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file708 不安・恐怖・混乱を無理にでも増強する態度という逆説
file708 不安・恐怖・混乱を無理にでも増強する態度という逆説
 
 Dバーンズ氏の、不安対策の本の中では、3つの治療技法の方向性(認知・曝露・隠された感情モデル)のなかで、曝露法(エクスポージャー)が、一つの大きな柱となっています。
 
 私が、いろいろやってみて思うの、とても大切なのは、、古典的曝露(すぐ再現できる場合の方法/無駄なスマホいじりをやめたいし、目の前にスマホがある場合)でも、認知的曝露技法(環境がなくてすぐ再現できない場合にイメージを使う方法/冬の海で船が転覆したらどうしようと不安)も取りかかったら、「より自分の不快感を高める試行錯誤、恐怖を2倍3倍にする試行錯誤、混乱で頭の中がいっぱいになり、洪水のように不安心身ともに震え上がる」ことを目指して、「自分で努力すること」です。
 どうしたら、自分はもっと頭がおかしくなるほど、不安が高まり、恐怖が身を震わせ、混乱できるのか?を、曝露中に考え、想像し、身体症状が起きるように「ひたすら努力」することを大切にしました。(笑)


 15分から20分ほど続けていくことで、大抵の不安恐怖は、体の芯から安堵に変わることがわかりました。(身体的変化です)
 
 否定的思考の信念に対する態度として、
 逆説の受け入れという、考え方は大切です。具体的には、、自分が考えている否定的思考・イメージは、①実は真実であり、もっと驚くべきことは、②自分が想像している以上にもっと凶悪なことを他人は思っているし、今後も起きてしまうのですそれを具体的に想像していくそして、もっと想像を進めることです。

 自分は、自分は口べただから、周りの誰からも好かれない、という信念(自分が信じて疑わないこと、ひっくり返せない堅い考え方)。があるばあい。

 ① 実は、その通りであり。かつ、忘れてはならないのは、 ②実は、自分が思っているのはまだ甘くて、周りの人だけでなく、言葉のしゃべれない犬や猫、亀、花、植物や、太陽からもその人間の本質を見抜かれ好かれ、「自分は悪い人間なんだ」思われてしまう、と言うことを受け入れようとする態度です。

 そこには、人間らしい発想と、ユーモアが自分を癒やしていくれるという、スケールの大きい自分というものが垣間見られると思います。
〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-10-04 08:50 | 認知行動療法(CBT)
file 705 いくつも自分への問い(自問)を重ねていく(自動思考-信念)
file 705 いくつも自分への問い(自問)を重ねていく(自動思考-信念)

 自己否定的思考は気分を悲しくしたり、意欲を低下させたり、非生産的で、自己障害的ですごく有害ですが、一つの問題を解決しても、あらゆるタイミングで頭をもたげてくることは経験者であればわかると思います。
 あのとき克服したと思った、完璧主義的な考え方、自分は愛されてないんだという考え方、自分失敗者だという考え方と、それに伴う不快な気分は認知が歪んでいると言われたりします。
 以前から、この「認知の歪み」という言葉はあまり好きではなかったので、「残念な認知」という言葉を造ったりして言います。(造語)

 そもそも「認知療法」の「認知という言葉」ですら、個人が体験する感覚と言語や感情、行動、態度、ものの見方をざっくりとまとめた、「お洒落な言葉にすぎない」と書いてあります。そうなんだと思います。

 言葉(およびイメージも含まれる?)を使って、感じ方やものの見方に変化を与えられる点に着目しているのが、認知療法だと感じます。しかし、言葉はそもそも国が違ったり、日本語であっても、世代、時代で使われ方も異なってくるので、とても言葉のチョイスが大きな影響を与えることもあり、また、影響を与えられないこともある気がします。

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うつ病の再発・再燃を防ぐためのステップガイド 単行本 – 2009 星和書店

