タグ:低血糖症 ( 66 ) タグの人気記事
file714 「やるべきか否か」ではなく、「やる価値の有無」を自問する
file714 「やるべきか否か」ではなく、「やる価値の有無」を自問する

 気分障害、うつ病、不安障害などでは、症状として「やるべきか否か」の検討で、疲弊していくことはよくあります。
 その思考は、繰り返されるほど理由のわからないエネルギーを使い、答えが出なくなります。
 背景には、「恐怖」があることがあります。


 例えば、低血糖症だから、一切炭水化物を抜くべきだ、という方法がある場合、それが、効果的でないようだったり、自分の体に合っていないとか、変な感じがするときにも「抜くべきだ」いや、「食べるべきだ」という、迷いが生じます。
 または、自分は食べたら治らない、という強迫観念の元、禁止することもあると思います。

 その効果は人によって違う場合もあるのではないでしょうか?炭水化物を抜くことであっというまに、うつ病が治る人もいれば、治らず、むしろ「抜くべきだ」というすべき思考に強迫され、日々の生活が、炭水化物との戦いに明け暮れ、おびえて生活するほどになると、外の方が多くなってしまいます。
 話がずれました。上記のような場合は、炭水化物の恐怖に支配されていないかを確認する必要があります。
 私の場合、ひどい低血糖症と言われ、精神科医からは、トラウマになるからその検査自体を中止すべきだったと説明を受けました。そういう考えもあるのかと、検査から数年後に、はっとさせられました。
 

 やるべきか否かと考えてしまうのはいくつか理由がありますが、最終的には、自分で責任を負わなくていいというメリットがあります。しかし、本来、不快なすべき思考は、他者からの押しつけだったり、自虐的信念に由来する産物ですから「強制される¥という感覚を生みます。強制されることは大抵不快です。
 その時、自分は、今考えていることを「やる価値があるか否か」を自問することで、答えが見えてくることがあります。
 そして、もしやる価値がないと思う場合、それにはそれなりの常識的理由があります。しかし、それと同時に、その判断に従うことに、恐怖を感じることも多いです。
 本来、現状、自分が進む価値のある道(選択だ)と(うっすら)気づきながらも、過去からの経験や、権威者の言葉、自分の意見の変更をすることにたいする、いろいろな恐怖が生じます。

 しかし、それは、単なる一過性の不快感にすぎないので、自分の常識的感覚大切にして、やる価値のあることをすべきことより重視して、踏み込む勇気が大切になってきます。
 その件について、関係性のある人には、それを伝達して、表出することが大切です。大抵、常識的、理解が得られるものです。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-10-17 12:13 | 問題解決のヒント
file713 答えようのない問いは、人を疲弊さす
file713 答えようのない問いは、人を疲弊さす


 気分障害、うつ病、不安障害、低血糖症もありますが………、認知療法の本を読んで、セルフヘルプしていると本当に、役立たない「問い」のがあることに気づきます。

 この数年、なんだったのだろう?
 この病気に、何でなったのだろう?
 オレはこれからどうしたらいいのだろう?
 何で、こんな事態になったのだろう?
 誰が、悪いのだろう?
 自分が悪いのだろうか?
 血糖値が下がっているのではあるまいか?
 インスリンが、今たくさん出ているのではないだろうか?
 遺伝子がおかしいのではあるまいか? 


 こういうことは、病気になると、つい考えやすくなります。
 しかし、これらについて共通しているのは、非常に抽象的で、誰にも明確に答えようのない質問である点です。
 
 病気であっても、具体的な毎日を過ごしていくことが大切です。皿をあらい、部屋を掃除し、外出し、楽しみ、家事や、仕事義務も行い、自分の時間、他人との交流という目的に具体的に必要な行動は何かを自分に問うことは有意義です。
 完璧主義で困っていたら、その日、50点をどれくらい具体的に維持できたかを振り返ることは、成功失敗含め有意義で、気持ちのいいものです。
 しかし、一日の終わりに、今日の一日また無駄にしてしまった、何の意味があるんだろう?ということを問うても、自分を傷つける答えようのない、自虐的質問だと、私は思います。
 

