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認知療法・認知行動療法・低血糖症について
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〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2016-01-30 11:19 | 皆さんへのお知らせ
file 719 『うつ病を治す』 野村総一郎著 講談社
file 719 『うつ病を治す』 野村総一郎著 講談社


うつ病をなおす (講談社現代新書) 新書 – 2004/11/19  野村 総一郎 (著) 講談社

を読みました。

うつ病について、同先生の本は訳本は読んでいましたが、この本は初めて読みました。
罹患されたすぐの方も、周りの方も、長く続いている方も、もう一度基本書として読んでみるといいと思いました。
うつ病について、(=感情障害全般の話ですが)の病因論の野村先生による仮説は、圧巻で説得的です。プロローグと、7章に出てきます。

1 遺伝子上の特質がある〈重みづけ機能不全)
2 学習獲得性特徴の影響がある (こだわり性〉)
3 性格特徴の影響がある(メランコリー親和性と循環器質〈この両者の共通点も、実はあると著者は言います。〉)
4 臨床的問題がある。 (病気としてのうつ病)

1は、生物学的な要因 2.3は、社会/心理学的要因 4生物学的要因〈ストレス反応〉とならんでいます。

薬は必須のアイテムであり、4の部分に影響を与えると考えられると言っています。
そして、精神療法は、3の部分に直接影響を与えうるとしています。そして、精神療法は、いくつも種類があり、その人にしっくり来るものは、人によって異なるから、大きな本屋さんで、啓蒙書をいくつも読んでみて、おもしろそうなものに取りかかるのがいいと書いてありました。ちなみに、野村先生は、認知療法の立場だと言うことです。



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by nichinichiso | 2015-10-23 17:12 | 参考図書
file715 中核動機付けと向き合うタイミング
file715 中核動機付けと向き合うタイミング(常にあるもの)

 認知療法の本の中でも、やはり、どうしても否定的、自虐的な思考がどのような、信念・中核動機付けに、維持されているのかを自覚していくステップが大切にされているものもあります。
 
 この段階は、自分の乳幼児期にえた、親しいもの(家族など)との間で、どう扱われたか、いかに教育されたか、どういうコミュニケーションがあったのかを具体的な事件ではなく、むしろ、ぼんやりとしたあの日々の心象風景的な枠組みとして理解し、それでいて、現在では簡単な言語かをすることが進められています。

 ただこれには、タイミングのようなものがあるようです。

 周りがよかれと思って、やっていた良心が、小さな自分を傷つけている場合があります。そして、そんな自分を守るためだったり、周りを喜ばすために持ち続けてきたその人の当たり前の態度(認知)の塊のようなものが、中核動機付けとなり、現在の自分にも深いレベルで脈々と存在している感じです。

 これは、病気だからと言うよりは、どんな人でも、精神の成長の形態としては、当たり前の発達の仕方だと思います。
 しかし、病気になってしまうような、また、ぶり返すような中核動機付けなるものは、知っておくことが大切で、修正しておくことも大切で、すぐには、変えられないが、将来的には自分のものにできる目標と位置づけるものでもあります。(拙速を危ぶむ領域)
 ただ、その辛い過去に、どっぷりとはまることもまた危険です。現実が、その過去の自分の記憶で台無しにされてしまう危険があるからです(うつ病悪化・認知の歪み)。

 ここは、非常に繊細で、うまくいけば、ダイナミックな変化(世界観を変える)を引き起こす革新的な部分に感じます。

 そして、初めて、悲しみとか、自分に共感することが、自己イメージを変え、自尊感情を強化し、合理的な思考を可能とし、感情が正常になり、病気自体を治癒させるのではないかと感じます。
 


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by nichinichiso | 2015-10-17 20:44
file714 「やるべきか否か」ではなく、「やる価値の有無」を自問する
file714 「やるべきか否か」ではなく、「やる価値の有無」を自問する

 気分障害、うつ病、不安障害などでは、症状として「やるべきか否か」の検討で、疲弊していくことはよくあります。
 その思考は、繰り返されるほど理由のわからないエネルギーを使い、答えが出なくなります。
 背景には、「恐怖」があることがあります。


 例えば、低血糖症だから、一切炭水化物を抜くべきだ、という方法がある場合、それが、効果的でないようだったり、自分の体に合っていないとか、変な感じがするときにも「抜くべきだ」いや、「食べるべきだ」という、迷いが生じます。
 または、自分は食べたら治らない、という強迫観念の元、禁止することもあると思います。

 その効果は人によって違う場合もあるのではないでしょうか?炭水化物を抜くことであっというまに、うつ病が治る人もいれば、治らず、むしろ「抜くべきだ」というすべき思考に強迫され、日々の生活が、炭水化物との戦いに明け暮れ、おびえて生活するほどになると、外の方が多くなってしまいます。
 話がずれました。上記のような場合は、炭水化物の恐怖に支配されていないかを確認する必要があります。
 私の場合、ひどい低血糖症と言われ、精神科医からは、トラウマになるからその検査自体を中止すべきだったと説明を受けました。そういう考えもあるのかと、検査から数年後に、はっとさせられました。
 