Peter J.Bieling (著), Martin M. Antony (著), 野村 総一郎 (監訳), 林 建郎 (翻訳)
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上記の本の中で、否定的思考、脅迫的思考が出てくるのは何度も出てくることが予想され、それには「信念」という、その人のものの見方の傾向において、何か弱い部分に触れた場合に、出てくることが多いという趣旨のことが書いてありましt。亜

 自虐的信念は常に存在するもの、否定的自動思考は具体的な出来事に反応して浮き上がってくる一時的なものとも言えそうです。

 その信念について、いくつもの問いをすることで、本当にその基準を自分に当てはめることが正しいのかを考えさえてくれるものがあります。


 上記本 p137で紹介されているのですが、私なりに書くと以下のようになり真5つの方向から自問してみます。

 1 今あなたの持っている、なんらかの基準は合理的で、意味がありますか?(合理性)
 2 その基準をご自身に突きつけることは公平でしょうか?(公平性)
 3 その基準がもたらす感情的結果はいいものだろうか?(感情良好性)
 4 その基準はあなたにとっていい結果を生むでしょうか?(行動良好性)
 5 その基準は、自分(あなた)が大切に思っている人にとってもどんどんお薦めできるものだろうか?(推奨可能性)


これらをまんべんなく満たす信念であれば、そう簡単に自分を苦しめないと思います。
言い換えれば、そのような基準でない(=合理的でなく、公平でもなく、感情を不快にし、行動を辛くさせる、他人にもお勧めできない基準だ)から、常識人である私たちは苦しむのだと考えられます。

 そうだとしたら、その信念は変えていくべきものだと言っても良いのではないでしょうか?

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-09-27 18:15 | 認知行動療法(CBT)
file704 報酬による目的達成(カフェインを減らす工夫)飲んでも、褒美
file704 報酬による目的達成(カフェインを減らす工夫)飲んでも、褒美


体に、あまり良くない気がする習慣を改善するときに、報酬をうまく使って成功失敗を繰り返しつつも、最終的に目標に達するゲームのような方法があります。
下記の本の中でも、ダイエットの方法で出てきます。p221 「罪悪感」 「キャンディとドーナッツ」ダイエット

 私の場合、カフェインをとって一時的に元気を出そうとする癖があり、長年の習慣になってしまい、疲れれば疲れるほど、缶コーヒーや喫茶店でのコーヒーで紛らわしている気がしていました。
短期的には、いいのですが、長期的に見ると、出費も多くなり、体も疲れてしまいます。


そこで、2つの角度から、長期間かけて1日いっぱいぐらいですむよう、カフェイン習慣を変えていきました。

1 いつも習慣的に飲んでいる、また、疲れたときについ飲んでしまう(缶)コーヒーを想定し、そのタイミングで我慢できたら、また、いつも飲むタイミングで行く喫茶店を行かずにすんだら、そこでかかった代金を、頑張ったご褒美として「全額自分のお小遣いとする」ことにしました。


2 、もし飲んでしまったり、立ち寄ってしまった場合でも、それは、目標に反することをやってしまったのですから、自分にとって辛い出来事であり、その慰めとして、また、そうはいっても目標に向けて依然として頑張っている自分へのご褒美として「かかった代金の半分をお小遣いにできる」としました。

上記1と2をくむ会わせながら、ある日はかなりお小遣いが貯まり、ある日は(飲む回数が多く)小遣いが少なく貯まる。
 そういう中で、ゲーム感覚で、減カフェインを進めました。


 結局、下記本の「罪悪感の章」に書いてある、お酒、たばこ、コーヒー、過剰なお菓子などやめてみたい習慣がある場合、自己コントロールができないという思い込みこそが、最大の、自己変革の障害なんだとすごくわかります。


 やめたい、と思っている以上、それに反する行為をとったら、どんな人でも多少辛いものです。むしろ、挫折感を感じて、「やっぱりオレは駄目なんだ」と思うことはとうぜんです。

