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file714 「やるべきか否か」ではなく、「やる価値の有無」を自問する
file714 「やるべきか否か」ではなく、「やる価値の有無」を自問する

 気分障害、うつ病、不安障害などでは、症状として「やるべきか否か」の検討で、疲弊していくことはよくあります。
 その思考は、繰り返されるほど理由のわからないエネルギーを使い、答えが出なくなります。
 背景には、「恐怖」があることがあります。


 例えば、低血糖症だから、一切炭水化物を抜くべきだ、という方法がある場合、それが、効果的でないようだったり、自分の体に合っていないとか、変な感じがするときにも「抜くべきだ」いや、「食べるべきだ」という、迷いが生じます。
 または、自分は食べたら治らない、という強迫観念の元、禁止することもあると思います。

 その効果は人によって違う場合もあるのではないでしょうか?炭水化物を抜くことであっというまに、うつ病が治る人もいれば、治らず、むしろ「抜くべきだ」というすべき思考に強迫され、日々の生活が、炭水化物との戦いに明け暮れ、おびえて生活するほどになると、外の方が多くなってしまいます。
 話がずれました。上記のような場合は、炭水化物の恐怖に支配されていないかを確認する必要があります。
 私の場合、ひどい低血糖症と言われ、精神科医からは、トラウマになるからその検査自体を中止すべきだったと説明を受けました。そういう考えもあるのかと、検査から数年後に、はっとさせられました。
 

 やるべきか否かと考えてしまうのはいくつか理由がありますが、最終的には、自分で責任を負わなくていいというメリットがあります。しかし、本来、不快なすべき思考は、他者からの押しつけだったり、自虐的信念に由来する産物ですから「強制される¥という感覚を生みます。強制されることは大抵不快です。
 その時、自分は、今考えていることを「やる価値があるか否か」を自問することで、答えが見えてくることがあります。
 そして、もしやる価値がないと思う場合、それにはそれなりの常識的理由があります。しかし、それと同時に、その判断に従うことに、恐怖を感じることも多いです。
 本来、現状、自分が進む価値のある道(選択だ)と(うっすら)気づきながらも、過去からの経験や、権威者の言葉、自分の意見の変更をすることにたいする、いろいろな恐怖が生じます。

 しかし、それは、単なる一過性の不快感にすぎないので、自分の常識的感覚大切にして、やる価値のあることをすべきことより重視して、踏み込む勇気が大切になってきます。
 その件について、関係性のある人には、それを伝達して、表出することが大切です。大抵、常識的、理解が得られるものです。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-10-17 12:13 | 問題解決のヒント
file689すべき思考 一対処(○○できたらいい。なぜなら~)
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file689 すべき思考 の対処(○○できたらいい。なぜなら~)
 should statement すべき思考とは、古典的、典型的認知の歪みのひとつです。(高すぎる要求水準)かといって、病気になると、「わかっていても、止められない」頑固な思考態度です。

完璧主義と、罪悪感の基礎概念ともいえます。

「いやな気分よ、さようなら」でも、徹底的に、対応策がねられます。

私が最近やっているのは、「○○すべき」と思っているなら、その言い方を変えてみるという、『言い換え』です。

1 ○○すべきである。→でも、できない苦痛→葛藤、不快→ぐるぐる思考

言い換え

2 ○○できたらいい。なぜなら××であるからである。→やや1よりは、リラックスした気分。
といい変えます。

例1:
1自分のブログ記事を、更新すべきである。

2 自分のブログを更新できたらいい。なぜなら、自分の作文が、もし、役に立てば嬉しいことだからである。

例2:
1 部屋の片づけをすべきである。→こう考えて、できていない自分を、攻撃します。

2  部屋の片づけが、できたらいい。
   なぜなら、少しでも片づけられれば、自分の持ち物を自分がどう管理しているかについて、学ぶことができるからである。
または、なぜなら、片づいた部屋は気分を落ち着けてくれるからである。


だめな例:
部屋の片づけができたらいい。取消し線なぜなら、人としての義務だからである。←後半が、脅迫的


ポイント
2の後半、なぜなら××であるかである。
という部分まで考えることが大切です。

この1と2のの違いはなんでしょうか?