 やるべきか否かと考えてしまうのはいくつか理由がありますが、最終的には、自分で責任を負わなくていいというメリットがあります。しかし、本来、不快なすべき思考は、他者からの押しつけだったり、自虐的信念に由来する産物ですから「強制される¥という感覚を生みます。強制されることは大抵不快です。
 その時、自分は、今考えていることを「やる価値があるか否か」を自問することで、答えが見えてくることがあります。
 そして、もしやる価値がないと思う場合、それにはそれなりの常識的理由があります。しかし、それと同時に、その判断に従うことに、恐怖を感じることも多いです。
 本来、現状、自分が進む価値のある道(選択だ)と(うっすら)気づきながらも、過去からの経験や、権威者の言葉、自分の意見の変更をすることにたいする、いろいろな恐怖が生じます。

 しかし、それは、単なる一過性の不快感にすぎないので、自分の常識的感覚大切にして、やる価値のあることをすべきことより重視して、踏み込む勇気が大切になってきます。
 その件について、関係性のある人には、それを伝達して、表出することが大切です。大抵、常識的、理解が得られるものです。

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by nichinichiso | 2015-10-17 12:13 | 問題解決のヒント
file701 疲労と感情(自分に苛立つ人) 
file701 疲労と感情(自分に苛立つ人) 
**** この記事は非常にうつ病にとって重要だと思うので、しばらく一番上に持ってきます。 元日時150915

 疲れたということがわかるのは、自分の感覚です。
 その疲労感にどのような感情反応を起こすかで、人生は全く異なってくると言っても過言では無いでしょう。


 認知が歪んでいる場合は、自分が何かしらの活動で疲労した事実に対して、苛立ったり、しょげたり、悲しんだりします。
 そこには、そういう気分になる、「何らかの思考」とか、「疲労という事実に対する主観的態度」(これらこそが認知ですが)があります。

 認知に歪みがある場合、自分に対するご褒美と言うことの意味がわからなかったり、ネットで、疲労解消法を探しまくって、やってみてもいまいちだったりします。

 その一つの大きな原因は、「疲労すべきでは無い」そう考えて、「疲労したことに苛立ったり、怒りを持ったり、自責的な気分になっている」場合があります。

 およそ、こう考えることは、癒やし、ねぎらいという言葉とはほど遠い、感情のあり方ですから、どうしても、体の芯から休めません。疲労解消の方法にこだわってしまうのです。
 まるで、疲労が、親の敵であるかのように、疲労解消法を試しても、それは、どこか矛盾を抱えています。疲労解消の努力で、疲労していくようなものです。


 上記は、私自身が感じていたことです。

 しかし、一歩下がって考えてみると、「自分が(何らかの理由で)疲労していること」は紛れもない事実であって、それは、ねぎらわれるべきことであり、そこまで頑張ったことを認められるべきであり、優しく対応されるべきものであり、決して、責められるべきことでは無いのです


 責められるべきことだと思っているから、「こんなことで疲れては駄目だ」とか「もっと出来るはずだ」と言う理屈の流れになって、感情が混乱します。
 一番責めているのが、自分だからこそ、根が深い問題を引き起こします。

 一つ一つは、取るに足らない小さなことでも、いろんな理由で、人は疲れます。
 それは他人と比較することでは無く、主観的なものです。


 そして、その疲労に対して、まず、自分が優しくなり、結果とか、成功失敗などという努力の成果のようなものよりも、むしろ現状疲れている自分に対して、滋養と癒やし、を与える優しさを持つことが必須です。
 
 自分に厳しいことは、短期的には、せいかを残せるかも知れませんが、長期的に見れば、体をこわします。


 そういうことは、うつ病に罹患したことにもいえます。

 うつ病なり、何なりと言われるほどの症状が見られるのは、責められることでは無いという感覚を持つことは、非常に重要です。そして、一番責めているのが、自分では無いか?問うてみる必要があります。

 自分に対して、優しくすることが、本来病気を治す上で一番近道なんです。
 それを、なぜか、自分に辛辣にすることが人生の態度となっている人が多いです。


 病気にかかったときの状況というのは、およそ、信じられないくらいの出来事に囲まれていたと思います。一人一人状況は異なっていても、環境の中で、自分なりにベストを尽くしても、自分を守りきれなかっただけなんだと思います。それは、その人の、良さと表裏一体をなす部分が、病気と関係していると思います。



