タグ:完璧主義 ( 7 ) タグの人気記事
file711 少しは欲求を減らしたらどうだ!(完璧主義)
file711 少しは欲求を減らしたらどうだ!(完璧主義)

 『少しは欲求を減らしたらどうだ!』という、簡単な、自己調整の言葉があります。
 これは、他人に主張するのではなく、むしろ、自分に強制し、完璧(完全)主義で苦しむ場合の、思考と気分を変えることに、私は役立ちました。
 完全主義は、批判をともなう、自虐的な信念の一つです。
 それをつぶさに具体的に見ていくと、生活上の、一つ一つの活動に、高い水準を求めているようです。
 気分障害と言われる人は、自分自身は、炊事、洗濯、読書、治療、カウンセリング、就労、就活、他人の態度、家庭環境、家族の言動、過去の自分、未来の自分、病状の程度…どれも、人並みにできていないと思っているかも知れません。これぐらい以前はできたはずだし、できない自分はだめだという気持ちで、辛くなるなら、それは、基準を下方修正するサインです。

 うつ病というのは、
一つに、①意思の力、動機付けの力を低下させ、まさに、それ故に、人並みにできなくする病気であると言うこと、
また②それによって、自分を卑下するという『症状』によって、病気なりにできることも、本当に「さらにできなくなってしまう」と言うこと、
③ ①②の繰り返しによって、本当に無力になってしまったように感じること という

 非常にやっかいな個人的な世界観の中に埋もれていくように感じました。


 あまりにも、現状とかけ離れた目標を持つことは現実的ではありません。それは、一つ一つの日常のことで、些細なことをやっていないと思っても、その数が多ければ、やはり、苦痛に思うと思います(義務過剰)。

 要するに、自分は、そんなに高いレベルのことを自分に課しているわけではない、主張する場合、その一つ一つが、高くないとしても、「欲求の数」が多すぎないか?と考えてみることは有意義だと思います。

 自分に対して「少しは欲求を減らしたらどうだ!」とつぶやくとき、気持ちがほっとするのであれば、やはり何か課すものが多すぎるのだと思います。
 間引く必要があります。
 その際、恐怖が生じます。
 そこで、行動療法からの流れをくむ、エクスポージャー(曝露法)が役に立ちます。

 50点を目指すというのは、欲求の数を減らすことも、いいことです。
 

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-10-12 17:40 | 心理的背景
file698 至らない自分を許すマインド(完璧主義について)
file698 至らない自分を許すマインド(完璧主義について)

 どこかのHPを見ていたら、参考になることが乗っていたので、紹介したいと思います。
 
 完璧主義というのは、やっかいな信念の一つです。CBTで言う、自虐的信念です。

 とはいえ、メリットもあり、デメリットもある「考え方の一つ」です。
 メリットは、やはり、「動機が(短期的でも)高まり、力を出そうと努力できること」だと思います。
 コレは、長期的には、無理でも、短期的に達成が出来ることは、嬉しいことです。
 とはいえ、毎日コレを繰り返していると、へとへとになったり、長期的プランが必要な物事については、簡単に達成できないので、不全感を覚え、大きな巨大な目的(目標)が、短時間で、あっという間に成功させられなかったことにうんざりし、自分は無能だと感じやすくなります。

 このとき、めげるのではなく、うまくいかなかった自分を癒やす言葉が必要です。
 完璧主義は、より良くなりたい自分の現れという側面があり、何かしらその出来なかった自分(至らなかった自分)を、いたわることが大切だと思うようになりました。

 その時に、
 1 より良くなりたい自分(マインド) だけでなく、←完璧主義の要素です
 2 至らなかった自分を許すという自分 (マインド)

を自分に言い聞かせ、「至らなかったことを許そう」、とつぶやくことは、非常に有効です。

至らなかった自分を責めるのではなく、至らなかった自分を許すことに、パワーを使い、時間とエネルギーを注ぐことが大切です。
すぐに出来なくても、一つでも、許してあげることは役に立つと思います。

完璧に、または、予想通りに進まなかったことを許さないことが、自分に本当に役立つでしょうか?しっかり許すことも大切だと、私は思いました。



〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-08-16 16:42
file656 最初から、うまく出来るはずがない、件(完璧主義)について
file656 最初から、うまく出来るはずがない、件(完璧主義)について