私見ですが、
1 脅迫的でない
2 視点が未来にむいている。
3チャレンジな気分もふくまれる
4人は失敗する事を、前提としている。
5○○する、ということが、××という自分のさらなるその先の願望に、結びついている。

とりあえずこれぐらい思いつきます。


すべき思考というのは、過去にも、(高すぎる要求水準)という形で、考察しましたが、
さらに、そう思うにも、、「自分なりの、理由」があるという点を、大切にしていくことができるとなお、良い、ものだと私は思います。
関連記事

http://nichinici.exblog.jp/22912922/すべき思考

http://nichinici.exblog.jp/22781689/



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by nichinichiso | 2015-05-01 16:55 | 具体的対処
file677 問題行動にとらわれるのではなく、その背後の思考を切り出す努力(思考の切り出し)
file677 問題行動にとらわれるのではなく、その背後の思考を切り出す努力(思考の切り出し)

 今の時代、いろんな心情をネット上で表現しています。私のブログもそうです。
 これは、昔では考えられないようなことです。識字率だけでなく、通信環境、インフラの状態も含めて、およそ新しい出来事です。
 他人をみて、自分を律するというのは昔からよく言われていることです。

 すごく勉強になると、他の多くのブログを見ていて思います。

 一番良く思うのは、起きている症状とか出来事に対する感想、出来た出来ない、またやったやらなかった、失敗した成功した、落ちた、上がったそういう報告と、それに伴う気分、辛い、悔しい、絶望、過去への後悔、未来への不安…。
 
 が多いと何となく思うことがあります。

 そこで気になるのは、「どういう自動思考」をもっているのだろう?という、「思考」の部分が表現されていないことが多く、それこそが、CBTをやっていて、知りたいところだけれども、表現されていないのが、残念だなあと思うことがあります。

 とはいえ、「ブログを書く人は、思考を書くべきだ」という考え方自体、押しつけがましく、すべき思考です。

 案外、思考の部分の切り出しがうまくいっていないのかも知れない。
 自分の(繰り返される)行動に驚き、失望し、また起きた現象に、驚きすぎて、その瞬間、何を考えたのか、捉え切れていないのかも知れないな。と何となく思います。
 
 


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by nichinichiso | 2015-04-18 20:53 | 自分を知る
file672 困っている人を助けられるのでしょうか?(責任の分配)
file672 困っている人を助けられるのでしょうか?(責任の分配)

 なにかしら、困っている人を見ると、自分ができることがないかを考えるのは、よくあることです。
しかし、実際、気分障害や、その困っている人「対応で困ってししまう人」によくあるのは、自分の責任の範囲を明確にできず、自分が困り事を解決できていない、ことに罪悪感を覚えたり、「すべき思考」にはまることです。
 親子、兄弟、親族であっても、自分以外の人を助ける「べき」と思う場合には注意が必要です。
 どこまで、自分は時間を割けるのか、どこまでが相手の責任の範囲で、どこまでが自分の責任の範囲か、明らかにしておく必要があります。
 優しい人は、多くの場合、普通の人には想像もできないほどの、責任を抱えている場合があります。他人の人生を、自分の責任において成功させることができる、ぐらいの意気込みがあると、たいてい自分が困ってしまいます。
 どんなに親しい人でも、他人の助けを100パーセント解決できる人はいないからです。
 なぜなら、その「解決」
というのは、援助を受ける者が、決めることであって、いくら援助する人がベストを尽くしたからといって、被援助者の気持ちまで変えることはできないからです。
 それが、「責任の分配」という発想の一つです。 
 なぜ自分がやらなくてはならないのか、どれくらいやる必要があるのか、それは本当に正しいことなのか?自分はなにがしたいのか?、自問の姿勢が求められます。


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by nichinichiso | 2015-04-13 19:35
file660 私は「コートを着るべきだったのだ」と思うと辛いでしょう
file660 私は「コートを着るべきだったのだ」と思うと辛いでしょう

 先日、いつになるかわからないが、形式だけでも整えようと、少しずつ、仕事アイテム的なものをそろえ始めていました。(値段に悩み、結局、最初からうまくいくはずがないので、最も無難なリクルートスーツを買い、就活学生と同じ服装になってしまいました。そういう年でもなかろうに…)

 それでも、名前を入れたスーツを何とか用意したときは、当面ほぼ使う当てもないのだが、想像以上に、うれしさがこみ上げてきました。(予想-満足感)

 そこで、次のステップとして、「着て外出する」と言うことを考えてみました。(ステップを小さく)

 行く場所もないので、とりあえず、都内の自分の「人生にゆかりのある場所」を選び(学校とか、よく通った駅とか…)そこまで行って、当時との変化や様子を見て帰宅すると言うことを数回やってみました。


 そこで起きた事件はのは、「冷えてしまい、だるくて仕方がない」と言うことです。
 そうです、春物スーツで、コートがないものですから、テンションだけ高く、出かけたはいいが、やはり寒くなって、体の芯から冷え切って、どうにもこうにも辛い、ということです。(失敗)

 こういうことがあるのです。

 CBTの中では、こういう場合、いろんな考え方が出来ますが、私が考えた、自分への問いは次です。

問い:身体的に冷え切って、だるくて仕方がない、これは失敗だ。では、失敗を好機(チャンス)に変えられないか?


