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認知療法・認知行動療法・低血糖症について
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〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2016-01-30 11:19 | 皆さんへのお知らせ
file701 疲労と感情(自分に苛立つ人) 
file701 疲労と感情(自分に苛立つ人) 
**** この記事は非常にうつ病にとって重要だと思うので、しばらく一番上に持ってきます。 元日時150915

 疲れたということがわかるのは、自分の感覚です。
 その疲労感にどのような感情反応を起こすかで、人生は全く異なってくると言っても過言では無いでしょう。


 認知が歪んでいる場合は、自分が何かしらの活動で疲労した事実に対して、苛立ったり、しょげたり、悲しんだりします。
 そこには、そういう気分になる、「何らかの思考」とか、「疲労という事実に対する主観的態度」(これらこそが認知ですが)があります。

 認知に歪みがある場合、自分に対するご褒美と言うことの意味がわからなかったり、ネットで、疲労解消法を探しまくって、やってみてもいまいちだったりします。

 その一つの大きな原因は、「疲労すべきでは無い」そう考えて、「疲労したことに苛立ったり、怒りを持ったり、自責的な気分になっている」場合があります。

 およそ、こう考えることは、癒やし、ねぎらいという言葉とはほど遠い、感情のあり方ですから、どうしても、体の芯から休めません。疲労解消の方法にこだわってしまうのです。
 まるで、疲労が、親の敵であるかのように、疲労解消法を試しても、それは、どこか矛盾を抱えています。疲労解消の努力で、疲労していくようなものです。


 上記は、私自身が感じていたことです。

 しかし、一歩下がって考えてみると、「自分が(何らかの理由で)疲労していること」は紛れもない事実であって、それは、ねぎらわれるべきことであり、そこまで頑張ったことを認められるべきであり、優しく対応されるべきものであり、決して、責められるべきことでは無いのです


 責められるべきことだと思っているから、「こんなことで疲れては駄目だ」とか「もっと出来るはずだ」と言う理屈の流れになって、感情が混乱します。
 一番責めているのが、自分だからこそ、根が深い問題を引き起こします。

 一つ一つは、取るに足らない小さなことでも、いろんな理由で、人は疲れます。
 それは他人と比較することでは無く、主観的なものです。


 そして、その疲労に対して、まず、自分が優しくなり、結果とか、成功失敗などという努力の成果のようなものよりも、むしろ現状疲れている自分に対して、滋養と癒やし、を与える優しさを持つことが必須です。
 
 自分に厳しいことは、短期的には、せいかを残せるかも知れませんが、長期的に見れば、体をこわします。


 そういうことは、うつ病に罹患したことにもいえます。

 うつ病なり、何なりと言われるほどの症状が見られるのは、責められることでは無いという感覚を持つことは、非常に重要です。そして、一番責めているのが、自分では無いか?問うてみる必要があります。

 自分に対して、優しくすることが、本来病気を治す上で一番近道なんです。
 それを、なぜか、自分に辛辣にすることが人生の態度となっている人が多いです。


 病気にかかったときの状況というのは、およそ、信じられないくらいの出来事に囲まれていたと思います。一人一人状況は異なっていても、環境の中で、自分なりにベストを尽くしても、自分を守りきれなかっただけなんだと思います。それは、その人の、良さと表裏一体をなす部分が、病気と関係していると思います。



 だから、治るときには、その自分の良さを捨てないといけないような、一種の錯覚に陥る気がします。
 しかし、本来、その人の良さというものが、その時は病気につながったかも知れないが、次回そのような事態になったときは、もう学んでいるので、二の轍は踏まないとおもうのです。

 疲労感に対する態度は、病気と関係があるように感じます。

 主観的に疲労を感じたとき、まさに、その時こそ自分に優しくする「べき」であり、厳しくしたり苛立ったりしするなんて、論外で、人でなしであると思えるようになれば、疲労が怖くなくなると思います。
 そして、より疲れにくくなり、自分の健康が高まると思います。

