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file652 間違いから、学び上げるための一視点
file652 間違いから、学び上げるための一視点

完璧な人は、自他共にいないという仮説はとても役に立ちます。
他人からの批判→間違っているかも可能性がある。むしろ、やたら批判的である人は、その人自身に問題を抱えていたりします。なので、気にする必要がないのです。

では自分が完璧でないとしたら、自分は間違えるのでしょうか?→はい。といわざるをえません。

その間違いで、自分は無価値であるとか、失敗者だとか、迷惑ものだ!と思う必要はあるでしょうか?→ない、です。間違いは学ぶための素材に過ぎません。自分を押し上げてくれる、ちょっとした段差ににすぎません。

しかし、どうしても、間違いを犯すことが怖いのが、病気ゆえの思考障害とも言えます。また、病気自体が、そういう考え方を引き起こす性質なのです、とも説明できます。

結局何が言いたいかというと、間違いから学ぶときに、何がポイントかは、いろいろありますが。"Feeling good" の中でおもしろかったのは、
間違えたな、と気づいたときに、

1 「自分に」言い訳をしない
2 自尊心を下げない努力をする。

この2点がかいてあったことです。

学ぶ(これ自体が、きわめて人間的であり、生産的です)ためには、それを解析・分析する学習過程が必要ですが、上記1.2を見落とすとは、それを難しくすると言うのです。

他人に言い訳をしないことではなく、「自分に」言い訳をしないのです。それだけでいいのです。 病気になると、つい、失敗に対して、間違いに対して、自分の中で、言い訳をしてしまいやすいのは、わかる人なら、わかると思います。
わからない人すみません。私の、説明がうまくないと思います。
その時間が長ければ長いほど、自分は十分に罰せられて、罰こそが、ものを学ぶための最善の特効薬なんだ!と思っている方も多いかと思います。(そんなわけないか?)
俺は、こうこうな事情があったから、とんちんかんなことを言ったんだ。お酒を飲み過ぎたんだ、他人をむやみと攻撃して、こき下ろしたんだ。蹴り上げたいほど怒って、出来ないから、水をかけたんだ。 試験に失敗したのは、俺の無能力のせいだ、生まれつきだ、仕事をクビになったのは、俺の精神疾患のせいだ、兄弟が学校行かなかったのは、私のケアがよくなかったんだ、俺がちゃんとしていれば、病気にならなったんだ…私がしっかりしていれば、娘はぐれなかった。………・・。


いくらでも、言い訳を浴びせることが出来るわけです。しかし、自分を傷つけ、失敗の本当の原因を見えなくしてしまうのです。→そうすると、解決の糸口さえ見えなくなってしまいます。

また、2自尊心を下げてしまうと、失敗は自分の人格の否定と同義なんだ!、と思ってしまい→こうして、やる気を失います。


上記の通り、やる気を失い、十分な罰が学びのための特効薬だと思っている人が、本当に、間違いで傷つくことなく、学びを得る機会が得やすいのでしょうか?
むしろ、やる気をそがず、少しはショックだがそのショックも長続きせず楽観的で、罰はむしろ見当違いであり、間違えるほどに努力した自分に褒美を出してしまうぐらいのラフさ前提としている人の方が、学びのチャンスがあるように私は、思いますが、どうでしょうか?



〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-02-24 10:37 | 問題解決のヒント
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