答え1 : いくら春めいてきたとはいえ、まだ3月下旬で、桜も咲いていない。冷え切る人はいるだろう、自分は、スーツ初心者で、かつコートを持たざるものだ。冷えているのは事実だが、これで、失う職を持っているわけでもない。週明け・就労サポートへの通所を休んでしまうかもしれないが、それはそれで仕方がないことだ。
 とりあえず、この冷えを何とかならないか、ネットで5分だけ調べてみよう・
 キーワードが出てくるかもしれない。

「体が冷えたら」とグーグルで調べて、一番上に出てきたものを一つやってみよう。

http://www.119-119.com/seikatsu-shuukan/carefuii/taoru.htm

冷えが原因で風邪になった時
~3分間治療法「不思議なタオル」が驚異の回復力をもたらしてくれる!~


こんな、ホットタオル的なものが出てきて、今までの自分にはない発想だった、簡単にいえでできそうなので、とりあえず、ホットタオルでお腹や鼠径部を温めてみよう。
→気持ちがいいな。(これは、今後も使える体験かもしれない)
→すぐに、自分の体が「冷えから治った」分けではないが、今後使える、素朴な方法を知ることが出来た。

問い2: 自分はコートも買うべきだった、もしくは、冬用コートを着るべきだったのだ!と考えることで不快になることへの反論と、感情を(自責感・すべき思考・マイナス化思考)の制御の努力

私の答え2: 
もしその服装だと、冷え切ると、家を出るとき100パーセントわかっていたら、自分はコートなしで出かけたであろうか?
→出かけない。冬用でも、(かっこわるくても、着ていた)。その数日前は、やや寒かったので、着ていた。また、自分の体調的に、寒さに弱いので、むしろ防寒を大切にしていた。

→とすれば、たまたま、その日午前中だけ暖かく、午後遅くまで用事があり、スーツ初心者だから、勝手がわからず、そういう失敗をしただけに過ぎない。判断がずれてしまった、よくあることである。
→永遠に、スーツを着て春を過ごすことが出来ないわけもない、仕事をしたら、春だからといって、常にこういう失敗をするわけでもない(気がする)。
→だとすれば、過ぎ去った失敗に対して、ああすればよい、こうすればよかったと、何度も反芻すること自体が、自分の冷えを悪化させてるのかもしれない。(不完全さを受け入れましょう)


問い3:このコートなし・スーツで冷えた事件は、全くその外出の趣旨を無効にするほどの出来事なのであろうか?

私の答え3:
 確かに、だるい、温かい飲み物を飲むと、恐ろしいほどに、胃が熱く感じる。他の人が、薄手のシャツの中、軽くダウンを羽織って外出している自分が馬鹿みたいだ、ここまで冷え切ると、もうだめかもしれない。(→と思って、人は、悲しくなり、自分を責め、緊張し・悲観的になり、自尊心を下げます)

しかし、本来の体験したかった、スーツを着る練習、ネクタイ、シャツ、皮の靴…、人生ゆかりの場所を訪れ、変化に驚き、変わらない部分にも驚き、そういう体験をしたのも事実である。そして、それは、ここ数年、味わったことのない、自分の中の時間の流れに思いをはせる貴重な体験だった。
 その体験に鑑みれば、、確かに、体は冷え切ったかもしれない、疲労困憊かもしれないが、それで、すべてよかった自分の経験が否定される理由はない。次に生かせるお土産もたくさんもってきたのだ。それは冷え切って、寝込みがちな今は使えないかもしれないが、冷えが治れば、使えるのです。ただそれだけのことです。(建設的評価)
 また、その外出行為自体が、自分の発想によるものであり、それは他から強制されたものではない。その点は、一人の人間のアイデアとして、十分意義のあることだと思う。(自尊心・マイナスか思考への反論)