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by nichinichiso | 2015-10-15 19:51 | 自分を知る
file697 自虐的信念も、一つの思考(言葉の塊)にすぎない、という発想は本質を変える
file697 自虐的信念も、一つの思考(言葉の塊)にすぎない、という発想は本質を変える


 認知療法の本(いやな気分よさようならや、不安もパニックもさようなら(いずれも星和書店)を読んでいて、下向き矢印法*で、暗黙の仮定を見つけ出したり、自虐的な信念と呼ばれる(完璧主義とか、業績主義、」承認欲求性、愛情必要性などの信念)ものを見つけ出して、それを、書き換え、さらに、現実的に検証してみるという方法は、いくつも技法が乗っています。

 その中で、あるときに、自分のこころに妙にに引っかかるというか、ほっとさせられる文章というものが、本の中にあります。
 
 その一つが、私の場合「そういう信念を持つに至ったのは幼少期の人間関係にあるとしか、言いようがない」(それ以上は、難しいから深入りしないという感じ)の記述が、ありました。

 自分の日常生活上で、CBTを生かそうとするとき、自分をリラックスさせられる、簡単な文章を持つことは、有意義だと想います。
 
 初めからうまく出来る人はいない。
 日本語が話せれば(うまく話せなくても)かまわない。
 緊張は、強めのかゆみにすぎない。
 伝えたいことの半分でも伝われば十分である。

 など、自分なりの、簡単なフレーズが見つかってきます。


 そういうことを積み重ねていくうちに、あるとき、上記の「信念も、幼少期に何らかの理由で教育された、一つの考え方にすぎないのだ」という発想が、すごく自分を楽にすることを見つけました。
 
その時は、気持ちが、ぐっと、軽くなるのが身体レベルで生じます。

 そして、その幼少-青年期に学んだ何かしらの信念というものは、言語的には、言葉の塊(思考の一つ)として、検証能力、洞察能力、相手の事情を知る力を持たない幼少期の人間には、あたかも、絶対普遍で世界を統一的にはかれる(道徳性も含めた)、ものさしであり、ルールであるように見えます。
 しかし、実は、そうではないと言うことは良くあることです。
 なぜなら、その教育をした人自身の、困っていることや、引け目だったり、恥じている部分だったり、欠けていると思っているものを「よかれと思って」教えようとしたことの場合が多いからです。
 大抵、そういう動機から出た「教え」というものは、狭量なものであり、未来志向ではなく、将来予測できない人間の営みにおいて、うまく適応できるための、開かれて、柔軟な信念を持ってほしいと言うよりは、極めて限定的だったり、技術的だったり、能力における高さという、狭くて、融通のない信念を持たせることであったりするのです。熱心な教育者であるあまり、自分の抱えている問題が、普遍的に自分の子供なりにも大切な問題になる「はずだ」と誤解して教育してしまう例です。

 そういうことをうまく覆す言葉を持つことは、非常に、認知療法の中で自分の気分の安定に役立ちます。
 自分の信念は、所詮教育上得た一つの考え方にすぎないのですから。





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by nichinichiso | 2015-07-26 16:26 | 自分を知る
file684 武装解除法(自分に批判的に聞こえる場合)
file684 武装解除法(自分に批判的に聞こえる場合)

 批判者に対する、武装解除法と呼ばれる、対応の技法があります。
 
 「人間関係の悩み さようなら」星和書店  Dバーンズ著 "Feeling Good Togethe"

を先日買って読んでみました。

 『いやな気分よさようなら』の中でも、武装解除法は出てきます。

 これは、非常に、有効だと思ったので、記事にします。

 基本的には、自分と意見が異なると、ちょっと批判的に聞こえたり、実際批判されたり、自分にとって重要な譲れないことだとさらに対立的な気分になります。そレは、どんな立場の間柄であっても、人と人がコミュニケーションをとる以上、下のものは、悪い気分になるべきではない、とか、上級の者だからこそ悪い気分になるべきでない、とも言えません。
 結局、立場も、地位も、名誉も、収入が異なっていても、同じでも、人間同士である以上、意見のずれは起きるものです。
 その時、どうしても従わざるを得ない人ほど、意見に対して苛立ちを覚えたり、困っている人ほど、さらに反対意見に敏感になります。