 何を、いつ、どこで、誰と、どのようにやるか、やったか、を思い出せることは、非常に大切です。それを支える具体的な問題意識を持っているからです。
 自分はなんのために生きているのだろうか?という、問いは、一日の最初にも終わりにもふさわしくない質問に、私は思えます。(答えようのない、疲れる質問)
〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-10-13 19:30 | 言葉について
file711 少しは欲求を減らしたらどうだ!(完璧主義)
file711 少しは欲求を減らしたらどうだ!(完璧主義)

 『少しは欲求を減らしたらどうだ!』という、簡単な、自己調整の言葉があります。
 これは、他人に主張するのではなく、むしろ、自分に強制し、完璧(完全)主義で苦しむ場合の、思考と気分を変えることに、私は役立ちました。
 完全主義は、批判をともなう、自虐的な信念の一つです。
 それをつぶさに具体的に見ていくと、生活上の、一つ一つの活動に、高い水準を求めているようです。
 気分障害と言われる人は、自分自身は、炊事、洗濯、読書、治療、カウンセリング、就労、就活、他人の態度、家庭環境、家族の言動、過去の自分、未来の自分、病状の程度…どれも、人並みにできていないと思っているかも知れません。これぐらい以前はできたはずだし、できない自分はだめだという気持ちで、辛くなるなら、それは、基準を下方修正するサインです。

 うつ病というのは、
一つに、①意思の力、動機付けの力を低下させ、まさに、それ故に、人並みにできなくする病気であると言うこと、
また②それによって、自分を卑下するという『症状』によって、病気なりにできることも、本当に「さらにできなくなってしまう」と言うこと、
③ ①②の繰り返しによって、本当に無力になってしまったように感じること という

 非常にやっかいな個人的な世界観の中に埋もれていくように感じました。


 あまりにも、現状とかけ離れた目標を持つことは現実的ではありません。それは、一つ一つの日常のことで、些細なことをやっていないと思っても、その数が多ければ、やはり、苦痛に思うと思います(義務過剰)。

 要するに、自分は、そんなに高いレベルのことを自分に課しているわけではない、主張する場合、その一つ一つが、高くないとしても、「欲求の数」が多すぎないか?と考えてみることは有意義だと思います。

 自分に対して「少しは欲求を減らしたらどうだ!」とつぶやくとき、気持ちがほっとするのであれば、やはり何か課すものが多すぎるのだと思います。
 間引く必要があります。
 その際、恐怖が生じます。
 そこで、行動療法からの流れをくむ、エクスポージャー(曝露法)が役に立ちます。

 50点を目指すというのは、欲求の数を減らすことも、いいことです。
 

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-10-12 17:40 | 心理的背景
file710 50点とはどれぐらいか?(完璧主義)
file710 50点とはどれぐらいか?(完璧主義)

 完璧主義が100点(実は150点)を目指す態度だとしたら、手放したければ、50点を常に目指してあらゆる生活をするだけのことです。
 コレをやるときの難しさは、「恐怖」の存在です。
 恐怖感が、より良く、より高く、より深く、より高度に、より正確に、より大量に、より高品質なものをあらゆる日常活動に(仕事、就職、交友、人気、コミュニケーション力、体力、経済力、家庭のあり方、子育て、親、学歴、過去の自分…・)せき立てます。
 その恐怖に耐えることで、50点を目指すことで得られる、平凡な毎日に充実感が生れてきます。
 50点というのは、どの程度を言うのでしょうか?

 感覚で、いいと思います。ちょっと恐怖感が出るくらいが、50点だと思います。一つ一つの行為を、50点にするもよし。週単位で考えるもよし。 とにかく、危険を冒している、恐怖が生じる(本当はできるけど、やめちゃうよ的な)くらいをもって、50点とするのも一計です。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-10-06 19:03 | 言葉について
file709 完璧主義は批判するための概念にすぎない
file709 完璧主義は批判するための概念にすぎない

 完璧主義は、自己批判と親和性のある主義です。
 完璧主義というのは、具体的にどの程度を言うのでしょうか?どれほどが、合理的基準で、どこを超えると完璧主義と言われる、高すぎる要求になるのでしょうか?各人によって違うのだと思います。
 完璧主義を言い換えれば、そもそも実行不可能であり、(自己)批判を受ける可能性のあるものという、考え方もできると、私は思いました。
 それを、何かしらの見当違いで、自分に課してしまう基準をして、完璧主義と言えるのではないかと思い増しt。亜
 つまり、基準が先にあるのではなく、むしろ批判されるべきなにかが最初にあって、後付け、でそれを一定の具体的に「すべきこと」とした基準が、完璧主義だと思うことが多いです。