 だから、治るときには、その自分の良さを捨てないといけないような、一種の錯覚に陥る気がします。
 しかし、本来、その人の良さというものが、その時は病気につながったかも知れないが、次回そのような事態になったときは、もう学んでいるので、二の轍は踏まないとおもうのです。

 疲労感に対する態度は、病気と関係があるように感じます。

 主観的に疲労を感じたとき、まさに、その時こそ自分に優しくする「べき」であり、厳しくしたり苛立ったりしするなんて、論外で、人でなしであると思えるようになれば、疲労が怖くなくなると思います。
 そして、より疲れにくくなり、自分の健康が高まると思います。

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by nichinichiso | 2015-10-15 19:51 | 自分を知る
file713 答えようのない問いは、人を疲弊さす
file713 答えようのない問いは、人を疲弊さす


 気分障害、うつ病、不安障害、低血糖症もありますが………、認知療法の本を読んで、セルフヘルプしていると本当に、役立たない「問い」のがあることに気づきます。

 この数年、なんだったのだろう?
 この病気に、何でなったのだろう?
 オレはこれからどうしたらいいのだろう?
 何で、こんな事態になったのだろう?
 誰が、悪いのだろう?
 自分が悪いのだろうか?
 血糖値が下がっているのではあるまいか?
 インスリンが、今たくさん出ているのではないだろうか?
 遺伝子がおかしいのではあるまいか? 


 こういうことは、病気になると、つい考えやすくなります。
 しかし、これらについて共通しているのは、非常に抽象的で、誰にも明確に答えようのない質問である点です。
 
 病気であっても、具体的な毎日を過ごしていくことが大切です。皿をあらい、部屋を掃除し、外出し、楽しみ、家事や、仕事義務も行い、自分の時間、他人との交流という目的に具体的に必要な行動は何かを自分に問うことは有意義です。
 完璧主義で困っていたら、その日、50点をどれくらい具体的に維持できたかを振り返ることは、成功失敗含め有意義で、気持ちのいいものです。
 しかし、一日の終わりに、今日の一日また無駄にしてしまった、何の意味があるんだろう?ということを問うても、自分を傷つける答えようのない、自虐的質問だと、私は思います。
 

 何を、いつ、どこで、誰と、どのようにやるか、やったか、を思い出せることは、非常に大切です。それを支える具体的な問題意識を持っているからです。
 自分はなんのために生きているのだろうか?という、問いは、一日の最初にも終わりにもふさわしくない質問に、私は思えます。(答えようのない、疲れる質問)
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by nichinichiso | 2015-10-13 19:30 | 言葉について
file710 50点とはどれぐらいか?(完璧主義)
file710 50点とはどれぐらいか?(完璧主義)

 完璧主義が100点(実は150点)を目指す態度だとしたら、手放したければ、50点を常に目指してあらゆる生活をするだけのことです。
 コレをやるときの難しさは、「恐怖」の存在です。
 恐怖感が、より良く、より高く、より深く、より高度に、より正確に、より大量に、より高品質なものをあらゆる日常活動に(仕事、就職、交友、人気、コミュニケーション力、体力、経済力、家庭のあり方、子育て、親、学歴、過去の自分…・)せき立てます。
 その恐怖に耐えることで、50点を目指すことで得られる、平凡な毎日に充実感が生れてきます。
 50点というのは、どの程度を言うのでしょうか?

 感覚で、いいと思います。ちょっと恐怖感が出るくらいが、50点だと思います。一つ一つの行為を、50点にするもよし。週単位で考えるもよし。 とにかく、危険を冒している、恐怖が生じる(本当はできるけど、やめちゃうよ的な)くらいをもって、50点とするのも一計です。

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by nichinichiso | 2015-10-06 19:03 | 言葉について
file709 完璧主義は批判するための概念にすぎない
file709 完璧主義は批判するための概念にすぎない

 完璧主義は、自己批判と親和性のある主義です。
 完璧主義というのは、具体的にどの程度を言うのでしょうか?どれほどが、合理的基準で、どこを超えると完璧主義と言われる、高すぎる要求になるのでしょうか?各人によって違うのだと思います。
 完璧主義を言い換えれば、そもそも実行不可能であり、(自己)批判を受ける可能性のあるものという、考え方もできると、私は思いました。
 それを、何かしらの見当違いで、自分に課してしまう基準をして、完璧主義と言えるのではないかと思い増しt。亜
 つまり、基準が先にあるのではなく、むしろ批判されるべきなにかが最初にあって、後付け、でそれを一定の具体的に「すべきこと」とした基準が、完璧主義だと思うことが多いです。

 よくある、意地の悪い姑が、嫁の掃除の不完全さを暗に批判するために、窓枠の埃を指ですくい取るというようなことです。【他人からの完璧主義と批判】

 それが、自分の心の中で、自己完結的に起きるのが、「自己批判のための完璧主義」と言える気がしました。

 こういう態度をとり続ける以上、完璧主義をやめることを考える上で、最初に考えるのはむしろ、際限の無い自己批判の無意味さを具体的にメリットデメリット方なので、分析することが必要だと思いました。