 自分が不快な緊張や、不安という感情、を引き起こすような場面に面した場合、その時、何を考えているのでしょうか?
 自分が、先日、短いプレゼンをする機会があり、その時にいつものことなんですが「外から見てもわからない」けれども「自分的には、緊張し、不快に思って」プレゼンをしている状況になりました。
 声がうわずったり、足下が浮き足立ってくる感覚が、開始2分後くらいからしてきます。ただ、これは、内面的な自覚であり、外からは、わからないのです。むしろ、よく出来ているようです。

 上記プレゼンは、全くはじめてのことでした。
 いつも、人前で話すときは、上記のような内面的に自覚する緊張感があります。
 これは不快です。
 この部分を自分の成長の糧とするには、どのような思考が、有効かを考えてみます。


1 まず、「最初から、うまく出来るはずがない」という、態度です。
 ある程度知らない人、ある程度知っている人、全く知らない人の前で話をする時を想像してみると、仲のいい人と話すより、緊張するのは、「当然」のことだと思います。

 しかし、そのあまり知らない人たちの前で、新しいことを伝えたり、反論したり、質問されたりしたときに、完璧に、その時間10-60分間を美しく、華麗に話し、応答し、思考を巡らし、過ごせる、そして、安心に覆われているという自分は、現実にあるのでしょうか?

 それが「ある」と考えていたら、それは、苦痛を引き起こす態度です。
 
 はじめてやるプレゼンなり、議論、指示なりで、その適度な時間を、適度に流して、自分の言いたいことをある程度伝えられて、相手の言っていることを半分ぐらい理解できて、思考も、いつもの半分ぐらい回れば、それで、何か問題があるのでしょうか?

 終わった後に、こうすればよかった、と悩むこと、逡巡することもあると思います。
 しかし、それは、実はプレゼンが、「不完全」だったからです。

 そして、その「不完全が故に、正しい」プレゼンだったんだと思います。

 なぜなら、一連の流れの中で、自分の不足していた部分、力量、応答、伝え方の「欠点」が浮き上がってくるという課題設定が、次に出来るからです。

 もし、完全に出来てしまったら、何も、今後何ももうやることはないでしょう。課題もなければ、緊張もない、誰もが相づちを打ち、すべての人が正解と評価し、自分も完璧だと思っている出来事というのは、客観的にみて、不自然さが残ります。
 むしろ、より多くの改善点が見つかる方が、「失敗」と感じるぐらいの方が、実は、クリアしがいのある課題なんです。

 そう考えると、完璧さを求めることは、自分の成長を止める(望まない)態度とも言えます。

 冒頭の・「最初から、うまく出来るはずがない」という態度は、不完全さを前提としています。


2  では、もし同じようなプレゼンを、「次回」やることがあったとき、その時は完全に出来るでしょうか?

 NO です。

 なぜなら、場所屋は同じでも、やることが同じでも、聞く人が違ったり、聞く人の体調が違ったり、自分の体調の違い、寝不足の有無、仕事量増減、薬の状態、抑うつの程度もすべて違います。
 より前回を受けて、改善点について、改良は出来ますが、自分のみならず、相手の状況、環境の状況も実は大きく異なっています。
 それは、実は、同じように見えて同じことをやっているとはいえません。

 ですから、完璧にやることは出来ないのです。

 やはり、そこでは、自分の課題を洗い出すことが成果となって出てきます、失敗するぐらいでもちょうどいいのです。(不完全さ)

3 さらに考えていくと、今日できたことは、明日出来て当然なのでしょうか?
 