 よくある、意地の悪い姑が、嫁の掃除の不完全さを暗に批判するために、窓枠の埃を指ですくい取るというようなことです。【他人からの完璧主義と批判】

 それが、自分の心の中で、自己完結的に起きるのが、「自己批判のための完璧主義」と言える気がしました。

 こういう態度をとり続ける以上、完璧主義をやめることを考える上で、最初に考えるのはむしろ、際限の無い自己批判の無意味さを具体的にメリットデメリット方なので、分析することが必要だと思いました。

 結局、基準を変更したとしても、そもそも批判ありきでは、どんな基準を設定しても、批判されてしまう不快感からは抜けられず、さらに、どんな形を持ってしても無慈悲な批判と、自己憐憫、不全感がついてまわってしまうように思えます。

 自尊心を破壊することができるのは、唯一、自分だけであるという仮定に基づけば、自己批判と完璧主義(その由来は幼少期にあるとしても)手放すこともたやすいことなのだと思うようになりました。

 その基準は、批判されることを前提としていないか、よく自問する必要があります。
基準は、自分に爽快感を与え、満足感を満たし、自己を成長させるために設定するものであり、決して、それを下回ったら批判を受けるべきものという、拷問のような仕組みではないのです。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-10-06 18:48 | 言葉について
file708 不安・恐怖・混乱を無理にでも増強する態度という逆説
file708 不安・恐怖・混乱を無理にでも増強する態度という逆説
 
 Dバーンズ氏の、不安対策の本の中では、3つの治療技法の方向性(認知・曝露・隠された感情モデル)のなかで、曝露法(エクスポージャー)が、一つの大きな柱となっています。
 
 私が、いろいろやってみて思うの、とても大切なのは、、古典的曝露(すぐ再現できる場合の方法/無駄なスマホいじりをやめたいし、目の前にスマホがある場合)でも、認知的曝露技法(環境がなくてすぐ再現できない場合にイメージを使う方法/冬の海で船が転覆したらどうしようと不安)も取りかかったら、「より自分の不快感を高める試行錯誤、恐怖を2倍3倍にする試行錯誤、混乱で頭の中がいっぱいになり、洪水のように不安心身ともに震え上がる」ことを目指して、「自分で努力すること」です。
 どうしたら、自分はもっと頭がおかしくなるほど、不安が高まり、恐怖が身を震わせ、混乱できるのか?を、曝露中に考え、想像し、身体症状が起きるように「ひたすら努力」することを大切にしました。(笑)


 15分から20分ほど続けていくことで、大抵の不安恐怖は、体の芯から安堵に変わることがわかりました。(身体的変化です)
 
 否定的思考の信念に対する態度として、
 逆説の受け入れという、考え方は大切です。具体的には、、自分が考えている否定的思考・イメージは、①実は真実であり、もっと驚くべきことは、②自分が想像している以上にもっと凶悪なことを他人は思っているし、今後も起きてしまうのですそれを具体的に想像していくそして、もっと想像を進めることです。

 自分は、自分は口べただから、周りの誰からも好かれない、という信念(自分が信じて疑わないこと、ひっくり返せない堅い考え方)。があるばあい。

 ① 実は、その通りであり。かつ、忘れてはならないのは、 ②実は、自分が思っているのはまだ甘くて、周りの人だけでなく、言葉のしゃべれない犬や猫、亀、花、植物や、太陽からもその人間の本質を見抜かれ好かれ、「自分は悪い人間なんだ」思われてしまう、と言うことを受け入れようとする態度です。

 そこには、人間らしい発想と、ユーモアが自分を癒やしていくれるという、スケールの大きい自分というものが垣間見られると思います。
〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-10-04 08:50 | 認知行動療法(CBT)
file703 自己批判的思考は最終的に自分の価値を貶める
file703 自己批判的思考は最終的に自分の価値を貶める

 自分がどのような状態であっても、自ら批判的の的にすることは、それ自体が自分を辛くさせるという簡単な経験則があります。
 非常に不思議なのは、自己否定を続けても自分を尊重する気分にはつながらないだろうが、それをやめられないという、苦しい状態を自分に許してしまうことです。
 