 結局、基準を変更したとしても、そもそも批判ありきでは、どんな基準を設定しても、批判されてしまう不快感からは抜けられず、さらに、どんな形を持ってしても無慈悲な批判と、自己憐憫、不全感がついてまわってしまうように思えます。

 自尊心を破壊することができるのは、唯一、自分だけであるという仮定に基づけば、自己批判と完璧主義(その由来は幼少期にあるとしても)手放すこともたやすいことなのだと思うようになりました。

 その基準は、批判されることを前提としていないか、よく自問する必要があります。
基準は、自分に爽快感を与え、満足感を満たし、自己を成長させるために設定するものであり、決して、それを下回ったら批判を受けるべきものという、拷問のような仕組みではないのです。

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by nichinichiso | 2015-10-06 18:48 | 言葉について
file708 不安・恐怖・混乱を無理にでも増強する態度という逆説
file708 不安・恐怖・混乱を無理にでも増強する態度という逆説
 
 Dバーンズ氏の、不安対策の本の中では、3つの治療技法の方向性(認知・曝露・隠された感情モデル)のなかで、曝露法(エクスポージャー)が、一つの大きな柱となっています。
 
 私が、いろいろやってみて思うの、とても大切なのは、、古典的曝露(すぐ再現できる場合の方法/無駄なスマホいじりをやめたいし、目の前にスマホがある場合)でも、認知的曝露技法(環境がなくてすぐ再現できない場合にイメージを使う方法/冬の海で船が転覆したらどうしようと不安)も取りかかったら、「より自分の不快感を高める試行錯誤、恐怖を2倍3倍にする試行錯誤、混乱で頭の中がいっぱいになり、洪水のように不安心身ともに震え上がる」ことを目指して、「自分で努力すること」です。
 どうしたら、自分はもっと頭がおかしくなるほど、不安が高まり、恐怖が身を震わせ、混乱できるのか?を、曝露中に考え、想像し、身体症状が起きるように「ひたすら努力」することを大切にしました。(笑)


 15分から20分ほど続けていくことで、大抵の不安恐怖は、体の芯から安堵に変わることがわかりました。(身体的変化です)
 
 否定的思考の信念に対する態度として、
 逆説の受け入れという、考え方は大切です。具体的には、、自分が考えている否定的思考・イメージは、①実は真実であり、もっと驚くべきことは、②自分が想像している以上にもっと凶悪なことを他人は思っているし、今後も起きてしまうのですそれを具体的に想像していくそして、もっと想像を進めることです。

 自分は、自分は口べただから、周りの誰からも好かれない、という信念(自分が信じて疑わないこと、ひっくり返せない堅い考え方)。があるばあい。

 ① 実は、その通りであり。かつ、忘れてはならないのは、 ②実は、自分が思っているのはまだ甘くて、周りの人だけでなく、言葉のしゃべれない犬や猫、亀、花、植物や、太陽からもその人間の本質を見抜かれ好かれ、「自分は悪い人間なんだ」思われてしまう、と言うことを受け入れようとする態度です。

 そこには、人間らしい発想と、ユーモアが自分を癒やしていくれるという、スケールの大きい自分というものが垣間見られると思います。
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by nichinichiso | 2015-10-04 08:50 | 認知行動療法(CBT)
file706 自分で紙に書くことの重要さ(言葉の直列性という特性)
file706 自分で紙に書くことの重要さ(言葉の直列性という特性)

 CBTをやっていて思うのは、可能な限り、自分で考え、ペンを持ち、手で紙に書くことの大切さです。
 もちろん限られた労力と時間で行うのですから、すべてはできません。

 しかし、紙に書き出すことは、思考を言語で表現するならば、その直列性という特性からして、紙に書き出して、一気に眺められる環境に置くことに価値があると思います。

 言葉は、基本的に直線で表現されます。日本語の文法や、思考の順序にそって、表現されるものです。
 しかし、認知というものは、実は、言語化する前に持っている、その人の基本的な物事に対する考え方や、ものに臨むときの無意識に起きている態度、と感じることが多いです。それは、一番感じるのはマインドフルネスの瞑想を行っているときです。

 言葉は、道具のように思えます。
 ですから、使い方次第です。
 頭の中だけで、コラム法を行ってみるのと、紙に書き出すのでは、全くインパクトは異なると思います。前者は忘れてはいけないというストレスがかかりますが、後者は少なくとも紙に記録されている時点で、そのストレスがないです。少なくとも、すべて自分が書いたものであると、客観的に皆が確認できることです。


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by nichinichiso | 2015-09-30 19:09 | 言葉について