 それを、ことさらに悪く感じさせるのは、「次は飲まないぞ」という、変な覚悟です。コレは自分を追い込むのです。
 むしろ、飲んでしまった、吸ってしまったその自分の辛さをおもんばかり、報酬を決めておいて、それを与えることの方が、遙かに長期的に見れば、全体として良好な方に進むと思います。

 上記私の例でも、コーヒーを喫茶店で飲んだ上に、さらに、その半額を小遣いとして自分に渡すのですから、ある時期は非常にお金がかかってしまいます。しかし、失敗時の報酬設定が適切であれば、本当に、お金も貯まり、カフェインも減らせるのです。
 罰を与えても、自己コントロール力は付かないというのは、よく言われることです。
 失敗したプレイヤーに、その失敗の小言と批判を言い続けてプレイヤーが上達するでしょうか?

 簡単ですが、奥深い思想があるように思えます。

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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by nichinichiso | 2015-09-24 20:02 | 問題解決のヒント
file699 否定的(抑うつ的)思考と肯定的(擁護的・合理的)思考
file699 否定的(抑うつ的)思考と肯定的(擁護的・合理的)思考

 特定の出来事について、抑うつ的に考えると、気分が悪くなるというのは、CBTの基本的考えです。
 ですので、肯定的、現実的、自己擁護的に考えることで気分が変えられるというわかりやすいセラピーです。

 その出来事に対する、「合理的思考」というものが、出来ないで苦労することも多いと思います。

 私も、そういうことは何度もあります。

 感覚的には、合理的な思考を書き出してみると、『何となく作文だけして、自分の中に入ってこない』文章だったりします。
 国語的には間違っていない作文で、他人が見ても、良く出来ていいる合理的思考なのですが、当の本人の気分を変えることの出来ない文章だったりします。


 そういう場合、極端にプラスに持って行こうと頑張りすぎてしまい、自分の中に落とし込めない言葉になってしまっていることが多いです。

 例えば、
出来事:
 就職の準備を進めているが、現在働いておらず、どういう職種が合うのかもわからない。

a
否定的思考: このままでは、いっしょうじぶんの「適性にあった仕事』が見つからないだろう。

b-1

合理的思考: 適性にあった仕事が、見つからなかったとしても、仕事だけが人生ではない。どんな形でも、仕事に就けば、おもしろいこともあるし、給与が得られることは何にも代えがたいものだ。

bの合理的思考は、どことなく、合理的に読める作文ですが、私的には、体の芯に響くような気分の変化を起こしません。

そのような場合、もっと、自分が抑うつ的に考えているレベルを-10だとしたら、-5まで持って行けるような「ちっちゃな思考」ことを考えていけるといいと思います。上記
bは、+10の気分まで引き上げようとする一発逆転を狙う、無理さを感じています。


 ですので、改めて、 考えてみると

b-2

現段階で適性がわからなくて「当然である」。→気分がほっとします。
疲れやすい現在の状況で、職業適性を考えると、思考が抑うつ的に傾いても、「それは仕方がないことである」。→コレも、精神的に楽になります。

こういう感じで、b-1はある種濃く語句の回答のような作文になっていて、自分に役立たないと思ったら、もう少し否定的思考を少しだけ(大きくではなく)緩めてあげるような思考を持つことが、心身を楽にする「生きた言葉」になると、思います。


自分で、作れない場合は、他人に聴いてみる必要があると思います。

合理的思考は、自分をしっかり楽にする必要があります。そのためには、作文内容にこだわるのではなく、本当にどのように自分に声かけすると、気が楽になるかを、考えてみる。および、どのような否定的思考を持っているのかを明らかにすることが大切です。
 明らかに、普通の人でも悩むようなことを、抑うつ的な傾向がある人の場合は、悩みがちになってもそれはある種「当然」のことなのです。(なぜなら、普通の常識人でも、気が重い出来事だからです)



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by nichinichiso | 2015-08-18 19:47 | 自分を知る
file698 至らない自分を許すマインド(完璧主義について)
file698 至らない自分を許すマインド(完璧主義について)