 自分がどのようにへとへとになっても、労われる事態でこそあっても、非難されるべき事態では無いという発想に、うつ状態では切り替えることができず、行動も自分に癒やしを与えるものになりません。

 コレは、単なる決心では変えられない、根深い問題でもあります。
 それを変えるのが、系統的な前向きな自己評価システムを作ることです。


 他人が自分を批判するならまだわかりますが、それ以前に、自分が自分を批判し続けることは、他人にはどうしようも無いという点では、非常にやっかいな自己完結的な思考と感情と行動の仕組みがあるともいえます。

 たとえ他人が自分を批判しても、それはその批判した人が間違っていることがあります。
 同様に、自分が自分を批判し続ける場合、その批判もまた間違っていることがあると思いませんか?

 自分が不快な状況にあるとき、いったい何を自分につぶやいているのでしょうか?
 人によって状況によって違いますが、共通しているのは、自分の気分をことさらに悪く(無価値に)感じさせる態度と行動を自分に課しているのではないでしょうか?


 自分は間違っていると主張するとき、そう主張することに、どんなメリットがあるのかをよく考えて紙に書き出していくことは価値あることだと思います。

 人は、何でもできる、全能の生き物ではありません。
 家事をやり仕事をこなし、子供を育て、親の介護をして、自分の課せられた勉強をしながら、昇進試験を受けて、近所づきあいをして、休日は日本中を旅して、睡眠時間も短くて、友人とのつきあいも欠かさず、ユーモアのセンスにあふれ、運動にも秀でていて、文化的に高度で、語学も堪能であることは難しいことです。書いているだけで、息が詰まってきます。
 一つの道だけでも十分、価値あることです。
 もし、暗に、自分に全能の生き物であることを課していたら、苦痛にまみれた気分であり、無価値だと思っても、仕方が無いと思います。どんな人でも、そうあることを強要されたら、すぐ壁にぶつかり、早かれ遅かれ挫折してしまうでしょう。
 そんな時は、全能で無いことを許してみましょう。それは、ポジティブな発想では無いですが、事実に基づいた、考え方では無いでしょうか?
 スーパーマンでなくても、多くの人はそうですが、人生を楽しんでいるのです。


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-09-19 19:34 | 認知行動療法(CBT)
file694 本当に、認知は歪んでいたのでしょうか?
file694 本当に、認知は歪んでいたのでしょうか?

「認知の歪み」という言葉は、認知行動療法の本では良く出てきます。 認知的エラーとか、認知バイアスなどとも呼ばれます。

認知療法(認知行動療法)を進めていくと、いろいろ発見があります。
私が自分のために、好んで使う技法はいくつかあります。

1 大野先生の、コラム法(こころのスキルアップトレーニング参照)
2 暗黙の仮定を知るための下向き矢印法。
3 ものごとを、私がそう考えることの「メリットデメリット分析」
4 不安のための「隠された感情技法」
5 ダブルカラム法(自己否定VS自己擁護)
6 満足度調査


そういうことをやってみてバーンズ博士の本で言われる10の認知の歪みなるものが使われないことはまず無いです。


しかし、最近よく思うのは、本当に「すべき思考」は不要のものだったのだろうか「罪悪感」は持つべきでは無かったのか?
マイナス化思考、感情的決めつけ・全か無の思考、拡大解釈、結論の飛躍などなどは持つ必要が無かったのだろうか?本当にメリットの無いものなのだろうか?と考えることもあります。


 なぜなら、ある短期間であれば、「やるべき」だと思うことが、パフォーマンスを上げる動機を強めるからです。
 また、完璧であることを大切にすると、短期的には、心地よかったりします。モチベーションを高めますし、細かいところまで意識を配れます。
 感情的に決めつけることで、将来起こるかも知れない危険を回避できるかも知れません。
 人生をマイナス化思考で覆うことで、自分が「目立たない存在」でいられるかも知れないと思うのです。または、良いことを求めて、飽くなきチャレンジャーになる動機になるようにも思えます。