というようなことを、考えて、気分を極端にしない努力をするのが、現在の自分の段階です。
実際、この事件は、以前だったら、きわめてショックだったと思います。こういう失敗を自分は、しないはずだと思っているからです。
しかし、起きてしまったのは事実なんです。その事実を、何度もその原因に思いをはせ、反芻することで、より緊張し、リラックスと問題解決を難しくするような気持ちを作ることは、病気だとかなり、あることのように思えます。

よかれと思ってやったことが、結局悪かった…。
それは誰でも、驚きます。

 なぜなら、悪い結果につながるだろうと確信して、やる人はあまりいないからです。何かしら、そういうことをしたにも、少しの真実があるのです。(今回だったら、外出時は暖かかった、前回より暖かかった、だから、コートは不要である) でも、間違えちゃうのが、人間の持つ性質だと思います。

 それを、ことさらに自分を責めるように仕向けるのは、失敗した出来事ではなくて、それの評価と、解釈、思考と、感情の複雑な力学があるように思えます。


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by nichinichiso | 2015-03-28 20:38 | 自分を知る
file656 最初から、うまく出来るはずがない、件(完璧主義)について
file656 最初から、うまく出来るはずがない、件(完璧主義)について

 自分が不快な緊張や、不安という感情、を引き起こすような場面に面した場合、その時、何を考えているのでしょうか?
 自分が、先日、短いプレゼンをする機会があり、その時にいつものことなんですが「外から見てもわからない」けれども「自分的には、緊張し、不快に思って」プレゼンをしている状況になりました。
 声がうわずったり、足下が浮き足立ってくる感覚が、開始2分後くらいからしてきます。ただ、これは、内面的な自覚であり、外からは、わからないのです。むしろ、よく出来ているようです。

 上記プレゼンは、全くはじめてのことでした。
 いつも、人前で話すときは、上記のような内面的に自覚する緊張感があります。
 これは不快です。
 この部分を自分の成長の糧とするには、どのような思考が、有効かを考えてみます。


1 まず、「最初から、うまく出来るはずがない」という、態度です。
 ある程度知らない人、ある程度知っている人、全く知らない人の前で話をする時を想像してみると、仲のいい人と話すより、緊張するのは、「当然」のことだと思います。

 しかし、そのあまり知らない人たちの前で、新しいことを伝えたり、反論したり、質問されたりしたときに、完璧に、その時間10-60分間を美しく、華麗に話し、応答し、思考を巡らし、過ごせる、そして、安心に覆われているという自分は、現実にあるのでしょうか?

 それが「ある」と考えていたら、それは、苦痛を引き起こす態度です。
 
 はじめてやるプレゼンなり、議論、指示なりで、その適度な時間を、適度に流して、自分の言いたいことをある程度伝えられて、相手の言っていることを半分ぐらい理解できて、思考も、いつもの半分ぐらい回れば、それで、何か問題があるのでしょうか?

 終わった後に、こうすればよかった、と悩むこと、逡巡することもあると思います。
 しかし、それは、実はプレゼンが、「不完全」だったからです。

 そして、その「不完全が故に、正しい」プレゼンだったんだと思います。

 なぜなら、一連の流れの中で、自分の不足していた部分、力量、応答、伝え方の「欠点」が浮き上がってくるという課題設定が、次に出来るからです。

 もし、完全に出来てしまったら、何も、今後何ももうやることはないでしょう。課題もなければ、緊張もない、誰もが相づちを打ち、すべての人が正解と評価し、自分も完璧だと思っている出来事というのは、客観的にみて、不自然さが残ります。
 むしろ、より多くの改善点が見つかる方が、「失敗」と感じるぐらいの方が、実は、クリアしがいのある課題なんです。

 そう考えると、完璧さを求めることは、自分の成長を止める(望まない)態度とも言えます。

 冒頭の・「最初から、うまく出来るはずがない」という態度は、不完全さを前提としています。


2  では、もし同じようなプレゼンを、「次回」やることがあったとき、その時は完全に出来るでしょうか?

 NO です。

 なぜなら、場所屋は同じでも、やることが同じでも、聞く人が違ったり、聞く人の体調が違ったり、自分の体調の違い、寝不足の有無、仕事量増減、薬の状態、抑うつの程度もすべて違います。
 より前回を受けて、改善点について、改良は出来ますが、自分のみならず、相手の状況、環境の状況も実は大きく異なっています。
 それは、実は、同じように見えて同じことをやっているとはいえません。

 ですから、完璧にやることは出来ないのです。

 やはり、そこでは、自分の課題を洗い出すことが成果となって出てきます、失敗するぐらいでもちょうどいいのです。(不完全さ)

3 さらに考えていくと、今日できたことは、明日出来て当然なのでしょうか?
 
