、多少でもも字の形が変われば、それでよしとしました。 
 
3 葉書にも宛名を書くときに少し工夫をして、まっすぐ名前、住所を書くために、鉛筆で、まっすぐな線を定規で、書くといいです。それに併せて、宛名と名前を、まっすぐになるように工夫します。宛名をペンで書いたら、最後に消しゴムで消します。




メールが中心の時代、年賀状も表も裏も印刷の時代、表だけでも、手書きで書くことは、明らかに、相手には、何かしらのメッセージを伝えることが出来ます。そして、それで十分と自分で考えること、納得すること、満足することが大切です。

 相手から褒められるか、無視されるか、それは自分にはどうしようもないことです。
 文字を書く努力、きれいに書く工夫をしたというのは、自分の責任範囲であり、コントロールできることです。しかし、相手がその文字をみて、「手書きは印刷より、汚いものだ」「病気の人は、暇でいいな」という感想を持ったとしても、それは自分にはコントロールできない相手の感想です。また、自分の責任ではありません。半分くらいの人は、手書きであることに感心するかもしれません。(10枚とは知らないから(笑))


4 それが楽しかったら、また、日本にはいい風習がありませす。最近は廃れてきてますが「季節の挨拶」という、葉書です。
  夏の挨拶、残暑見舞いもいいでしょう。誕生日の葉書、いろいろネットでみれば、葉書の「口実」は見つかります。
  同じように、作成して送ってみましょう。別に、合う必要はないのです。気持ちを込めて、相手の名前を書くというのは、それだけで、コミュニケーションの一翼を担うと、私は思います。
 


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by nichinichiso | 2015-03-22 19:53 | 言葉について
file657 目標の立て方の「発想が大切」です
file657 目標の立て方の「発想が大切」です


 うつ病なり不安障害なりで、症状に悩まされているときに、その思考の根底には、「すべき思考」should statement があることは少なくありません。

このすべき思考は、私見では、「自己および、他者に対する、高すぎる要求」というふうに感じています。
 なにやらわからないが、朝起きれない、起きても、途中で疲れてしまう、何をやっていいかわからない、起きる気力すらない、人前に出るのが不安だ、友人家族と連絡とるのも面倒である。もう、自分には何も出来ないし、生きていることが不思議なくらいに毎日疲れている。
 ということは病気になると、「よくあること」であり「多くの人が悩む症状」の一つです。むしろ、これぐらい出なければ、本当のうつ病とか、不安障害とは言えないとすら言えるでしょう。ちょっと気分が落ち込む、ぐるぐる思考が続く、怒りっぽいぐらいなら、まだ軽傷です。

 認知の歪みの中では、いろいろ考え方の極端さが指摘されていますが、上記「すべき思考」は、自分を動かせなくする、一つの大きな柱になると思います。

 どうして動けないのか?ということを、考えてみると、自分の今の状態に対して、あまりにも壮大なプランを持っていて、それが故に、最初の一段目のステップすら、思いつかなくなっていると言うことがあります。うつ病なのに、毎日、図書館に行って本を読む、とか、毎日家事を数時間する、とか、いきなり就労する、とか、いきなり断薬する、とかいろいろです。
 あまりにも、「治りたい!(治るべきだ・俺は病気になるはずがない!)」という気持ちが、強くなりすぎて、闇雲になりすぎているきらいがあります。」


 私が、CBTをバーンズ博士の本でやり始めてから思ったのは、本当に、目標を小さくしたことでした。それでも、目標の大小ではなく、そのプロセスをプランニングするという、発想を持つようにしました。

 具体的には、1開始 2終了
 この2点を、具体的に決めることです。

 例えば、コップをあらうという目標を立てたら、1開始動作と、2終了状況をあらかじめイメージして、ことに臨むと言うことです。
 そして、完璧さを望まないことです。
 
 家から出るのすらおっくうだったら、まずは、家の扉を開けるという目標も適切だと思います。
 そんな目標は意味がないと思うでしょうか?
 家の玄関の扉を開けに、ベットから出て、(着替えなくていいんですよ!) 開けて、→そのまま閉めて 1目標が、終了です。これだけ出来れば、目標達成だと思います。
 これが出来なければ、外に出ることすら出来ないと私は思います。
 だから、通常の成人にとっては、取るに足らない目標かもしれませんし、隣の人には必要ない目標かもしれませんし、実際、必要ないでしょう。しかし、隣人には不要でも、病気を抱えてそうなっている自分にとっては、有意義かつ必要な目標であることは多いものです。

 例えば、昔のように働ける、稼げる、学習できると言うことを想像したとき、それに1000のステップが必要だと考えたら、まず最初にやることはなんでしょうか?しかも、簡単にできる1-5分で出来る最初の一歩です。寝たきりである人、寝たきりではないが社会と接触がない人、通院、デイケアは行っているが、働いていない人。そもそも働かなくてもいいが、家事が出来ない人、、、、。