 そう考えれば、10の認知の歪みが、現在は自分を苦しめているとしても、これほど「自分を高めようと努力する動機付けを持たせる考え方」もなかなか無いとも思えます。


気分障害なり、不安障害というのは、思考に障害があるとも言えますが、それは、実は、環境をより良くしたい、より自分を高めたい、他人にもよかれと思って身につけた、実際的な考え方とも言えるのではないかと思うことも多いです。

 そう考えると、結局、人間はすごいものだと、思うことが多いのです。より良くしたい、自分を大切に、環境を大切に、他人を大切に、調和を大切に、しようとしたことで、皮肉にも、自分が苦しんでいるだけなのです。
 よって、結局、何かの役に立つことを自分なりにやることにはとても長けている存在ですから、自分を癒やすことにもきっと長けているのではないかと思うのです。(重要)

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-05-24 16:21 | 成功事例
file693 ネガティブ 2min
file693 ネガティブ 2min


自己否定的(批判的・自虐的)な「思考」がいかに自分を苦しめるかを具体的に知る方法として、私が行っているのに、時間を区切って、不快な、現実の悩み事を集中的に考えてみる方法があります。これは、よくCBTの本でも紹介されいます。

 結構、効果があります。
 通常、自己否定的な思考(自動思考)は、調子が悪ければ悪いほど、自分を蝕んでいきますが、意識的に行うことで、「有害さ」を身をもって知ることが出来るというメリットがあります。
 私の場合、3分のタイマーをかけて(これが重要です)、だまされた気分でやってみました。

 意外に、調子の悪いときは、あれだけいろいろ否定的、また葛藤的思考や言葉が出てくるのに、いざ、時間を区切ると出てこないことに、驚きました。それでも「挑戦」することが大切です。時間を無駄には出来ません。どんどん、自分を追い込む「いつもの言葉」をかけていくよう努力します。
 あいつが悪い、あそこでああいう態度をとる人の気が知れない、あの事件が無ければ、または、俺(私)が悪かった、自分の欠点だ、自分の職能、生活態度、意志の強さが足りない、環境が悪い、特に、幼少時が悪い………… とにかく、思い浮かばなくても、難癖をつけるぐらいの気持ちで、「否定的、自己批判的、ネガティブな」思考をつづけることが大切です。


 そうすると、自分が、非常な不快感に襲われることが、私の場合は、よくわかります。
 身体レベルでの緊張だったり、頭が締め付けられる感覚だったり、絶望的な未来を感じることが出来ました。

 そして、3分は長すぎる、2分が限度だと思うようになりました。


 意識的に、行う否定的思考は、私の場合2分が限度です。

 それほど、体に悪いことだと言うことがわかるのは、とても大切なことだと思いました。

 これほど、自分の思考が、自分を苦しめることがわかる、技法も、珍しいものだと思います。

 そういうことがわかることは、非常に有意義でした。


 もし良ければ1分でも、2分でも、タイマーで区切って、意識的に、自分を否定してみてください。自分の存在をめった打ちにしてみてください。また、他人をこき下ろしてみてください。その時の、自分を観察してみてください。
 最後には、やっていることのすごさに、笑いが出てしまうかも知れませんよ。


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-05-24 15:58 | 言葉について
file692 本の紹介: バイポーラー(双極性障害)ワークブック モニカ・ラミレツ・バスコ
file692 本の紹介: バイポーラー(双極性障害)ワークブック モニカ・ラミレツ・バスコ

 半年前から、いつも紹介している自助本に、「いやな気分よさようなら」(Dバーンズ)がありますが、そのほかに利用している本があるので紹介します。

双極性障害についての本です。野村先生が監訳している本です。

--------------

バイポーラー(双極性障害)ワークブック―気分の変動をコントロールする方法 単行本 – 2007/6/15
星和書店
モニカ・ラミレツ・バスコ (著), 野村 総一郎 (翻訳), 佐藤 美奈子 (翻訳), 荒井 まゆみ (翻訳)
---------------

安くは無いですが、単なるうつ病であっても、自助本として、読む価値はある本だと思います。

刺激というものが、どのように、ここの病気を誘発するのか、どう対処したら良いのか、具体的に、書いてあります。

基本的には、やはり認知行動療法の本です。

ちなみに、Dバーンズ博士の本の、ほかの本も、不安対策の本などもあります。こちらも、本棚に置いておいて、損は無い本だと感じます。

もし興味あれば、目を通してみてください。


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-05-21 16:33 | 参考図書