 どこかのHPを見ていたら、参考になることが乗っていたので、紹介したいと思います。
 
 完璧主義というのは、やっかいな信念の一つです。CBTで言う、自虐的信念です。

 とはいえ、メリットもあり、デメリットもある「考え方の一つ」です。
 メリットは、やはり、「動機が(短期的でも)高まり、力を出そうと努力できること」だと思います。
 コレは、長期的には、無理でも、短期的に達成が出来ることは、嬉しいことです。
 とはいえ、毎日コレを繰り返していると、へとへとになったり、長期的プランが必要な物事については、簡単に達成できないので、不全感を覚え、大きな巨大な目的(目標)が、短時間で、あっという間に成功させられなかったことにうんざりし、自分は無能だと感じやすくなります。

 このとき、めげるのではなく、うまくいかなかった自分を癒やす言葉が必要です。
 完璧主義は、より良くなりたい自分の現れという側面があり、何かしらその出来なかった自分(至らなかった自分)を、いたわることが大切だと思うようになりました。

 その時に、
 1 より良くなりたい自分(マインド) だけでなく、←完璧主義の要素です
 2 至らなかった自分を許すという自分 (マインド)

を自分に言い聞かせ、「至らなかったことを許そう」、とつぶやくことは、非常に有効です。

至らなかった自分を責めるのではなく、至らなかった自分を許すことに、パワーを使い、時間とエネルギーを注ぐことが大切です。
すぐに出来なくても、一つでも、許してあげることは役に立つと思います。

完璧に、または、予想通りに進まなかったことを許さないことが、自分に本当に役立つでしょうか?しっかり許すことも大切だと、私は思いました。



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by nichinichiso | 2015-08-16 16:42
file697 自虐的信念も、一つの思考(言葉の塊)にすぎない、という発想は本質を変える
file697 自虐的信念も、一つの思考(言葉の塊)にすぎない、という発想は本質を変える


 認知療法の本(いやな気分よさようならや、不安もパニックもさようなら(いずれも星和書店)を読んでいて、下向き矢印法*で、暗黙の仮定を見つけ出したり、自虐的な信念と呼ばれる(完璧主義とか、業績主義、」承認欲求性、愛情必要性などの信念)ものを見つけ出して、それを、書き換え、さらに、現実的に検証してみるという方法は、いくつも技法が乗っています。

 その中で、あるときに、自分のこころに妙にに引っかかるというか、ほっとさせられる文章というものが、本の中にあります。
 
 その一つが、私の場合「そういう信念を持つに至ったのは幼少期の人間関係にあるとしか、言いようがない」(それ以上は、難しいから深入りしないという感じ)の記述が、ありました。

 自分の日常生活上で、CBTを生かそうとするとき、自分をリラックスさせられる、簡単な文章を持つことは、有意義だと想います。
 
 初めからうまく出来る人はいない。
 日本語が話せれば(うまく話せなくても)かまわない。
 緊張は、強めのかゆみにすぎない。
 伝えたいことの半分でも伝われば十分である。

 など、自分なりの、簡単なフレーズが見つかってきます。


 そういうことを積み重ねていくうちに、あるとき、上記の「信念も、幼少期に何らかの理由で教育された、一つの考え方にすぎないのだ」という発想が、すごく自分を楽にすることを見つけました。
 
その時は、気持ちが、ぐっと、軽くなるのが身体レベルで生じます。

 そして、その幼少-青年期に学んだ何かしらの信念というものは、言語的には、言葉の塊(思考の一つ)として、検証能力、洞察能力、相手の事情を知る力を持たない幼少期の人間には、あたかも、絶対普遍で世界を統一的にはかれる(道徳性も含めた)、ものさしであり、ルールであるように見えます。
 しかし、実は、そうではないと言うことは良くあることです。
 なぜなら、その教育をした人自身の、困っていることや、引け目だったり、恥じている部分だったり、欠けていると思っているものを「よかれと思って」教えようとしたことの場合が多いからです。
 大抵、そういう動機から出た「教え」というものは、狭量なものであり、未来志向ではなく、将来予測できない人間の営みにおいて、うまく適応できるための、開かれて、柔軟な信念を持ってほしいと言うよりは、極めて限定的だったり、技術的だったり、能力における高さという、狭くて、融通のない信念を持たせることであったりするのです。熱心な教育者であるあまり、自分の抱えている問題が、普遍的に自分の子供なりにも大切な問題になる「はずだ」と誤解して教育してしまう例です。