 現状が出発点です。CBTの本が読めなければ、読むために数ページ読むのに必要なこと、数ページ理解するための最初のステップはなんでしょうか?
 その1ステップがなければ2ステップ3ステップが成り立たない、そのまさに今やるべき1ステップ目を見つけ出すという発想が大切です。

私がよく考えたのは、ある場所に行って、雰囲気を感じて帰ってくる。その場所に行って、空気を吸って帰ってくる(行った先が図書館でも、本は読まず、ぐるっと回って帰ってくる)。スーパーに行ったら、物を買わずに、どんなものがどのような場所にあるかを、ざっと下見する。(物は買わない)旅にいったら、旅先で、動き回らず、宿周辺を少し歩くぐらいにする。

 と、そんな塩梅で、最初のステップと同じボリューム感のステップを積み重ねていくことで、いろいろ出来るようになりました。
 状態が悪ければ悪いほど、病気になる前の自分が頑張っていればいるほど、自己に対する要求は高くなるのが人間です。
 しかし、それを現状の自分の物差しとすることは、役に立たないことが多いです。なぜなら、その物差しが故に、自分が病気になった可能性があるからです。


 というわけで、 部屋から出られない場合には、玄関の扉の開閉を最初のステップ(着替えまでは要求しない方がいいと思います。)とするくらいの発想が必要です。簡単にできたら、その実力はあると言うことなんです。次に、着替えて、玄関の開閉をする2ステップに進めばいいだけの話です。

 最初の玄関開閉で躓いたら、その原因がどこにあったのか? そもそも、自分は、ネットは見られるが、布団から起き上がることが出来ていない、と言うような点に気づいたら、布団から出て、→布団に戻る。ということをステップとして採用すればいいのだと思います。
 
 
 そしたら、罪悪感なく、自尊心を下げず、満足感とともに、いつもと同じように二度寝するのが、自分への最大のご褒美となると、私は思います。それぐらいが、ちょうどいいのではないでしょうか? 出来ないことを、なぜ出来ないと嘆くよりも、ばからしいことでもプランを立てて、実行して、目標達成して、余韻に浸って、いつもと同じように、(但し、罪悪感をへらしつつ寝てしまう)のが、役立つことだと私は思います。


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by nichinichiso | 2015-03-21 19:40 | 問題解決のヒント
file656 最初から、うまく出来るはずがない、件(完璧主義)について
file656 最初から、うまく出来るはずがない、件(完璧主義)について

 自分が不快な緊張や、不安という感情、を引き起こすような場面に面した場合、その時、何を考えているのでしょうか?
 自分が、先日、短いプレゼンをする機会があり、その時にいつものことなんですが「外から見てもわからない」けれども「自分的には、緊張し、不快に思って」プレゼンをしている状況になりました。
 声がうわずったり、足下が浮き足立ってくる感覚が、開始2分後くらいからしてきます。ただ、これは、内面的な自覚であり、外からは、わからないのです。むしろ、よく出来ているようです。

 上記プレゼンは、全くはじめてのことでした。
 いつも、人前で話すときは、上記のような内面的に自覚する緊張感があります。
 これは不快です。
 この部分を自分の成長の糧とするには、どのような思考が、有効かを考えてみます。


1 まず、「最初から、うまく出来るはずがない」という、態度です。
 ある程度知らない人、ある程度知っている人、全く知らない人の前で話をする時を想像してみると、仲のいい人と話すより、緊張するのは、「当然」のことだと思います。

 しかし、そのあまり知らない人たちの前で、新しいことを伝えたり、反論したり、質問されたりしたときに、完璧に、その時間10-60分間を美しく、華麗に話し、応答し、思考を巡らし、過ごせる、そして、安心に覆われているという自分は、現実にあるのでしょうか?

 それが「ある」と考えていたら、それは、苦痛を引き起こす態度です。
 
 はじめてやるプレゼンなり、議論、指示なりで、その適度な時間を、適度に流して、自分の言いたいことをある程度伝えられて、相手の言っていることを半分ぐらい理解できて、思考も、いつもの半分ぐらい回れば、それで、何か問題があるのでしょうか?

 終わった後に、こうすればよかった、と悩むこと、逡巡することもあると思います。
 しかし、それは、実はプレゼンが、「不完全」だったからです。

 そして、その「不完全が故に、正しい」プレゼンだったんだと思います。

 なぜなら、一連の流れの中で、自分の不足していた部分、力量、応答、伝え方の「欠点」が浮き上がってくるという課題設定が、次に出来るからです。

 もし、完全に出来てしまったら、何も、今後何ももうやることはないでしょう。課題もなければ、緊張もない、誰もが相づちを打ち、すべての人が正解と評価し、自分も完璧だと思っている出来事というのは、客観的にみて、不自然さが残ります。
 むしろ、より多くの改善点が見つかる方が、「失敗」と感じるぐらいの方が、実は、クリアしがいのある課題なんです。

 そう考えると、完璧さを求めることは、自分の成長を止める(望まない)態度とも言えます。

 冒頭の・「最初から、うまく出来るはずがない」という態度は、不完全さを前提としています。


2  では、もし同じようなプレゼンを、「次回」やることがあったとき、その時は完全に出来るでしょうか?