 →  NOとなります。
どんな小さなこと、コップ一つ洗う、同じ通勤経路、同じ風景、似見える場所を歩く、散歩した道も、すべて自体は刻々と変わっていますので、「人は、何かしら違う状況に直面している生き物」なんだと、思います。それが、生きている上で、前提として厳然たる事実として未来に広がっているように、私は思います。

そういう意味では、完璧さというのは、「すべき」という思考に支えられていますが、幻想なんだと思います。
 それを、ご自身が暗黙の仮定としているときは、掘り出す必要があります。そして、難しいことではないことから、不完全さに満ちていることを観察していくことは重要だと思います。

 不完全だから、いろんなことの「ずれが見え」てきて、おもしろさや、課題や、努力や、意欲がわいてくるんだと思います。


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by nichinichiso | 2015-03-13 18:34 | 心理的背景
file634 完璧主義・完全主義は幻想だが、中ぐらいも幻想しかし…
file634 完璧主義・完全主義は幻想だが、中ぐらいも幻想しかし…

 完璧璧主義は、恐怖に裏打ちされた、各人の持つ信念体系ですが、完璧主義でない、いわゆる「中ぐらいである、常に40-60パーセントの自分を目指す」というのも、一つの信念体系です。
 いずれも、幻想です 結局、実態がない、各個人の裁量、物差しの世界です。
 しかし、前者と、後者では、満足感に与える影響は、大きく異なります。 完璧主義は、恐怖政治であり、減点の世界観です。失敗を恐れる気持ちこそが、人生充実の最良の薬、と考えるようなものです。 
 「中ぐらい」の世界観は、本質的に開かれた気持ちであり、間違うことは、間の取り方を違ったにすぎず、寸法のずれでしかなく、それをただしていく努力が、自分を成長させ、人生を充実させる、時には、やや苦みのある良薬と、考える思考です。
 どちらも、思考体系ですから、実態のない、世界観なのですが。人生と自己に与えるインパクトは、大きく異なります。
 完璧主義は、人生を破壊する方向に進みます。「中ぐらい」は人生を育てる方向に進みます。

 完璧主義は、自分を全能感を持つものと理解し、未来を予測でき、常に華麗でありるべきであり、失敗は死より恐ろしく、恥をかくことは世界の終わりであると思っています。
 「中ぐらい」主義は、常に、自分も他人も不完全な存在であり、同じ場所、同じ時代を生きるもの同士であると捉え、その間には、必ずしも理解が及ばない何かが存在していることを認めています。ですから、自分の思考、感情、行動は、最終的には「他人によってではなく」ほとんど自分でコントロールできるものであり、自己の限界を見据え、現実の世界で生きていこうと努力します。

 また、完璧主義は、自分の決めた価値観で自他を批評し、傷つき、傷つけ、へとへとになります。 実は、その完璧さ「すべきさ」という発想自体が、どこから来ているのか、再検討する余力を失っています。 ですから、完璧主義が行きすぎると、その枠から外れることができなくなり、なぜこんなに苦しい道を自分が選択し続けているのかもわからなくなり、運命、親、環境を呪うようになります。


 そういうときに、補助してくれる、ところののものが、その不適切な「主義」「幻想」を適切な問いで、再考させてくれると、「はっと¥します。;答えはわからなくても、何か自分が「暗黙の仮定をしている」ということを感じようとします。
 その瞬間が、もっとも、人間らしい瞬間だと、私は感じるのです。
 なぜなら、言葉が、人間の気持ちを変える端緒となっているからです。

 なぜ自分は、治らないのか、なぜすぐ喧嘩してしまうのか?なぜ、恨むのか、なぜ、惨めな気分なのかを、自分を責めることなく、
「気づくこと」はとても気持ちのいいものです。

 なぜなら、非常に、万人受けする、常識的な論理がそこにあるからです。

 自分は、ある出来事を、不安に思っている、なぜなら、危険と考えているからである。ある出来事で、悲しく思っている、何かを失ったと思っているからである。怒っている、それが不正であると「自分が」思っているからです。

 すべてがこうはいかないですが、多くはこのような他人から見れば非常に取るに足らないことについて、自分の思考【価値観】で、より極端な方に、苦しい方に、追い込んでいくのです。
 それはそうですよね。 人より強く、危険を感じ、失ったと思いやすく、不正であり、正義に反するといつも思っていたら、どんな人でも、あっという間に情緒不安定になり、病気になりそうな気がしませんか?