 →  NOとなります。
どんな小さなこと、コップ一つ洗う、同じ通勤経路、同じ風景、似見える場所を歩く、散歩した道も、すべて自体は刻々と変わっていますので、「人は、何かしら違う状況に直面している生き物」なんだと、思います。それが、生きている上で、前提として厳然たる事実として未来に広がっているように、私は思います。

そういう意味では、完璧さというのは、「すべき」という思考に支えられていますが、幻想なんだと思います。
 それを、ご自身が暗黙の仮定としているときは、掘り出す必要があります。そして、難しいことではないことから、不完全さに満ちていることを観察していくことは重要だと思います。

 不完全だから、いろんなことの「ずれが見え」てきて、おもしろさや、課題や、努力や、意欲がわいてくるんだと思います。


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by nichinichiso | 2015-03-13 18:34 | 心理的背景
file643 すべき思考とはいったい何か?(高すぎる要求水準)
file643 すべき思考とはいったい何か?(高すぎる要求水準)

 すべき思考・すべきの推論(shoud statement)とは、認知の歪みの定義に必ずどの本でも出てくるような概念です。
 これは、時間的概念が入っており、過去のことについて、すべきだったのだ、すべきではなかったのだ、というふうにも生じる自動思考ですし、将来的に、すべきだ、すべきでない、考える思考でもあります。
 結構おもしろい特徴がありますが、これは、私を苦しめてきました。

 この、思考の本質は何なのかという、ことが、なかなか理解できず、やはり同思考に基づく、感情の乱れは根深い物がありました。
 本とかには、一つの方法として、「できるとよい、できれば望ましい、できたら幸いだ…」という言い換えの技法が載っていたり、反すべき法(本に書いてありますが)というおもしろい技法も載っています。

 最終的に現段階の、私のすべき思考を打ち砕いたのは、いろんな方法の中でも「高すぎる要求水準」という「言葉」でした。
 
 あのとき、私は、試験を受けるべきではなかったんだ。もっと勉強すべきだったんだ、いや、もっとリラックスする時間を持つべきだったんだ。あんなことになるなら、俺は、黙秘を貫けばよかったんだ。逃げればよかったんだ。いや、家族問題をもっと積極的に、介入できる人を探すべきだったんだ。
 と、何十年も、考えていたとしましょう。
 これだけで、毎日がへとへとになります。もうどうしようもないことを、動かそうとしているからです。

 そして、本質的には、自分が「もっとできたはずである」「もっとできる人間であるはずだ」「もっとがんばればもうちょっとだったんだ」という、過去の自分への要求をあげることで、現在の自分を苦しめるのです。
 また、将来も同じです。 自分は次の仕事で、一躍トップに躍り出なければならぬ。次の試験で、決めねばならぬ。次の、家族会議で、相続の問題にけりをつけるのが、長男としての役割である。と自分に、要求を突きつけます。
 これでも自分の気分が、混乱、惨め、不快、不安、プレッシャーを感じないのであれば、それは、問題のない思考です。要求水準は、妥当です。 「普通に努力していたら、みんなのおかげもあり、大学を主席で出らたので、少し不安はあるが、教授も進めてくれているからアメリカの難関大学に留学しよう!」というのは、現実的な自己への要求です。
 しかし、そうではないほとんどの人にとって、向上心であれ、向学心であれ、親の強制であれ、理由はどうあれ、アメリカの最難関大学への留学を学習の場として選ぶことは、ハードルをあげすぎではないでしょうか?
 別にそこでなくても、学べることって多いと思うのです。


 そういうことを、やっているのが「すべき思考」「すべきの推論」だと私は思います。
 ですから、すべき、すべきでなかったと思って苦しむ場合は、何かしら、自分に対する要求水準が高すぎる思考を持っていないか、チェックしてみることは、気持ちを楽にしてくれると思います。

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by nichinichiso | 2015-02-04 20:51 | 言葉について
file631 数取器(カウンター)で、思考の数を取る

file631 数取器(カウンター)で、思考の数を取る

 「いやな気分よさようなら」では、「腕につけるカウンター」を利用して、一日、どれくらい『すべき思考』を持ったか、そして、その数が多いほど報酬をアップさせるという、目を疑うような方法が紹介されています。【罪悪感の章】

