タグ:信念 ( 4 ) タグの人気記事
file715 中核動機付けと向き合うタイミング
file715 中核動機付けと向き合うタイミング(常にあるもの)

 認知療法の本の中でも、やはり、どうしても否定的、自虐的な思考がどのような、信念・中核動機付けに、維持されているのかを自覚していくステップが大切にされているものもあります。
 
 この段階は、自分の乳幼児期にえた、親しいもの(家族など)との間で、どう扱われたか、いかに教育されたか、どういうコミュニケーションがあったのかを具体的な事件ではなく、むしろ、ぼんやりとしたあの日々の心象風景的な枠組みとして理解し、それでいて、現在では簡単な言語かをすることが進められています。

 ただこれには、タイミングのようなものがあるようです。

 周りがよかれと思って、やっていた良心が、小さな自分を傷つけている場合があります。そして、そんな自分を守るためだったり、周りを喜ばすために持ち続けてきたその人の当たり前の態度(認知)の塊のようなものが、中核動機付けとなり、現在の自分にも深いレベルで脈々と存在している感じです。

 これは、病気だからと言うよりは、どんな人でも、精神の成長の形態としては、当たり前の発達の仕方だと思います。
 しかし、病気になってしまうような、また、ぶり返すような中核動機付けなるものは、知っておくことが大切で、修正しておくことも大切で、すぐには、変えられないが、将来的には自分のものにできる目標と位置づけるものでもあります。(拙速を危ぶむ領域)
 ただ、その辛い過去に、どっぷりとはまることもまた危険です。現実が、その過去の自分の記憶で台無しにされてしまう危険があるからです(うつ病悪化・認知の歪み)。

 ここは、非常に繊細で、うまくいけば、ダイナミックな変化(世界観を変える)を引き起こす革新的な部分に感じます。

 そして、初めて、悲しみとか、自分に共感することが、自己イメージを変え、自尊感情を強化し、合理的な思考を可能とし、感情が正常になり、病気自体を治癒させるのではないかと感じます。
 


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-10-17 20:44
file710 50点とはどれぐらいか?(完璧主義)
file710 50点とはどれぐらいか?(完璧主義)

 完璧主義が100点(実は150点)を目指す態度だとしたら、手放したければ、50点を常に目指してあらゆる生活をするだけのことです。
 コレをやるときの難しさは、「恐怖」の存在です。
 恐怖感が、より良く、より高く、より深く、より高度に、より正確に、より大量に、より高品質なものをあらゆる日常活動に(仕事、就職、交友、人気、コミュニケーション力、体力、経済力、家庭のあり方、子育て、親、学歴、過去の自分…・)せき立てます。
 その恐怖に耐えることで、50点を目指すことで得られる、平凡な毎日に充実感が生れてきます。
 50点というのは、どの程度を言うのでしょうか?

 感覚で、いいと思います。ちょっと恐怖感が出るくらいが、50点だと思います。一つ一つの行為を、50点にするもよし。週単位で考えるもよし。 とにかく、危険を冒している、恐怖が生じる(本当はできるけど、やめちゃうよ的な)くらいをもって、50点とするのも一計です。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-10-06 19:03 | 言葉について
file709 完璧主義は批判するための概念にすぎない
file709 完璧主義は批判するための概念にすぎない

 完璧主義は、自己批判と親和性のある主義です。
 完璧主義というのは、具体的にどの程度を言うのでしょうか?どれほどが、合理的基準で、どこを超えると完璧主義と言われる、高すぎる要求になるのでしょうか?各人によって違うのだと思います。
 完璧主義を言い換えれば、そもそも実行不可能であり、(自己)批判を受ける可能性のあるものという、考え方もできると、私は思いました。
 それを、何かしらの見当違いで、自分に課してしまう基準をして、完璧主義と言えるのではないかと思い増しt。亜
 つまり、基準が先にあるのではなく、むしろ批判されるべきなにかが最初にあって、後付け、でそれを一定の具体的に「すべきこと」とした基準が、完璧主義だと思うことが多いです。

 よくある、意地の悪い姑が、嫁の掃除の不完全さを暗に批判するために、窓枠の埃を指ですくい取るというようなことです。【他人からの完璧主義と批判】

 それが、自分の心の中で、自己完結的に起きるのが、「自己批判のための完璧主義」と言える気がしました。

 こういう態度をとり続ける以上、完璧主義をやめることを考える上で、最初に考えるのはむしろ、際限の無い自己批判の無意味さを具体的にメリットデメリット方なので、分析することが必要だと思いました。