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-01-22 19:10 | 言葉について
file631 数取器(カウンター)で、思考の数を取る

file631 数取器(カウンター)で、思考の数を取る

 「いやな気分よさようなら」では、「腕につけるカウンター」を利用して、一日、どれくらい『すべき思考』を持ったか、そして、その数が多いほど報酬をアップさせるという、目を疑うような方法が紹介されています。【罪悪感の章】

 これは、手を出していなかったのですが、やってみました。

このようなものを、アマゾンで買ってみました。すごく軽いです。ポケットに入れたりして、負担なく、持ち歩くこともできました。

アーテック 小型数取器 93430


正直、ばかばかしいと思っていました、しかし、とりあえず、買ってみなくては始まらないし(←とても重要)、高価なものでもない、さらに、軽いものということで、思い切って、1個だけ買ってみました。

 紙や、ポストイットに、思いつくたびに、ペンで『正の字』を書き込もうとしたことがあったのですが、面倒でやれませんでした。
 この、数取器(カウンター)この言葉、自体初めて学びましたが、とても便利です。
 自分が『すべき』または、『すべきではない』ということを考えた!と気づいたら、すぐボタンを押します、厳密ではなく、適当に、風呂場で思ったら、入浴後、3回とか2回とか後からボタンを押したりします。
 そうして、毎日1週間ほど、『すべき思考』について、計測していくと、なんかおもしろくなってきます。おもしろさは2日目で生じ、だんだん、すべき思考が「待ち遠しくなります」(笑)。
 「すべき思考は、罪悪感への」必ず通る道とは、同著の中の名言ですが、実際、そう感じます。
 
 この数取器、もちろん、「すべき思考だけをはかるものではありません」。何を計ってもいいのです。本の中では、「自分ができたこと、を計測していくことも進められています」 コップを洗ったら1プッシュ、テーブルを拭いたら1プッシュ、ゲームをやったら押して、思い切って途中でやめられたら、また押して、散歩に出たら、また押して、月を見上げて感動したら、またその自分を尊重して、3回ほど押し、ブログを書いたら1回押す。
 
 言葉では、あらわせられない、不思議な感じがします。監視しているというわけではなく、あえていうなら、「自分の思考、感情、行動に対しての気づき」を強力に促進させる、気軽な「遊び」という感じでしょうか?

 そして、「すべき思考」でも、「完璧主義的な思考」でも、自分が狙ったターゲットを数え終えたら、その数が多いほど、報酬をしっかり用意しておくことが大切です。 
 すべき思考が、今日はかなり多かったので、○○を得る権利がある、今日は完璧主義が150だったので、かなりすごい報酬がもらえる権利がある、というふうにします。
 「自己コントロール力が自分にないからこうなっちゃうんだ」、酒飲んじゃうんだ、コーヒー飲んじゃうんだ、たばこ吸っちゃうんだ、、という、「謎の暗示」を解体することに役立つといいと思います。  



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by nichinichiso | 2015-01-18 17:16 | 成功事例
file626 他人の生き方を変えようとする努力は、皮肉にも、自分のやる気をごっそり削り取ります→抑うつ
file626 他人の生き方を変えようとする努力は、皮肉にも、自分のやる気をごっそり削り取ります→抑うつ。


 あなたは、他人の人生・行動・生き方・悪癖・鼻持ちなならない態度、を変えることができる、キーパーソンになろうとしてないでしょうか?また、なろうとしていたことはないでしょうか?


 残念ながら、これは、非常に報われない責任感と、優しさです。
 むしろ、その助けよう、変えてあげようと思っているその他人(たとえ肉親であっても)は、自分のそのような優しさ、哀れむ気持ち、を利用して、自己満足に陥っている可能性があります。

 いくらアドバイスしても、いくら説明しても、何度も同じことを愚痴って来る人っていますよね。
 困っているようなので、何回かあって、本を紹介したけど、読まないひとっていますよね。 でも何度も困っているオーラを出しつづけるので、なんだかこっちが申し訳ない気持ちがふつふつと沸いてくる事態ってないですか?


実は、躍らされてるんです。【こころの読み過ぎ・べき思考・完璧主義】


 その他人の問題は、適切にその問題を理解できたらご自身で解決の方向に動き出します。人ってそういう生き物だと思います。


 なのに、その下準備ができていないのに、助けますよ!としても、無理です。
 ちょっと背中を押してあげれば、うまくいきそうという雰囲気を醸し出している、だけなんです
 実は、頼られている、依存されているだけなんです。


 私たちは、私自身の人生を進行させていくことが大切です。
 他の方の、進行役を無償で行う必要があるでしょうか?