 そんな立場を超えて、この武装解除法は役に立つと思います。
 結局、相手の批判や、異なる意見であっても、「明示的に」その意見の中にある一片の真実を探すよう努力することが、自分のためになるのです。

 先日、医師との間で、仕事についての意見が分かれました。私の意見をフォローするような考えではありませんでした。
 いつもなら、「医師が言うなら仕方がないか」とか、「薬出されなくなったら辛いから、わかったふりしておくか」ぐらいの気持ちで、了解するようにしていました。
 しかし、何となく、医師の言うことの一部にも、その人なりの真実があることを感じ、あえて「先生が言う、○○ということは、確かにありますね」「そう○○であれば、問題が難しくなるのは、確かですね」と、同意してみました。それは、その点はもっともだと少し思ったからです。
私の主張は、私が、何度も考え、他の者とも相談したものでもありました、それだけ「練ったもの」でもあったのです」練られていれば、思考が重ねられていればいるほど、人は、それを撤回したくないと思うのは、労力を使って作り上げた結果ですからに当然だと思います。

 それでも、反対意見に、自ら真実を見つけ「明示的に同意」することをしました。
 それが、なぜ役立ったのかというと、医師が同意を得られて満足した(ように見える)だけではありません!
 さらにその1時間後、自分の中に「新しいアイデア」がわいてきたのです。
 それは、医師との会話の中で出てきたキーワードが組み込まれた、アイデアでした。
 ですから、その医師の反対意見が、有益に生きて自分のものと出来たのです。これが、一番驚いたことです。

 自分が大切にしているものを壊すことと、反対意見を受け入れることは、同じ意味合いがあります。しかし、恐怖を乗り越え、勇気を持ってあえて破壊することで、新しいビジョンがわくことは、とても不思議な出来事です。
 もし良ければ、やってみてください。


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by nichinichiso | 2015-04-26 20:26 | 自分を知る
file681 BDI評価尺度を使い切る(自分の今)
  長期間の治療において大切なのは、病状の程度を自分で把握するスケールを持つことだと、バーンズ先生の本に書いてあり、自分でもそう思います。
 それは、主観的な気分をある程度、客観的にする作業で、自分のうつ病、不安障害が、悪化したときに役立つものです。
 どんなに、改善していても、新しいことにチャレンジしようとすれば、失敗、挫折、フラストレーション、不安が、生じるからだと私は思います。
 生きている以上、気分とは、付き合っていかざるをえないのです。それは、人間のひとつの特性だと思います。
 簡単な尺度として、私は、BDIの尺度を、つかってます。「いやな気分よさようなら」の13ページから始まるものです。。
 調子悪いのかな?とおもったり、かなり調子わるいぞ!というときに、同尺度を、やってみると、点数は、変わってます。→おおー、なら、仕方ない、休息をたっぷりとろう、とか発想がわきました。
いろいろ、疲れているときには、ぐるぐる考えるより、簡単な自己分析だと私は思います。。
質問に答え、点数化するだけですから簡単にできて、楽だと感じます。。

 ちなみに、月二回くらいやって、本に点数を書き込んでありますがここ数ヶ月は
19 17 12 26 13 12 16 18 という感じです。
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by nichinichiso | 2015-04-23 17:51 | 治療方針のヒント
file680 CBTの作文(実例) 同著271ページを中心に
file680 CBTの作文(実例) 同著271ページを中心に

 自分なりに、バーンズ先生の「いやな気分よさようなら」を読んで、作文を行うことがあります。
 その一例を、紙から、ブログに移してみました。(私自身が書いた文章です・一部変更)