 そういうことをうまく覆す言葉を持つことは、非常に、認知療法の中で自分の気分の安定に役立ちます。
 自分の信念は、所詮教育上得た一つの考え方にすぎないのですから。





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by nichinichiso | 2015-07-26 16:26 | 自分を知る
file681 BDI評価尺度を使い切る(自分の今)
  長期間の治療において大切なのは、病状の程度を自分で把握するスケールを持つことだと、バーンズ先生の本に書いてあり、自分でもそう思います。
 それは、主観的な気分をある程度、客観的にする作業で、自分のうつ病、不安障害が、悪化したときに役立つものです。
 どんなに、改善していても、新しいことにチャレンジしようとすれば、失敗、挫折、フラストレーション、不安が、生じるからだと私は思います。
 生きている以上、気分とは、付き合っていかざるをえないのです。それは、人間のひとつの特性だと思います。
 簡単な尺度として、私は、BDIの尺度を、つかってます。「いやな気分よさようなら」の13ページから始まるものです。。
 調子悪いのかな?とおもったり、かなり調子わるいぞ!というときに、同尺度を、やってみると、点数は、変わってます。→おおー、なら、仕方ない、休息をたっぷりとろう、とか発想がわきました。
いろいろ、疲れているときには、ぐるぐる考えるより、簡単な自己分析だと私は思います。。
質問に答え、点数化するだけですから簡単にできて、楽だと感じます。。

 ちなみに、月二回くらいやって、本に点数を書き込んでありますがここ数ヶ月は
19 17 12 26 13 12 16 18 という感じです。
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by nichinichiso | 2015-04-23 17:51 | 治療方針のヒント
file672 困っている人を助けられるのでしょうか?(責任の分配)
file672 困っている人を助けられるのでしょうか?(責任の分配)

 なにかしら、困っている人を見ると、自分ができることがないかを考えるのは、よくあることです。
しかし、実際、気分障害や、その困っている人「対応で困ってししまう人」によくあるのは、自分の責任の範囲を明確にできず、自分が困り事を解決できていない、ことに罪悪感を覚えたり、「すべき思考」にはまることです。
 親子、兄弟、親族であっても、自分以外の人を助ける「べき」と思う場合には注意が必要です。
 どこまで、自分は時間を割けるのか、どこまでが相手の責任の範囲で、どこまでが自分の責任の範囲か、明らかにしておく必要があります。
 優しい人は、多くの場合、普通の人には想像もできないほどの、責任を抱えている場合があります。他人の人生を、自分の責任において成功させることができる、ぐらいの意気込みがあると、たいてい自分が困ってしまいます。
 どんなに親しい人でも、他人の助けを100パーセント解決できる人はいないからです。
 なぜなら、その「解決」
というのは、援助を受ける者が、決めることであって、いくら援助する人がベストを尽くしたからといって、被援助者の気持ちまで変えることはできないからです。
 それが、「責任の分配」という発想の一つです。 
 なぜ自分がやらなくてはならないのか、どれくらいやる必要があるのか、それは本当に正しいことなのか?自分はなにがしたいのか?、自問の姿勢が求められます。


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by nichinichiso | 2015-04-13 19:35
file668 自分の行動の否定的部分を、あえて聞く態度(勇気)
file668 自分の行動の否定的部分を、あえて聞く態度

 どんな人では、完璧な人はいない、また完璧という状態はない、と考えることが、CBTではセオリーとなっています。
 ということは、どんなに、すてきな人でも、穏やかな人でも、尊敬する人でも、また、他人からみた自分が、どんなにその場で見事だったとしても、十分だったとしても、否定的な側面を見つけることは、可能と言うことになります。