 これは、手を出していなかったのですが、やってみました。

このようなものを、アマゾンで買ってみました。すごく軽いです。ポケットに入れたりして、負担なく、持ち歩くこともできました。

アーテック 小型数取器 93430


正直、ばかばかしいと思っていました、しかし、とりあえず、買ってみなくては始まらないし(←とても重要)、高価なものでもない、さらに、軽いものということで、思い切って、1個だけ買ってみました。

 紙や、ポストイットに、思いつくたびに、ペンで『正の字』を書き込もうとしたことがあったのですが、面倒でやれませんでした。
 この、数取器(カウンター)この言葉、自体初めて学びましたが、とても便利です。
 自分が『すべき』または、『すべきではない』ということを考えた!と気づいたら、すぐボタンを押します、厳密ではなく、適当に、風呂場で思ったら、入浴後、3回とか2回とか後からボタンを押したりします。
 そうして、毎日1週間ほど、『すべき思考』について、計測していくと、なんかおもしろくなってきます。おもしろさは2日目で生じ、だんだん、すべき思考が「待ち遠しくなります」(笑)。
 「すべき思考は、罪悪感への」必ず通る道とは、同著の中の名言ですが、実際、そう感じます。
 
 この数取器、もちろん、「すべき思考だけをはかるものではありません」。何を計ってもいいのです。本の中では、「自分ができたこと、を計測していくことも進められています」 コップを洗ったら1プッシュ、テーブルを拭いたら1プッシュ、ゲームをやったら押して、思い切って途中でやめられたら、また押して、散歩に出たら、また押して、月を見上げて感動したら、またその自分を尊重して、3回ほど押し、ブログを書いたら1回押す。
 
 言葉では、あらわせられない、不思議な感じがします。監視しているというわけではなく、あえていうなら、「自分の思考、感情、行動に対しての気づき」を強力に促進させる、気軽な「遊び」という感じでしょうか?

 そして、「すべき思考」でも、「完璧主義的な思考」でも、自分が狙ったターゲットを数え終えたら、その数が多いほど、報酬をしっかり用意しておくことが大切です。 
 すべき思考が、今日はかなり多かったので、○○を得る権利がある、今日は完璧主義が150だったので、かなりすごい報酬がもらえる権利がある、というふうにします。
 「自己コントロール力が自分にないからこうなっちゃうんだ」、酒飲んじゃうんだ、コーヒー飲んじゃうんだ、たばこ吸っちゃうんだ、、という、「謎の暗示」を解体することに役立つといいと思います。  



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by nichinichiso | 2015-01-18 17:16 | 成功事例
file610 すべき思考の例
file610 すべき思考の例

1 義男さんは、喫茶店で、アメリカンコーヒーを頼みました。 「うわっ不味い!」と思って、こう思いました。「俺はアメリカンなんて注文すべきでなかったんだ。」 

2 一樹はジャンケンをしました。 「パー」を出して負けました。 そこで思いました。「俺はパーなんて、なんで出してしまったのだろう」「ぐーか最悪でも、チョキを出すべきだったのだ!」

3 和美さんは、思い切って、まえがみを作りました。終わって鏡を見て感じました。「やばっ」なんで、こんな大冒険しちゃったんだろう。前髪なんて、作るべきではなかったのだ。美容師さんは、笑っていた気がする。

4 郁恵さんは、休日の芋ほりで、まったくイモが探せませんでした。 そこで、こう思いました。 「私は、芋を探し出せるべき人間であるはずだ」普段は、事務仕事だが、芋ほりでも他人より、多く探せる力を持っているはずだ!。

5 勉君は、ベージュのセーターを買いました。 帰宅して、鏡の前で合わせると、、似合わない気がしました。 そこでこう思いました「わっ、なんで、ベージュなんて無難な色選んじゃったんだろう」となりの、ショッキングイエローにすべきだったんだ!。しかも、高かったのに。

 
6 木村さんは、スマホを買いました。帰宅してネットで評価を見ると、やたらと不人気機種だとみんなが書き込んでいました。
そこでうろたえながらこう思いました。「なんで、私は、数ある種類の中からこの不人気のスマホを買っちゃったんだろう。買うべきではなかった もっといいのがあったはずだ。 もう、今後のこのスマホでの通話とネットの閲覧は、不幸になるに違いない。


本人にとっては、そうなんだろうけど、わからないことですからね。笑

 
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by nichinichiso | 2014-12-12 12:47