本質に迫るための、下向き矢印法と、その信念に対する、合理的思考、および、感情の変化を記録


①状況:数日後に、会合が迫っている
②感情:不安・面倒・やりたくない・緊張・疑念
③自動思考と下向き矢印法

1 1月前に設定したときには、会合をやる気があったのに、今はそれほどない。

↓それの何が問題か?
2 人は常に、前向きな気分で物事に取り組むべきである。(すべき思考)
↓そうできないと、何が問題か?
3 一度自分が決めた「決断が嘘である」といことになってしまう。(全か無の思考)
↓それが何を意味するのか?
4 私は自分のいろんな経緯と、手続き、相談をもって先月に決めた判断を覆すことで、関係者にに無駄な時間を使わせ、相手へ期待を持たせた、だけの行動を伴わない人物になる。(レッテル貼り・過度の一般化・こころの読み過ぎ)
↓ 期待を持たせただけの人になると何が問題か?

5 私は相手の期待に応えられない人である、また、私の判断の誤りに困惑する。(レッテル貼り・すべき思考)
↓それが何を意味するのか?

6 相手から「逃げた」と思われるように感じる(結論の飛躍・先読みのしすぎ・感情的決めつけ・全か無の思考)
↓それがどう問題なのか?
7 私は、相手の信頼を失う、認められない、役に立たない存在になるだろう(自尊心・承認欲求・無価値感)


-----------
④ 上記6・7の信念的な思考部分に対して、反証(合理的思考・自己擁護的思考)

 人は常に、全力で正面から物事を受け止めて、サービスを提供しなければならないものではない。「逃げる」というのは、自分を大切にすることである。逃げる最中に、活路を見いだすこともある。妥当性を第三者に聞いてみよう。
 相手からの信頼とは、私がコントロールできることではない。私が、どのような距離でいたいかが大切なことである。近くなりたいのか、遠くなりたいのか? 私は、会合の相手自体をそもそも信頼しているのであろうか?(「信頼したい」とは思っていても現段階では「信頼できない」と思う。


そう考えれば、「不安・面倒・やりたくない・緊張・疑念」が生まれるのももっともなことであり、とりあえず、どうしてもやらねばらならない、出席しなくてはならない会合でないならば、欠席したり、保留し、それを失礼なく先方に伝え、自分の気分の変化を観察する時間を作ろう。

⑤気分(感情総合)80パーセント改善!


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by nichinichiso | 2015-04-22 19:00 | 具体的対処
file672 困っている人を助けられるのでしょうか?(責任の分配)
file672 困っている人を助けられるのでしょうか?(責任の分配)

 なにかしら、困っている人を見ると、自分ができることがないかを考えるのは、よくあることです。
しかし、実際、気分障害や、その困っている人「対応で困ってししまう人」によくあるのは、自分の責任の範囲を明確にできず、自分が困り事を解決できていない、ことに罪悪感を覚えたり、「すべき思考」にはまることです。
 親子、兄弟、親族であっても、自分以外の人を助ける「べき」と思う場合には注意が必要です。
 どこまで、自分は時間を割けるのか、どこまでが相手の責任の範囲で、どこまでが自分の責任の範囲か、明らかにしておく必要があります。
 優しい人は、多くの場合、普通の人には想像もできないほどの、責任を抱えている場合があります。他人の人生を、自分の責任において成功させることができる、ぐらいの意気込みがあると、たいてい自分が困ってしまいます。
 どんなに親しい人でも、他人の助けを100パーセント解決できる人はいないからです。
 なぜなら、その「解決」
というのは、援助を受ける者が、決めることであって、いくら援助する人がベストを尽くしたからといって、被援助者の気持ちまで変えることはできないからです。
 それが、「責任の分配」という発想の一つです。 
 なぜ自分がやらなくてはならないのか、どれくらいやる必要があるのか、それは本当に正しいことなのか?自分はなにがしたいのか?、自問の姿勢が求められます。