 不安障害はやっかいです。完璧主義がどうしても避けられません。
 
 そこで、すごく努力して、物事に前向きに、そして、最善を尽くしたとした場合、それでも、何か否定的側面「字が汚い」「いい人ぶっている」「声が小さい」「声が大きすぎる」「かっこつけすぎている」などなど、1つでいいから取り上げてもらうよう促す、アンケートを採る、コメントをもらうよう「自分から依頼する」湖とは、とても有意義です。

 これは、バーンズ氏の、何かの本に書いてあった、治療者向けのアドバイスでしたが、かならす「前回の面接での、治療者の至らなかった部分を言ってもらう」ということを習慣化することは、有用であるとのコメントがありました。


 治療者というのは、あまりに熱心になりすぎるあまり、いくら注意深くしていても、ミスを犯しているものです。それは、人として、治療者として、全力を尽くしていることの副産物であり、必然のものです。

 完璧など無い、という前提からは、そのようなことは、理由はドおあれ、相手に対して、すべてが受け入れられる、すべてが有意義な時間であったと言うことは、あり得ないのです。

 有意義であることもあれば、そうでもない中間もあり、むしろ、害がある場合すらあるのです。

 それは、どんなに研鑽を積んでも、人である限り、どのレベルであってもついて回る問題です。


 その現実を、自分に有効に受け入れるのが、「否定的側面をあえて質問する態度」です。

 これは、他人に否定されるわけですから、非常に恐怖を伴います。
 いいことを言われたら、それは「いい面ですよね?」と、問い直さないといけません。相手にも、ストレスをかけるかもしれません。たいていの人は、目の前の相手に「求められてているとはいえ」否定的なことを言うことはストレスになるのが、普通の感覚です。

 それでも、些細なことでもいいので、1つでも出してもらったら、それに『ありがとうございます』とはっきりとした口調で、相手に対して尊敬の念を込めて、感謝することはとても、爽快なことです。

 自分で、自分の足りないところを1つ知れたことは、相手と自分の関係にそれまでとは一段異なる、協力関係を作り上げることになります。
 それが、どんなに腹の底では、何となく虫の好かない相手である。という場合こそ、非常に有意義です。
 むしろ、感謝する気持ちも出てきます。

 自分で、自分の足りていないことを、聞こうとする態度は、どんなに怖いことでしょうか?また、口に出して、問うてみることは非常に勇気のいることです。
 しかし、それを聞いてみることで、自分がまず、一番豊かな気分になれると思います。
 
 すべての場面でそれをやる必要はありませんが、どこかでチャンスを見つけて、やってみるといいと思います。

 『先生はいいことばかり行ってくれるけど、私今回の件で、私の一番否定的(良くない)点はなんでしょうか?』
 と聞いて、それに正面から、しっかり答えられない治療者は、本物ではないかも知れません。

 口にするか否かは別として、いいことばかりしかみていないのでは、改善する点を具体的にすることは出来ないと、私は思うのです。患者や、クライアントの観察に問題があるとも言えます。


 出来そうなときに、一度やってみると、いいですよ!

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by nichinichiso | 2015-04-09 20:34 | 自分を知る
file665 どうしたら、意欲を失うのか?(試しに30個)
file665 どうしたら、意欲を失うのか?(試しに30個)

 意欲を失うのは、多岐にわたるうつ病の症状の一つですが、見落とせない症状でもあります。
 
 いったい、どうして、これほどまでに意欲を失った状態が続くのでしょうか?