 結局、たいていは、心ない行動を見せつけられ、無神経な言葉を浴びせられ、こちらが意気消沈、やるせない人間への不信感を増長し、たまに、怒りを覚えたりして目下の目標と自身のエナジーを消費してしまいます。


 ですので、「他人の人生(親族/肉親」含む)を変えられる、俺/あたし! 」みたいな感覚は幻想です。【こころの読み過ぎ・べき思考・完璧主義】



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by nichinichiso | 2015-01-10 03:35 | 問題解決のヒント
file 618 完璧主義で苦しむ場合の一つの仮定:生活の減点法(私見)
file 618 完璧主義で苦しむ場合の一つの仮定:生活の減点法(私見)

 完璧主義は「いやな気分よさようなら」の中でも、かなりページを割いて解説されています。
 自分自身は、とても完璧主義で悩まされています。

 その不合理さは、どこにあるのか、どうしたら打ち砕くことができるのかは、本に書いてあります。

 私が、個人的に、思いつく理由は以下になります。

 例えば、「ブログをやるには、いい文章でなければならない(すべき思考)」 「コップを洗うからには、ピカピカに洗わねばならぬ」「仕事をするには、正社員でなければならない」「芋ほり体験したら、他人よりうまく掘らねばならない」と思って、うまくいった気がしないと、その出来高にかかわらず、不満足感が生じるでしょう。

 完璧主義というのは、いわば、100点満点という、自分の中だけの、試験を自分に課すことで、何か、至らない点、へました点、うまくいかなかった点を減点していくしていく、「減点法」という、小学校以来、嫌というほど体験してきた、試験制度を、生活の中に応用していることなんだと思います。

 その生活感情のルールは、誰が決めたわけでも、書いてあるわけでも、ありません。どこかで、そういうことを学んで、感情生活の基礎として採用してるのだと思います。

 しかし、実は、生活上必要なこと、起きる問題、優雅な人間関係、すてきな人柄、飽くなき承認、愛情、友人の数、人気、親切さ、正義、幸福度などなどに、100点満点(完璧)という概念は、なじまないのです
 むしろ、加点法のほうの法が、なじむと思います。 いくつ今日は(半日は)は、自分に価値ある感情体験、をして、小さな満足を「上乗せできたか」という発想です。 
 コップを洗えて満足できれば、加点。 本を一ページ読んで、いい出会いがあれば加点。瞑想できてよかったら加点。ストレッチして、少し気持ちよかったら、また加点。 薬飲んで、寝られたら、薬飲まずに寝られないより、加点。どんどん、心身衛生上いいことは加点していきます。
 それは、100点から引く(減点法)より、今日は15点、今日は50点、今日は105点、次は150点と、目標は1000点工夫次第で、伸ばせます。150点の翌日30点でも、30点取れていることは、積み上げたことですから、悪いことでも何でもないし、恥ずかしいことでもないのです。それが、その日の、自分のベストスコアだっただけのことです。
 
 結局、人生での減点法の欠点は、
「何歳まで生きるかわからない」ということが、私の考えです。
 
 何歳まで生きることができたら、完璧(100点)なんでしょうか? 平均寿命でしょうか? 上昇志向の強い人は、プラス20歳ぐらい、野望が強い人は、100歳超え、 生きる価値はあまりにもないから25歳ぐらいが寿命と考え、それを100点とするのがいいのでしょうか?
 いくら考えても、わからないことだと思います。寿命がわからないのに、完璧を求めることは、難しいことだと思います。
 であれば、「いくら考えても、何歳まで生きるかわからない、とりあえずその間は、加点をしていくことで、いいときも悪いときも、自分を大切に生きていこう」という考え方のほうが、毎日100点を目指して、減点されて、傷ついて生きていくより、惨めな思いはしなくてすむように思います。

 そうなりたいものです。


 
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by nichinichiso | 2015-01-06 06:34 | 心理的背景