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by nichinichiso | 2015-04-13 19:35
file670 承認欲求が高すぎると、苦痛にまみれやすい
file670 承認欲求が高すぎると、苦痛にまみれやすい

 他人から誉められた時にだけ、自分が自分らしく感じるというばあい、それを承認欲求が高すぎるといいます。
 通常、他人から認められなくても、満足感が生じます。

 一番辛いのは、常に人の目を気にしないとならない生活に身をおくことを、自分にゆるしてしまうことてす。
 他人の注目を得て、生業とする、芸能人でさえ、プライベートは、大切にします。
 承認欲求が高い人は、お金ももらっていないのに、仕事でもないのに、プライベートを、他人の目にさらすことを求めるともいえます。

 ですので、承認を求めて、アクティブに動きますが、その分疲れてしまいます。
 内面の充実と、承認由来の喜びは無関係です。
承認は、誰でもたいていは、心地よいものですが、それは、満足感の一側面にすぎす、ほとんどの満足感は、自分の中で、自己完結的に生じる個々人の精神活動の産物です。

そういうことに気づいたら、早めに捨てましょう。★
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by nichinichiso | 2015-04-11 14:55 | 言葉について
file664 物差しの所在(標準・基準・価値)
file664 物差しの所在(標準・基準・価値)


 人は、物差しをもって、世界や自分を評価し続けて生きていく存在です。
 その物差しは、自分内面から生じた物差しでしょうか?
 ものさしの、良さ、悪さ、以前に、それが、自分のものさしか、他人のものさしを自分のものと勘違いしているに過ぎないものさしなのかを明らかにすることは、有意義です。

 なぜなら、他人のものさしは、最終的には、自分になじまないからです。
 他人のものさしを参考に、自分のものさしを磨き上げることは、とても重要なことですが。「あの人がこう言った(こう思っている、大切にしている価値観がある)から、そうなんだろう、だから従おう」という発想は、自分を追い込む発想だと思います。

 なぜなら、 人は、他人とは同じ環境にいても、みているものも違えば、感じていることも違う、持っている知識も、経験も、その人の性格も違うし、ましてや、環境に違いがある場合は、もっとそのことは当然のように感じるのではないでしょうか?

 法律の勉強をした人と、数学の勉強をした人と、料理の勉強をした人と、福祉の勉強をした人と、大工の勉強をした人は、それだけで、ものの見方はちがってきます。

 そうなると、生まれた場所、時代、生育歴が違えば、またこれも異なります。


 各人は、そのものさし(標準・基準・価値観)を自分なりに作り上げている存在です。
 そして、それはもちろん、独善的であることとは違います。
 社会の中で、また、自然の中で生きている以上、周りの環境に合わせて生きていくことが求められますが、その時、自分の物差しでは測りきれない事態に遭遇します。
 また、上下関係や、場の雰囲気から、その物差しを一時的に無視することも必要となるでしょう。(自分はそう思っていないが、上司の言うことだから、特段反対もしないでおこう…。)

 でも、それは、現実的な「判断」であり、自分のものさしをもっているから、「現実的一時的判断」が出来るのではないでしょうか?

 もし、他人の言うこと、影響力のある人の標準が、自分のものさしより優れているから、自分はその人に従うべきだ、とこころのどこかで思っていたら、それは、学びではなくて、強制を受け入れていることです。

 現実的な判断と、強制の受け入れは、明確に区別する必要があります。

 なぜなら、混乱するからです。
 区別できていればその場をしのぐことが出来ます。その時期をしのぎつつ、自分の世界を伸ばすことも出来、また、周りとの関係も平和です。

 自分の持つものさし(標準・基準・価値)が、自分の集めた情報の成果であれば、それは、結局失敗しても、立ち直るのはたやすいです。なぜなら、他人を責める必要も無く、また、自分を責める必要も無いからです。
 特に、前者は大切です。他人を責める必要があると感じると、そちらに力を奪われてしまいます。