 NO です。

 なぜなら、場所屋は同じでも、やることが同じでも、聞く人が違ったり、聞く人の体調が違ったり、自分の体調の違い、寝不足の有無、仕事量増減、薬の状態、抑うつの程度もすべて違います。
 より前回を受けて、改善点について、改良は出来ますが、自分のみならず、相手の状況、環境の状況も実は大きく異なっています。
 それは、実は、同じように見えて同じことをやっているとはいえません。

 ですから、完璧にやることは出来ないのです。

 やはり、そこでは、自分の課題を洗い出すことが成果となって出てきます、失敗するぐらいでもちょうどいいのです。(不完全さ)

3 さらに考えていくと、今日できたことは、明日出来て当然なのでしょうか?
 
 →  NOとなります。
どんな小さなこと、コップ一つ洗う、同じ通勤経路、同じ風景、似見える場所を歩く、散歩した道も、すべて自体は刻々と変わっていますので、「人は、何かしら違う状況に直面している生き物」なんだと、思います。それが、生きている上で、前提として厳然たる事実として未来に広がっているように、私は思います。

そういう意味では、完璧さというのは、「すべき」という思考に支えられていますが、幻想なんだと思います。
 それを、ご自身が暗黙の仮定としているときは、掘り出す必要があります。そして、難しいことではないことから、不完全さに満ちていることを観察していくことは重要だと思います。

 不完全だから、いろんなことの「ずれが見え」てきて、おもしろさや、課題や、努力や、意欲がわいてくるんだと思います。


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-03-13 18:34 | 心理的背景
file655 ボディスキャンと瞑想(マインドフルネスストレス低減法
file655 ボディスキャンと瞑想(マインドフルネスストレス低減法


file ボディスキャンと瞑想(マインドフルネスストレス低減法)

 ボディスキャンという、マインドフルネスストレス低減法の本の中で紹介される技法があります。

 疲れていたり、気持ちが高ぶりすぎていたり、自分でやるのが面倒だったり、集中力が続かないことが多い場合、最近使っている、androidのアプリがあるので、紹介します。

 詳しくは、同アプリの案内を見てください。

 自分の感覚としては、音声に従って、自分の意識を動かしたり、呼吸に集中したりをしていき、横になったまま出来るので、いつもやっている座位や、歩行による瞑想のほかにも、レパートリーとして加えてもいいと思っています。楽に体験できます。

 感覚が、ぼやっとしていくのがよくわかりました。(音声の声の質や、話し方が、自分に合っているからかもしれません)
 
 無料部分だけでも、とりあえず十分体験にはいいと思います。
 私は100円追加して、有料部分の一部を購入しました。
-------------------
android アプリ


寝たまんまヨガ 簡単瞑想: リラックスした睡眠で不眠解消!

Excite Japan Co., Ltd.
- 2014年12月15日

https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.co.excite.netamanma_yoga&hl=ja





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by nichinichiso | 2015-03-11 15:14 | 呼吸関連
file654 core beliefs "a ssumption,rule-for_living" スキーマ療法なるもの
file654 core beliefs "a ssumption,rule-for_living" スキーマ療法なるもの

バーンズ先生の本を読んだかで、印象的だったのは、「CBTは万能ではない」「単一でで、すべてに有効なものがないのだから、当然です」といった趣旨の、話です。

その中で、ではどれくらい効果があるのかといった話で、2/3の人には有効で、1/3には、効果がない。といっていた気がします。

そうなんだと思います。

躍起になって、100人いれば100人役立つものを作り続けようとすることに固執することは、結局、進歩を遅らせるだけなんだと思います。
 そこで、さらに、自動思考のレベルに焦点を当てるのではなく、「信念」"corebeliefs A Sssumption,rule-for-life"ヤングのスキーマ療法というものがあります。一度図書館で、結構しっかり読みましたが、正直、すごいです。
 
こっちの方が、自分に合っているのではないか?とすら思った本です。しかし、とりあえず、出来そうにないので、バーンズ先生の本を読んだり、しています。

 簡単ですが、本を紹介しておきます。効果があったら教えてください。




翻訳本
スキーマ療法―パーソナリティの問題に対する統合的認知行動療法アプローチ 単行本 – 2008/9/27

ジェフリー・E. ヤング (著), マジョリエ・E. ウェイシャー (著),

ジャネット・S. クロスコ (著), 伊藤 絵美 (翻訳)

伊藤絵美さんが主に書いた本
スキーマ療法入門 理論と事例で学ぶスキーマ療法の基礎と応用 単行本(ソフトカバー) – 2013/8/28

伊藤 絵美 (著, 編集), 津高 京子 (著), 大泉 久子 (著), 森本 雅理 (著)




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by nichinichiso | 2015-03-11 15:01 | カウンセリング関連