 結局、基準を変更したとしても、そもそも批判ありきでは、どんな基準を設定しても、批判されてしまう不快感からは抜けられず、さらに、どんな形を持ってしても無慈悲な批判と、自己憐憫、不全感がついてまわってしまうように思えます。

 自尊心を破壊することができるのは、唯一、自分だけであるという仮定に基づけば、自己批判と完璧主義(その由来は幼少期にあるとしても)手放すこともたやすいことなのだと思うようになりました。

 その基準は、批判されることを前提としていないか、よく自問する必要があります。
基準は、自分に爽快感を与え、満足感を満たし、自己を成長させるために設定するものであり、決して、それを下回ったら批判を受けるべきものという、拷問のような仕組みではないのです。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-10-06 18:48 | 言葉について
file 705 いくつも自分への問い(自問)を重ねていく(自動思考-信念)
file 705 いくつも自分への問い(自問)を重ねていく(自動思考-信念)

 自己否定的思考は気分を悲しくしたり、意欲を低下させたり、非生産的で、自己障害的ですごく有害ですが、一つの問題を解決しても、あらゆるタイミングで頭をもたげてくることは経験者であればわかると思います。
 あのとき克服したと思った、完璧主義的な考え方、自分は愛されてないんだという考え方、自分失敗者だという考え方と、それに伴う不快な気分は認知が歪んでいると言われたりします。
 以前から、この「認知の歪み」という言葉はあまり好きではなかったので、「残念な認知」という言葉を造ったりして言います。(造語)

 そもそも「認知療法」の「認知という言葉」ですら、個人が体験する感覚と言語や感情、行動、態度、ものの見方をざっくりとまとめた、「お洒落な言葉にすぎない」と書いてあります。そうなんだと思います。

 言葉(およびイメージも含まれる?)を使って、感じ方やものの見方に変化を与えられる点に着目しているのが、認知療法だと感じます。しかし、言葉はそもそも国が違ったり、日本語であっても、世代、時代で使われ方も異なってくるので、とても言葉のチョイスが大きな影響を与えることもあり、また、影響を与えられないこともある気がします。

------------------------

うつ病の再発・再燃を防ぐためのステップガイド 単行本 – 2009 星和書店

Peter J.Bieling (著), Martin M. Antony (著), 野村 総一郎 (監訳), 林 建郎 (翻訳)
------------------------

上記の本の中で、否定的思考、脅迫的思考が出てくるのは何度も出てくることが予想され、それには「信念」という、その人のものの見方の傾向において、何か弱い部分に触れた場合に、出てくることが多いという趣旨のことが書いてありましt。亜

 自虐的信念は常に存在するもの、否定的自動思考は具体的な出来事に反応して浮き上がってくる一時的なものとも言えそうです。

 その信念について、いくつもの問いをすることで、本当にその基準を自分に当てはめることが正しいのかを考えさえてくれるものがあります。


 上記本 p137で紹介されているのですが、私なりに書くと以下のようになり真5つの方向から自問してみます。

 1 今あなたの持っている、なんらかの基準は合理的で、意味がありますか?(合理性)
 2 その基準をご自身に突きつけることは公平でしょうか?(公平性)
 3 その基準がもたらす感情的結果はいいものだろうか?(感情良好性)
 4 その基準はあなたにとっていい結果を生むでしょうか?(行動良好性)
 5 その基準は、自分(あなた)が大切に思っている人にとってもどんどんお薦めできるものだろうか?(推奨可能性)


これらをまんべんなく満たす信念であれば、そう簡単に自分を苦しめないと思います。
言い換えれば、そのような基準でない(=合理的でなく、公平でもなく、感情を不快にし、行動を辛くさせる、他人にもお勧めできない基準だ)から、常識人である私たちは苦しむのだと考えられます。

 そうだとしたら、その信念は変えていくべきものだと言っても良いのではないでしょうか?

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 健康ブログ 認知行動療法へ
にほんブログ村
[PR]
by nichinichiso | 2015-09-27 18:15 | 認知行動療法(CBT)