 簡単な問題ではありませんが、CBTでは自分の思考が、大きくそこに関わっていると考えます。その思考の由来は、別に置いておいて、現在の思考に焦点を当てます。

1 あまりにも様々ことに敏感になりすぎていて、体が重くて動けない。
2 あまりにも社会から離れすぎていて、臆病になっている。
3 行きすぎた「すべき思考」(=高すぎる要求水準)に雁字搦めになり、身動きがとれなくなっている。
4 夜全く眠れず、むしろ、日中やたら眠れるので、社会生活のとっかかりすら考えられない。
5 自分はアダルトチルドレンだから、その問題と、正面からぶつかる必要があり、その本を読むことが出来て、脱アダルトチルドレンに成功しない限り、この苦痛は続くから、最初にかたづけるべき直近の目標がある。

6 自分は低血糖症だから、そちらの治療に忙しい。
7 入院期間が長いから、およそ、すぐに病気が治るはずがない、入院している現在、全く、別の治療を考える可能性すら考えられない。
8 医師が治らないと言っているから、治る気がしない。
9 自分は双極性障害だから、うつ病エピソードの次には、躁病エピソードがくるに決まっているから、考えるだけでうんざりする。
10 セロトニンが、全く足りていない。
11 ドーパミンが適切に出ていないようだ。
12 アドレナリンを出す生活で、副腎が疲れ切っていると、本に書いてあったので、そう思う。
13 何より、今の自分の気分がやる気がないのだから、意欲など、あるはずがない。
14 自分が感じている、箸を持つことすら出来ないほどの、圧倒的な疲労感の前に、治るなんて、おこがましいほどの欲望とすら言える。(自分は高望みしすぎである)
15 人に会えていないのに、どうして、意欲が出ようか?
16 うまくいっていたときの自分とおよそ、体の元気度が違う。以前は泳げた、走れた、今は、歩くことすら難儀する。
17 特定の時間に、毎日、この数年、非常な負担を感じて、寝込まずにはいられない。
18 働かなくても、お金に困っていないのだから、治らなくてもかまわない。
19 自分は、呪われている。
20 自分の生まれた環境が、呪われている。
21 自分の親も、呪われた家系の被害者だ。
22 心理士に支払うお金がない、だから、カウンセリングを受けられずに、治療も進まない。
23 自分が治る理由を見つけたところで、それがあまりにも野心的な理由である。
24 自分はうつ病ではなく、双極性障害だ。
25 数年間受けた治療をもってしても、誰も直せなかった。また、どの薬も効かなかった。
26 そのあげく、飲んでいる薬をやめるとすぐに離脱症状が出て、それが原因で二重苦、そして、その医療制度に対して怒りを持ち、三重苦に陥っている。そっちを解決するのが、先である。

27 そもそも、私は、薬なんて飲まなくても、治る人だったのだ。誰かが、マニュアル通りに薬を飲ませたから、こんな事態に大事になったのだ。自然治癒していたはずだ。
The Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders「精神障害の分類と診断の手引き」(DSM)がおかしいのだ。
28 先週はは一つ出来たことがあったが、毎日それだけやっていたが、辛くなってきたので、やっぱり病気である。
29 その出来たことを、連続して、毎週やっていたら、体調を崩した。やっぱり自分は、治らない。楽しいことすら、自分を壊すという恐ろしい現実は、常識的にもう理解できない。
30 やたら勧められる、バーンズの本を読もうにも、1行も読めないのだから、どうしようもない。八方塞がりだ。


というような30個を、ざっと考えてみました。

問い:
こういうことを、延々と毎日、数年間、数ヶ月考えていると、人はどうなるでしょうか?

私の答え: あらゆる葛藤や、自責の念、罪悪感、承認の欲求、無理な人間関係へのかかわり、出来なかったことへの反省と後悔、決めつけによる弊害などが生じ、それだけで一日24時間、寝ている間も、自分の心身が疲弊していきます。
そうすると、何もしなくても、自然と、水をまかないと花がしおれていくように、水が流れないと、よどみが起きるように、徐々に意欲がなくなっていくと思います。


そういうことが出来るのが、人間の思考のすごさです。
反対に言えば、こういう30個の考え方をしない人は、する人に比べて、相対的に、意欲を失いにくいと思います。
その上記30に反論できることが、意欲回復の発想です。






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by nichinichiso | 2015-04-06 19:34 | 自分を知る