 ですから、今現在の自分のもっているものさし(標準・基準・価値)が、自分由来のものか、他人に知らずのうちに強制されているかを区別しておくことは、自分の判断に責任を持てる第一歩だと思うのです。
 ちなみに、他人に影響を受けることは、とても自然なことだし、人の円を大切にする態度です。それを自分のものとすることも、有意義な人間の営みです。 そこには、自分でで採用しているという、基準がすでにあるからです。そういう感覚が無い場合は「強制、押しつけという不快な気分をどことなく伴っていることが多いです。
 特に、社会というものについての判断が未熟な、少年、青年期の他人の影響は大きいものがあります

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by nichinichiso | 2015-04-06 06:23 | アダルトチルドレン問題
file658 友人に会えないなら、葉書を書こう
file658 友人に会えないなら、葉書を書こう

 うつ病なり、気分障害なりになると、友人、先輩、後輩、知人、親戚に会うことが苦痛になりやすいものです。それは、自分が働いていなかったり、病気であること自体が、劣等感となり、同情されるのも辛く、他の人が過ごしてるであろう、無難でかつ、有意義な明るい(であろう)人生をみるのもまぶしく感じるものです。

 それ自体が、症状であれば、仕方がないことだと思います。
 いつかは、同席できる日が来るかもしれませんし、こないかもしれません。それは、あまりにも将来が遠すぎます。

 そこで、私が「今できること」「出来そうなコミュニケーション」としたのは、「昨年年賀状をくれた数人に」「正月の年賀状の宛名を、気持ちを込めて自筆でかく」「挨拶は、すでに印刷済みのものをスーパーで買ってきた物でかまわないし、時期も遅れてかまわない」というふうに設定しました。

 まず始めたのは、
1 文字の練習です。 気持ちを込めて自筆で宛名をかく以上、 多少は、今の自分の文字より、少しは上手になった文字で、書きたいものです。それをもって、「自分の気持ちであり、相手への敬意を表現し、自分の意識の高まり」と考えることにしました。

 すべての挨拶、宛名、挿絵すべてを手作りにすることは、たった10枚の年賀状でも、技術的にも、負担的にも無理です。
 ちなみに、私は、絵が下手ですし、集中力が持ちません。

2 ある程度、本屋で500円くらいで売っているペン字の本と、手元にあるペンで、文字を練習し、それで、多少でもも字の形が変われば、それでよしとしました。 
 
3 葉書にも宛名を書くときに少し工夫をして、まっすぐ名前、住所を書くために、鉛筆で、まっすぐな線を定規で、書くといいです。それに併せて、宛名と名前を、まっすぐになるように工夫します。宛名をペンで書いたら、最後に消しゴムで消します。




メールが中心の時代、年賀状も表も裏も印刷の時代、表だけでも、手書きで書くことは、明らかに、相手には、何かしらのメッセージを伝えることが出来ます。そして、それで十分と自分で考えること、納得すること、満足することが大切です。

 相手から褒められるか、無視されるか、それは自分にはどうしようもないことです。
 文字を書く努力、きれいに書く工夫をしたというのは、自分の責任範囲であり、コントロールできることです。しかし、相手がその文字をみて、「手書きは印刷より、汚いものだ」「病気の人は、暇でいいな」という感想を持ったとしても、それは自分にはコントロールできない相手の感想です。また、自分の責任ではありません。半分くらいの人は、手書きであることに感心するかもしれません。(10枚とは知らないから(笑))


4 それが楽しかったら、また、日本にはいい風習がありませす。最近は廃れてきてますが「季節の挨拶」という、葉書です。
  夏の挨拶、残暑見舞いもいいでしょう。誕生日の葉書、いろいろネットでみれば、葉書の「口実」は見つかります。
  同じように、作成して送ってみましょう。別に、合う必要はないのです。気持ちを込めて、相手の名前を書くというのは、それだけで、コミュニケーションの一翼を担うと、私は思います。
 


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by nichinichiso | 2015-03-22 19:53 | 言葉について